山陽沿線ウォーク(2)垂水~明石

2017年8月6日(土)


山陽電車の創立100周年記念行事の一環として開催されている「沿線クイズ&スタンプウォーク」。今日は、第2区間の垂水~明石(約9km)を歩くことにするが、これは全6区間中、最短のもの。できれば、第3区間の明石~東二見(約14km)も制覇したいものだ。



しかし山陽垂水駅に到着したのは、ギンギラギンの太陽が頭上近くから照り付ける11時過ぎ。既に気温は35度ほどにもなっていると思われる。意外なことに、この酷暑のなかを、少なからぬ人たちが、海側に向かって歩いていく。お目当ては、アウトレットパークのようだ。



まだ歩き始めて20分ほどというのに、あまりの暑さに嫌気がさしてきた。別段買いたいものも無いのだが、冷房に引き寄せられて、アウトレットパーク巡りをする。



構内には、アウトレットとはちょっと不似合いな、神戸市立水産体験学習館がある。



垂水を出てから1時間以上も経つというのに、大半がアウトレットでのブラブラ歩きに費やされ、明石海峡大橋はまだ随分遠くにある。明石海峡大橋の根元は、明石ではなく、神戸市の舞子なのだ。明石はまだまだ先だ。



海岸から五色塚古墳が見える。日本で最初に復元整備が行われたことで知られる4世紀末頃の前方後円墳だ。あまりの暑さに、立ち寄ろうという気はまるで起こらない。



舞子の海水浴場。最近「海離れ」が顕著なんだそうだが、確かに、以前であれば、この季節の休日は、いわゆる「芋の子を洗う」状態だったように思う。そもそも、海に入っている人はごく少数で、多くは日光浴と砂遊びに興じているように見える。



明石海峡大橋の袂にある孫文記念館。このお洒落な八角三層の中国風楼閣にかつて孫文が住んでいたと、ずっと勘違いしていたのだが、実際には、神戸の華僑がこの建物を造ったんだそうだ。



舞子駅の傍、国道2号線の北側にある、「叩き地蔵」として有名な巨大な延命地蔵。木槌で、自分の体の悪いところを叩くというのは間違いで、正しくは台座の石を叩きながら祈るものらしい。「お地蔵さんは叩かないで」との注意書きが見られる。



「山麓リボンの道」の起終点の石碑がある。東西に長い神戸市の町々をリボンのように繋ぐ散策路ということだ。名前は優雅だが、全長45kmというタフなコースだ。いずれ制覇したいとは思っているのだが・・・。



須磨を超えた辺りからずっと、海岸に沿った国道2号線から、山側に高い段差が続いている。海岸段丘というものだと思う。



ようやく明石市に入る。「時のふるさと」というキャッチコピーは、子午線が通る町ということから名づけられたと思われるが、あるいは明石原人からの悠久の時の流れを感じることができる町ということなのかもしれない。もっとも明石原人は、戦時中に骨も焼失し、真偽が疑われているらしいが・・・。



大蔵海岸海水浴場。あまり人が見えない。どうして不人気なのか、よく判らない。



イボイボがたくさんついた健康遊歩道など、健康遊具が多く見られる海岸だ。
あまりの暑さに、海水浴場に近い、ショッピングモールに避難して、涼を取る。何も買わずに、館内を歩き回っているのは、体力的にプラスなのか、マイナスなのか・・・。



「大日本中央標準時子午線通過地」と書かれた厳めしい石碑が見られる。明治時代、明石が子午線の町であることを市民の多くが知らないことに憤慨した付近の学校の先生方がお金を出し合い、この石碑を建てたんだそうだ。



今は、子午線上にあたるところには、様々な標識が建ち、明石市民でなくとも、「明石=標準時」を知らない人はいないほどになっている。



子午線上に建造された明石天文台。その手前にある、山陽電車人丸駅のホームの上にも子午線が描かれていると聞く。



マンホールも「子午線のまち」をアピールしている。



正一位柿本大明神、と書かれた古い石碑がある。歌聖、柿本人麻呂を祀る神社だ。人麻呂は、存命中は六位以下の下級官僚であったらしいが、正一位とは、随分出世したものだ。さらに「人麻呂」は「火止まる」とか「人生まる」に通じることから、火防や安産の神様にもなっているらしい。



明石駅前にある明石城跡。立派な縄張りではあるが、天守閣は無い。



明石の名物をテンコ盛りに描いた自販機がある山陽電車の明石駅改札で、スタンプを貰い、第2区間も無事完歩。



本日の歩行軌跡。12km歩いたことになっているが、うち2kmくらいは、ショッピングモールでウロウロ歩いたものだと判る。



いい加減、疲れたものの、ひと頑張りして、第3区間にも手を出す。14km先の東二見を目指したが、結局のところ、暑さでヘバって、中間地点の中八木駅でギブアップ。明日(6日)に続きを歩く予定なので、その様子は、6日にアップすることにしたい。