堺散策(阪堺・南海からの挑戦状)

2018年8月20日(月)


「阪堺・南海からの挑戦状」という謎解きラリーが堺市内で開催中だ。謎を解きながら埋蔵金を探し出すという、子供向けとも思えるイベントだが、散歩がてら参加してみることにしよう。



南海本線と高野線の間には、阪堺電車も通っているしバスも多数走っている。特に堺駅と堺東駅を結ぶシャトルバスは、黄金の町をイメージしたカラーリングに南蛮人のイラストなどが描かれていたりして興味深いものだが、乗り物は使わず歩き回ることにしよう。



パンフレットでは、南海堺駅と堺東駅の間の2km四方も無いエリアが掲載されていることから、さほど歩くことはないはずだ。せいぜい歩いても数キロ程度のものだろう。



まずパンフレットに記載されているヒントをもとに、第一のチェックポイントにやってきた。簡単なクイズなので、ここで間違う人はまずいないだろうが、ここがどこかは伏せておこう。ここで、写真が4枚並べられていて、それをヒントに第二ポイントに向かう。



第二ポイントに行くと、再び新たな謎が出題されていて、次のチェックポイントに向かう・・・。といったことを繰り返して、埋蔵金の在り処を探すという仕掛けだ。謎解きの詳細を紹介する訳にはいかないので、以下、くれぐれもネタバレにならない程度にこの日のウォーキングで見たものを順不同で書き並べることにしよう。



堺東駅周辺では、かつてスーパーがあったところが、再開発中。一体何ができるのだろうか。政令指定市堺の中心部だけど、大型商業施設は成立困難なような気がしてならない。



観光案内所があったところも今では空地になっている。堺東の中心となる四つ角で、市役所と南海堺東駅以外の、二つの角地が空地になっている。



堺には長らく酒造メーカーが無かったのだが、3年ほど前に、堺泉酒造という醸造所が復活した。「千利休」という銘柄は、どうもお酒っぽく感じられず違和感があったが、PR効果が浸透してきたようで、最近では町のアチコチで目にする。



ベトナム総領事館。大阪市外の在関西の総領事館は例が少ないが、堺市が随分熱心に誘致したのだろうか。ピカピカに輝く金色の標札が他のビルと格の違いを感じさせる。



堺の町中は史蹟の宝庫のはずが、20~30年ほど前はほとんど説明板も無く、観光客誘致にはまるで熱心ではなかったように記憶している。最近では豪商今井の屋敷跡など、随分と興味深いものが紹介されるようになった。



こちらは千利休屋敷跡。大したものは無いと思うだが、ボランティアの方が観光客に説明案内をするために待機している。堺を訪問する観光客が近年急増しているとも聞くが、これらのボランティアさんの頑張りも一因に違いない。



小学校の正門前に与謝野晶子の歌碑がある。5年前の記事によれば、堺市内には与謝野晶子の歌碑が23もあるという。おそらく更に増えているに違いない。



以前から気になっているのだが、道路上に史蹟を案内している「てくてくろーど」なるサイコロのイラストが嵌め込まれている。が、賽の目が意味するところが良く判らない・・・。



大安寺。納屋(呂宋)助左衛門が、秀吉に睨まれてルソンに脱出するにあたって、壮麗な自宅を寄進したと言われるところだ。当時の建物が残っているのか気になったが、立入が制限されていた。



南宗寺。実は大坂夏の陣で落命したとも伝わる徳川家康の墓があることで有名なところだ。墓石付近の建物の屋根瓦には三つ葉葵紋があしらわれている。



堺市のマンホールは、灯台、ホタル、南蛮船など、様々な絵柄が混在していて、どの絵柄をメインにするつもりなのか、少々節操の無さも感じる。



絵柄は多数あるのだけど、何故か最近流行りのカラーマンホールを見かけたことがない。ところが「さかい利晶の杜」の前に、いくつものカラーマンホールがあるのを発見。よく見ると、おそらく子供たちによりペイントされたもののようだ。



南海堺駅近くの栄橋。今まで気付かなかったが、鳥が羽根を広げたデザインになっている。おそらく堺のメイン道路の名前にに因んで、フェニックスをモチーフにしたものと思われる。



と、まあ、アチコチ歩き回って、各ポイントのクイズを解いていくと、宝箱に辿りつく。レベルの低いオチに愕然としてしまった。



どこをどう歩いたかもネタバレになるので、歩行軌跡のアップも控えておく。