2023年1月27日
本能寺の変から僅か11日後、秀吉の神がかり的な中国大返しにより明智光秀の天下取りの夢が潰えた激戦が繰り広げられたことで知られる天王山(実際には、この山の麓の山崎が主戦場だったようだけど…)に9年振りに登ってみる。
JR山崎駅からすぐ登山口というアクセスの良さのせいか、随分とハイカーの数が多い。駅前からしばらくは強烈な上り坂が続き、宝積寺に到着。山崎の戦いでは秀吉が本陣を置いたとかの話もあるけれど、山崎の戦いに関しては虚構が多すぎるので真偽は疑わしい。
ハイカーの多さにうんざりして、酒解神社を経由するメインの登山路ではなく、遠回りではあるけれど、西側の道を進むことにする。途中墓地に入り込んだりして、小さな道迷いはあったものの、無事歩きやすい道へと出る。竹林で覆われた気持ちの良い道だ。
ところが、突如進入禁止のロープが張られている。宝積寺に戻って、メイン登山道を登り直すしかないと思ったけれど、良く見ると通行止め期間は1月25日まで、となっている。多少の不安もあるけれど、ロープを跨いで進んでみる。
登り始めると、延々と九十九折れが続く。作業車が出入りする道のようで、坂が続くものの路面はよく整備されている。
道端にはミツマタの花の蕾が綻び始めている。天王山周辺はミツマタの群生地としても知られるところ。一面満開のミツマタに囲まれる頃になれば、今は殺風景な道も華やかなものへと一変するに違いない。
それにしても枝道が多い。脇道とあって、標識の類も少ない。初心者向けの山として紹介されることが多い天王山だけれど、やはり旧跡も多く、案内標識も充実したメイン登山道を進むのがお勧めだ。
天王山山頂の手前は攀じ登るような急坂になっている。山崎の戦の後、秀吉はこの山頂に山崎城を築城したということだけれど、山頂が尖がった高台のようになっている山だ。築城の際に山を少し削ったのか、それとも元々こんな地形だったのか、よく判らない。
天王山山頂(270m)。駅から1時間登った割に標高は低い。秀吉と光秀がこの要地を巡って争ったという説もあるけれど、光秀は端からこの山は眼中に無かったように感じる。事実、男山と天王山を結ぶ線よりかなり東側、現在の京都縦貫自動車道に前線を敷いているのだ。
山頂からの眺望。ひときわ高い建物は枚方市樟葉のタワーマンションのようだ。山の陰になっているけれど、手前には淀川が流れているはずだ。
城址の遺構は井戸跡くらい。もっとも井戸を掘っても水は出ず、貯水槽として使われていたようだ。京都の入口を塞ぐ要衝のように見えて、実は天王山の軍事的価値は低かったのかもしれない。真木和泉は止むなくここに籠ったけれど、意外に戦いの少ない地域だと感じる。
天王山山頂付近をウロウロと散策した後、さらに北へと進んでいく。小倉神社へと向かう道だ。いつも歩いている六甲山系とは違って、露出している岩がほとんどない。とても優しい道だ。
北に歩いたのは小倉神社ではなく、サントリー山(295m)に登りたかったから。こんな山名を目にすれば見過ごすことはできない。以前も歩いた道だけど、その時は気が付かなかった、というより、最近命名されたのではないだろうか。
山崎蒸留所の奥にある山なのでサントリー山なのだろう。サントリーの所有地とは思えない。正式な山名ではないのかもしれないけれど、この名前のお陰か登ってくる人は多い。天王山も元は補陀落山、ポンポン山は加茂勢山だったのが、通称が正式名になった例は多い。
小倉神社には向かわず、小倉山の北でUターンし、水無瀬方面へと下山する。あまり見かけることのない、登山道の脇にはテーブル付のベンチが1セット置かれている。ちょっと座ってみたけれど、かなり快適。弁当を食べたり地図を見たりするのに重宝しそうだ。
水無瀬への道は総じて下りとはいえ、2つのピークを越えていく。最初のピークが小倉山(305m)。山頂碑の脇に、何やら丸い生垣のようなものがある。何かの祭祀場のようにも見えてくる。
水無瀬への道は天王山がある尾根とは谷ひとつ隔てた西側の尾根道のはずだけれど、倒木も多く意外に鬱蒼とした道が続く。岩はないけれど、木の根っこが道を支えるように張り巡らされている。呑気に歩いていたらアチコチで躓きそうだ。
十方山(304m)。十方を見渡すことができるのか、と想像していたけれど、眺望はほぼ無い。立派な丸太を立てて、十方山と太字で刻まれた山頂碑が印象深い。
下山していくと、天王山山頂から見えた枚方樟葉方面への眺望が再び広がる場所がある。半分くらい山を下ったせいか、淀川もよく見渡すことができる。
道には凄い量の落ち葉が積もっている。サクサクと落葉を踏みしめるのは気持ちいいんだけれど、ここまで積もり過ぎると靴が完全に落ち葉に埋もれた状態で進んでいくことになる。
下山したのは、名神高速の天王山トンネル西出入口のすぐ上。上り下り各々2つのトンネルがあるので、計4本ものトンネルが天王山を貫いている。
天王山トンネルの入り口の横には水無瀬の滝がある。古くから知られたところで、和歌にも多く詠みこまれているらしい。そう聞けば風光明媚に感じるのだけれど、この滝は、天王山断層の一部らしい。そう聞くと随分と怖ろしいものにも見えてくる。
島本町に入り、JR島本駅を目指す。頭上を走る名神高速にある島本町のカントリーサインは、間違いなく、楠木正成・正行父子の桜井の別れを描いたものだ。
島本駅前にある旧桜井駅址(鉄道駅ではなく、奈良〜平安時代に整備された宿場のようなもの)先日四條畷神社で見たのと瓜二つの楠木父子の像がある。皇紀2600年記念で近衛文麿が滅私奉公と揮毫しているところを見ると、どうやらこちらの方がオリジナルのようだ。
本日の歩行軌跡。歩行距離8.7㎞、獲得標高425m。所要時間は3時間48分。達成感にはやや乏しいものの、半日程度(3~4時間)の山歩きはあまり疲れもなく心地よい。