2017年8月18日(金) ①
夏休みを取ったとはいえ、ラフな格好で町中に出るのは、何だか気が引ける。ということで、以前から気になっていた三木鉄道(旧JR三木線)の廃線跡を探索することとする。廃線から10年近くが経つが、Googleの航空写真では、はっきりと鉄道跡を確認することができる。
三木には、いつも神戸電鉄の粟生線で行くのだが、今回は、三宮からの神姫バスを利用する。JR高架下のスペースが上手い具合にバスの車庫になっている。
観光バス仕様の西脇行の路線バスには乗客わずか6名。粟生線の経営も苦しいようだが、バスの方も厳しそうだ。
さあ、かつての三木鉄道の三木駅にやってきた。今は三木鉄道記念館として駅舎をはじめとした鉄道遺産を活用した憩いの場になっている。ここには何度も来たことがあるが、ここから7kmほど離れた加古川市までの厄神駅まで、かつての鉄道跡を探索する。
旧三木駅からしばらくの間は公園になっていて、鉄道のレールの間にコンクリートを敷き詰めた遊歩道になっている。かつての信号機なども多く残されている。
公園を出ても、いい感じの遊歩道になっている。しかも、自動車はもちろん、自転車でさえ進入禁止となっていて、ウォーキングにはもってこいだ。もっとも、こんな歩きやすい道だというのに、他に歩いている人は一人も見当たらない。
駅舎が現れた。別所駅の跡らしい。ここだけはレールやプラットホームも残されている。もっとも駅舎は、元のままではないかもしれない。最近になって改築されているように思える。建物の半分はトイレ、半分は待合室風の休憩所になっている。
田んぼのなかを、まっすぐな道が西に伸びている。長閑な田園風景のなかを走る列車を思い描きながら、真夏のウォーキングを楽しむ。
この辺りは、山田錦をもっぱら栽培しているようで、あちらこちらに、特定の酒蔵の契約栽培であることを示す幟が立てられている。それにしても、このあたりには人の気配さえ感じられないのだが、誰に向かってアピールしているのだろうか・・・。
旧三木駅や旧別所駅の付近を除くと、意外なまでに鉄道の残骸が見当たらない。良くも悪くも綺麗に撤去されてしまったようだ。ごくわずかに、鉄道時代からの構築物と思われるブロックなどが継続利用されているところも見られる。
おそらくは枕木を再利用したと思われるベンチや花壇なども、見られる。
三木と厄神の間に7つの駅があったはずだが、別所駅以外に、駅の跡のようなものを見つけることができない。一方で、線路跡は、随分としっかり保全されている。車はもちろん、自転車もトラクターも使えないこの道を大切に守っていることに頭が下がる思いだ。
しばらく進むと、再び駅の跡にやってきた。何の表記もないが、どうやら石野駅の跡のようだ。ここも別所駅と同様、プラットホームと、レールが残されている。
実際に駅舎として使われていたものだろうか。別所駅とほぼ同じ形・スタイルのもので、築10年くらいだろうか・・・。駅舎として使われていたにせよ、その後改築されたにせよ、「石野駅」の表示くらいは残しておいてほしかった。
整備された鉄道跡遊歩道を快適に歩いてきたが、鉄道跡は、突如として、林の中に突入する。ホントにここに鉄道が走っていたのだろうか・・・。
林の中をしばらく進むと、鉄道の設備が少し残されている。間違いなく三木鉄道の跡だ。しかし、左右から木々の枝が迫り、地面はデコボコのうえに、草ぼうぼうだ。どうやら加古川市に入って、急に道が悪くなったようだ。三木鉄道に対する三木市と加古川市の思い入れの差を如実に見せつけられたように感じる。
ついに、道は深い藪で覆われてしまう。思いもよらず藪漕ぎで進むことを強いられるが、足を絡みつく蔦や、トゲトゲの草が多い。気楽な廃線跡歩きのつもりで、半ズボンでやってきたことが悔やまれる。ようやく藪を脱出したが、足には無数の擦り傷、さらに靴下にはビッシリと「ひっつき虫」と呼ばれる種子が張り付いていた。
付近にあった古い住宅マップによると、ここが宗佐駅の跡らしい。そうと知らねば全く気が付かない。
頑張って草ぼうぼうの鉄道跡を歩いてきたが、道路を跨ぐ橋が無い・・・。加古川市内は、廃線跡歩きは諦めた方がよさそうだ。
一旦戻って、先ほどの跨道橋跡にやってきた。橋は無くなっているのに、3.6mの高さ制限標識だけは残っている。
その後も、廃線跡からなるべく離れないように、ジグザグに歩いていく。この写真を見て廃線跡と気付く人はまずいないだろう。ただの土手にしか見えない。
道路と交わるところに、少しだけだが、もともと鉄道だったことを匂わせる構造物があるにはある。
レール跡が残された道もあったりするが、それもごく一部。正面の建物は厄神駅に隣接したJRの車両基地だ。
厄神駅。今はJR加古川線のみが発着する2面2線のホームだが、右側の草地がかつてのJR三木線(後の三木鉄道)のためのものであったことは間違いない。
歩行距離はたったの8km。前半は極めて快適なウォーキング道路だったが、加古川市内に入ってからは苦労させられた。土地の所有権はおそらく加古川市にあると思えるのだが、多少なりとも整備する気はあるのだろうか。