柳生街道(奈良~柳生)

2019年6月1日(土)


長らく歩いていなかった柳生街道に出掛ける。台風などの影響で長らく通行できない区間があったのだけど、無事復旧したらしい。



近鉄奈良駅をスタートして柳生を目指す。鹿飛び出し注意の標識が立ち並ぶ奈良公園の横を通って、街道を目指す。以前は2回に分けて柳生から奈良まで歩いたけれど、今日は20kmほどの道程を一気に歩きとおしてみよう。



春日山と高円山の谷合に通じる「滝坂の道」は石畳が敷かれた静かな古道。江戸時代に柳生の剣を修めるべく武士たちが行き交った頃から木々や岩々の佇まいは変わっていないように思える。



思っていたよりも坂はきついけど、渓流や緑だけではなく、ところどころに見られる石仏などもあって、テンションを高めてくれる。鎌倉期の摩崖仏は朝日観音像という名のとおり、朝日に照らされるお姿が美しいそうだけど、早朝以外には暗くてうまく写真にさえ撮れないらしい・・・。



首切り地蔵。剣客荒木又右エ門が試し切りをしたということで、お地蔵さんの首のあたりに切れ目がある。



長い坂道を登り切ったところにある、何百年もの歴史を持つ「峠の茶屋」。お店の人がハイカーに休憩を呼び掛けている。ここで飲料を購入するつもりだったんだけど、何故か水とかお茶がなく、甘い飲み物しか無かった・・・。「名物味噌汁」と書かれた貼り紙も気になったけど、喉が渇きそうなので止めておく。



山間の集落に入り、しばらくの間、舗装道を進む。このあたりは誓多林(せたりん)という町なんだそうだ。いかにも由緒ありそうな地名なので気になって調べてみたところ、インドの聖地から名付けられたとのことだ。



誓多林の集落を出て再び山道に入る。既に石畳はなく、鬱蒼とした森を抜ける道だが、これはこれで楽しい。



奈良時代の開山と伝わる忍辱山円成寺。美しい庭園が楼門前に広がっている。ここが丁度中間地点。パンフレットでは「清滝の道」はここで終わり、この先は「剣豪の道」として紹介されている。



忍辱山で昼食休憩をとったせいか、急に疲れを感じてきた。さらに道も、あまり楽しくない普通の山道になってきた。あまりアップダウンが無いのはいいけど、道端に洗濯機などの不法投棄が目立ち、どうも気分が乗ってこない。



山を抜けて大柳生地区に入ってきた。ややこしいことに、柳生と大柳生とは違う町だ。かつてはいずれも柳生藩の領地だったけど、廃藩後は各々独立した村になり、今は共に奈良市の一部になっている。



大柳生の氏神、夜支布山口神社が、その名の通り山の入口に建てられている。ひっそりとした場所だが、広々とした拝殿や朱塗りの本殿などが並ぶ、なかなか立派な神社だ。 



夜支布山口神社から暫く進んだ田園のなかに、突如水木古墳が現れる。6世紀後半のものだそうだが、蓋は無くなってはいるものの石室の石垣が綺麗に保存されている。



山に囲まれた隠れ里のようなイメージが強い大柳生だけど、歩いてみると結構広い。棚田になっているところが多いが、田園地帯は意外に広い。



大柳生の町を貫くように県道が走っているのでけど、手元のパンフレットは県道を避けるように細い畦道を伝うように山沿いをジグザグに進むように案内する。



ここまで快調に歩いてきたけれど、わずかなアップダウンと悪路を進んでいると、急激に疲労感が沸きあがってきた。



おそらく県道を進んでいれば、どうってことがない距離だと思うけど、ちょっとした山道に苦戦して、再び大柳生の集落に出たところに南明寺という8世紀に創建された古刹がある。鎌倉時代に建てられたものが良く保存されているらしいが、拝観には予約が必要らしい。



柳生街道には要所に道案内の標識が建てられている。柳生の入口にある疱瘡地蔵まで残り1.8kmとある。面白いことに、公衆トイレの案内もされている。ハイカーにはとても大切な情報なんだけど、こうした道案内標識はあまり見かけない。



お藤の井戸。柳生但馬守宗矩が、ここで洗濯していたお藤を見初めて妻として迎えたそうだ。殿様の問い掛けに頓智の効いた返し方をした才気が気に入られたという話の一方で、「仕事せえでも器量さえよけりゃ、お藤但馬の娘になる」という戯れ歌も残っているようだ。



お藤の井戸などで、頭のなかが江戸時代モードになっていたせいか、道端の案山子が磔にされている罪人のように見えてくる。鳥たちにはどう映っているかは判らないけど、古着をしっかりと案山子に着せているだけに遠目にはかなり人間っぽい。



さあ、柳生まではあと一つ山を超えるだけ。阪原峠に向かう。路面は簡易舗装が施されているのだけど、これがとんでもない急坂。20kmほど歩いてきた足腰は悲鳴をあげ、太腿や脹脛の痙攣が続く。腰を下ろすところもなく、立ち止まって痙攣が治まるのを待つことを繰り返しながら、ヨロヨロと進んでいく。



登りが急坂であれば、当然のことながら下りも急坂。お尻から滑り落ちていきたくなる。



ヘトヘトになって疱瘡地蔵に到着。てっきり疱瘡(天然痘)で亡くなった方々を弔った地蔵かと思っていたけど、鎌倉期に作られたというお地蔵さんのお顔の一部が崩落していたことから名付けられたものらしい。室町時代の一揆で徳政令を勝ち取った記念に彫られた文も興味深い。



覚悟していたより随分快調に歩いてきたのだけど、道程の最後の1割でドッと疲れ果ててしまった。予約を入れていた柳生の民宿に一泊するも、階段の上り下りがひどく辛かった・・・。



歩いてきた標高の記録。峠の茶屋までは登りばかりが続いていた割には元気に歩けた。最後のひと山が阪原峠だけど、奈良から峠の茶屋までの何倍も苦しい道だった・・・。



およそ10年前に近鉄のテクテクまっぷを片手に、柳生から奈良まで2度に分けて歩いたのだけど、逆コースのせいか、当時の記憶とは随分景色が異なって見えた。柳生で一泊して、明日は柳生周辺を探索して、笠置に向かう予定だ。