大阪城 櫓めぐり

2019年7月7日(日)


大阪城の3つの櫓(多聞櫓、千貫櫓、焔硝蔵)が特別公開されている。天守閣とセットになった入場券は1200円と、ちょっと高いけど、せっかくの機会なので出かけることにする。



大阪城天守閣。この近所に住んでいたころは、毎朝ラジオ体操に通っていたこともあって、もう何百回も来ているんだけど、天守閣には30年ほども入城していない・・・。



いつの間にやら、大阪城は外国人観光客であふれかえるほどの人気スポットになった。おそらくは来訪者の半数以上(8割くらいとさえ思える)が海外からのお客様だ。さまざまな言葉が飛び交う天守閣前広場は、かつての大阪城を知る者からすれば少なからず違和感はあるけど、喜ばしいことだ。



観光客で賑わう広場の真ん中には大阪城ラジオ体操会の朝礼台が自らの存在を打ち消すようにひっそりと蹲っている。



さあ、ウン十年振りに大阪城天守閣に入城する。入口で「お城のドン」で有名な大砲が出迎えてくれる。幕末に天保山砲台に据え置かれていた和製大砲が、維新後は大阪市民に正午を告げる号砲として大阪城に移設したものだ。音が凄すぎて大正末に号砲は取りやめになったと聞くが、一度どんな音なのか聞いてみたいものだ。



天守閣の8階部分にあたる展望台から南方を見渡す。今や大した高さとはいえないけれど、鯱を見下ろしながらの天守閣からの眺望は格別なものだ。



これまで天守閣といえば、城郭の説明に加えて、刀剣や甲冑、そして古地図や古文書などが並んでいるというイメージが強いが、最近はジオラマなどビビッドな展示が増え、兜や陣羽織を試着するような体験型展示が増えている。



入館者1億人達成の記念スタンプが設置されている。突破したのは2年も前のことなんだけど・・・。入場料の違いなどもあって一概な比較はすべきではないかもしれないけど、大阪城が長らく日本一の入城者数を誇っているはずだ。



 久しぶりの天守閣見学を終え、いよいよ櫓めぐりだ。まずは大手門をまたいで建つ多聞櫓だ。江戸時代初期に建てられたものは落雷で焼失し、幕末に再建されたものが現存している。



大手門を守る長い渡櫓部。廊下の左側には、門に攻め入ろうとする敵を狙う鉄砲狭間が並び、右側には武者達が休憩できる溜り部屋が並んでいる。



鉄砲狭間。床に寝転んで射撃することを想定したものだろうか。ずいぶんと低いところに作られている。



渡櫓の真下にある大手門を打ち破ろうとする敵を頭上から狙う「槍落とし」。



何度も潜っている大手門だけど、まさか門上の櫓に隙間があって槍が落とされるような仕掛けが施されているなんてずっと知らなかった・・・。



続いては大手口に通じる橋を横手から守る「千貫櫓」。信長がこの地に立て籠もった石山本願寺を攻めた際、あの櫓を落としたものには千貫文(今の貨幣価値なら2億円くらい??)を与えるとか言ったことからその名が付けられたという。



もっとも当時の櫓とは異なり、現存するものは江戸初期に再建されたものだ。それでも築後400年。天災や戦災を免れてよく残ったものだ。

千貫櫓の内部。大手口を狙う鉄砲兵の人形が置かれている。

 お城の北西角を固める乾櫓。堀に面したL字型の櫓だ。これも江戸時代に建てられた重要文化財だけど、今回の公開では対象になっていない。



今回公開対象となっている3つ櫓の最後となる焔硝蔵。今で言うところの火薬倉庫だ。これも櫓のうちなんだろうか・・・?。



なにぶん火薬を格納するわけだから、耐火、耐水には万全を図らなければならない。天井も壁も床も分厚い花崗岩でできている。



こうして櫓や堀を見て回ると、大阪城ってちょっとやそっとでは落城するとは思えない。家康に騙されて外堀や内堀を埋められてしまった大阪夏の陣も愚かな戦いをしたものだが、鳥羽伏見で負けて薩長軍にあっさり開城してしまったのも納得できない。上野の山に彰義隊が籠るより、遥かにいい戦いができただろうに・・・。