難波宮地下探訪

2019年7月13日(土)


大阪歴史博物館で難波宮遺跡探訪ツアーが開催されている。大阪のど真ん中にあって頻繁に目にするのだけど、実のところ難波宮って、よく知らないのだ・・・。



谷町4丁目にある歴史博物館(右)。背中合わせになっている左側の四角いビルはNHKだ。もともとは3階建くらいで計画されていたものが、難波宮遺跡を保全するため、建築面積を極小化し、ビルを高層化したと聞く。



歴史博物館に入ると遺跡探訪専用の受付カウンターがある。意外に人気のツアーなのかとも思ったけれど、この日の参加者は5名だけだった。



歴史博物館の床の一部はアクリル板で地下の遺跡を覗くことができる。柱の跡なども見えるけれど、上から覗いているだけでは、どうもピンとこない。今日のツアーでは、地下に降りてこの遺跡を間近に観察することができるはずだ。



まずはボランティアの方が、パネルを使って難波宮の概要を説明してくださる。ややこしいことに、大化の改新直後に造営された前期難波宮と、奈良時代中期の後期難波宮がほぼ同じ場所にあったという。



これまで気付かなかったのだけど、NHKのホールの床にある丸いタイルは、前期難波宮の大型倉庫群の柱の位置を示しているそうだ。



いよいよ地下遺跡へと進む。ビルの裏手にある防災センター入口と書かれた階段を下っていく。



階段を下りたところに、地下遺跡が眠っていて、ガラス越しに観察できるようになっている。地下の遺跡を残しながら、その上にビルを建てるのは相当な苦労があったに違いない。



地面と柱跡の穴が並んでいる。よく見かける遺跡の風景とはいえ、地下にあることが異様だ。上水なのか下水なのかは不明だけど、石組みの水路なども確認できる。



遺跡ツアーは、30分ほどで終了。あとは勝手に周囲を見て回る。前期と後期の難波宮があったというだけでもややこしいのに、さらにその前の古墳時代の遺跡も発掘されているようだ。歴史博物館の前に建つ倉庫も古墳時代のものを再現したものらしい。



よく見れば、大阪メトロの谷町4丁目駅の入口も、どこやら古墳時代の高床式倉庫をモチーフにしたもののようだ。



中央大通りの南側には、後期難波宮の大極殿や朝堂院の跡が残されている。といっても目立つのは大極殿の基礎部が、イベント用の舞台のように再現されているばかりだ。一等地だから、といって無理に整備する必要はないけど、なんだか中途半端感は拭いきれない。



戦後発見された難波宮跡だけど、この地が長らく陸軍の歩兵第八連隊が駐屯していた地であったため市街地化が進まず遺跡が破壊されずに済んだことが幸いしたそうだ。



難波宮跡のど真ん中を突っ切る中央大通りと、その上を走る阪神高速道路。この辺りでは遺跡保護のため、高速道路は杭を使わず建設されているらしい。



難波宮近くの駐輪場。どうやらレンタサイクルと見間違える外国人旅行客が多いようだ。駐輪されている自転車を見れば解りそうなものだと思うのは地元の人間の勝手な思い込みのようだ。"Not! Rental Cycle"との英語での注意書きがある。