2023年12月29日
八尾市の信貴山口駅から高安山に登り、信貴山への縦走を目指します。信貴山口から高安山にへは近鉄が西信貴ケーブルを運行しており、乗客が少なく相当な赤字が膨らんでいると聞いているだけに心が痛むものの、並行する「おおみち登山道」を歩いて山頂を目指します。
正面の電信柱の向こうの山が高安山。百済を支援した白村江の戦いで唐・新羅軍に敗れ、逆襲を怖れた大和朝廷が築城したと日本書紀にも記述が残る高安城があったところだ。飛鳥京の最終防衛ラインであるとともに、当時国内最大の軍事施設があったところなのだ。
住宅街のなかの急な舗装道20分ほども歩いていくと徐々に登山道らしくなってくる。「イノブタ注意」の警告がある。20〜30年前、イノブタ飼育場が倒産し、多数のイノブタが野生化したと聞くけれど、今もいるのだろうか。警告の数は随分減ったように思えるけれど…
ケーブルカーに並行する直登コースだけに、覚悟はしていたものの勾配はキツイ。脹脛に無理な負荷が掛からないよう、用心しながら登っていく。露出した岩は多いけれど、角が削れた丸っこいものが多いように思う。
「枯枝の落下に注意」という言わずもがなの警告が目立つ。クレームを付ける人が多くて、市は責任回避の注意喚起をしているように思える。倒木に躓いたり、枝の落下で怪我をして市に賠償を求める人もいそうな気がするけど、責任とリスクのない登山なんてあり得ない。
ネコのイラストがあしらわれた可愛い道案内がある。ケーブル高安山駅に向かい、久しぶりに高安山~信貴山門の廃線遺跡を見に行きたいとも思ったけれど、ここまでの急登で結構疲れてしまったので、直接高安山頂を目指すことにする。
さらに急登を登り、ようやく生駒縦走道の橋脚が前方に現れた。ここまで登ってくれば、この後はなだらかな尾根歩きになるはずだ。
高安山山頂の少し手前に、ちょっと風変わりな無線塔のようなものがある。これは気象レーダー観測所。全国に20ヶ所しかないもので、高安山レーダーが近畿一円をカバーしている。おそらくは風雨除けの丸い球体のなかにパラボラアンテナが格納されているはずだ。
気象レーダーを囲むフェンスの傍に、古代高安城址を説明する石板が立っている。それにしても高安山って、飛鳥京防衛として適地なんだろうか。当時の海岸線はよく判らないけれど、もっと南、大和川から二上山にかけての方が良いように思えるのだけど…
高安山山頂(487m)。雑木林に囲まれて、眺望も何もない。戦国時代には松永久秀が拠点とした信貴山城の出城の本丸だったらしい。近代城郭の先駆けとも言われる多門山城など、築城に長けた久秀だけに、信貴山城も相当広大で強固な縄張りを有していたようだ。
ふと思い立ってネットで調べた図面を参考に、久秀時代の高安山の二の丸、三の丸があったと言われる小高い岡に登ってみるけど、笹に深く覆われていて城跡探訪どころではなく撤退させられる。
信貴山へと続く尾根道の途中に古代高安城の倉庫群跡がある。武具や兵糧が大量に保管されていたのだろう。壬申の乱でも高安城を抑えることが極めて重要だったようで、乱の序盤早々から両軍が争奪戦を繰り広げている。
信貴山に向かう道はやや下りの快適な尾根道。落ち葉をサクサク踏みしめながら、のんびりと歩いていく。
信貴山山頂に向けての登り返しが始まると、松永ヤシキと書かれた小さな案内標識がある。松永久秀の屋敷跡だ。今ではただの杉林だけれど、信貴山城を構成する曲輪のひとつとして、軍事的にも重要な役割を果たしていたに違いない。
信貴山は雄嶽と牝嶽から双耳峰だ。雄岳頂上(437m)の少し手前に信貴山城跡の石碑があるけれど、ここは信貴山城の本丸でしかなく、四方八方に伸びる尾根の要所に多くの出城が築かれていたという。でないと織田の大軍に囲まれて50日も耐えることはできないはずだ。
信貴山の南麓一帯は朝護孫子寺の境内となっている。雄嶽の頂上は空鉢護法堂がある。周囲には奉納された鳥居が並んでいるのだけれど、その中に、織田信長公とお市の名前で奉納されたものがある。匿名も含めて、奉納者の表記は自由なんだろうけど、なんだかなぁ…。
これまで存在さえ知らなかった雌嶽(399m)にも登る。空鉢護法堂から本堂へと進む、多くの参拝者が歩いている道から外れて2分ほどで登頂できてしまう。他の参拝者は、一体ドコに向かうのだろうと訝しく見ていたかもしれない。
ブラブラとの朝護孫子寺の境内を散策しながら下っていく。奈良盆地を見渡すことができる立派な舞台がある信貴山の本堂は早くも初詣の準備が整っているように見える。
聖徳太子が寅の年、寅の月、寅の刻に、この地で毘沙門天を感得されたとのことで、寅は朝護孫子寺のシンボルのような存在。境内には多くのユニークな寅の像があるけれど、やっぱり大寅像に尽きる。信貴山に来るたびにこのアングルの写真を何枚も撮っている。
信貴山の参道には数百mにもわたって旅館や飲食店が並んでいる。門前町と言えるのかもしれない。写真左にある千体地蔵には赤い前垂れが架けられている。以前は前垂れなど無かったように記憶しているけれど、この前垂れのお陰で参道が随分明るくなったように感じる。
参道の東端にバスターミナルがあるけれど、元々は近鉄信貴下駅までを繋ぐ東信貴ケーブルの山上駅があったところだ。ケーブルは40年前に廃止されたけれど、軌道の跡地はいい感じ(真っすぐすぎるけど)のハイキング道になっている。
とはいえ、メンテナンスしないと容易に笹に覆われてしまうようだ。大雨が降った時の水流も凄まじいものらしい。たまたま手作りの小さな鍬で路肩に水路を作られておられたご老人のお話を伺ったけれど、大変なご苦労だ。本当に頭が下がる思いがする。
信貴山下に下山するつもりだったけれど、久しぶりに龍田大社に参拝すべくJR三郷駅に向かう。風神をお祀りすることで知られる龍田大社だけれど、何故か風の神様をあまり押し出していないように感じる。代わりに摂社のひとつでしかない恵比寿天の幟旗ばかりが目立つ。
大和川のすぐ脇にある三郷駅。ここをスタートして堺市の大和川河口まで川に沿って30㎞歩いたのは10年前のこと。7時間以上かけて大阪府を横断したのが懐かしい。もっとも、もう二度とはやりたくないし、できそうにもない。
おそらくこれが今年の登り納め。距離9.2㎞、登り570m、所要時間5時間。