2019年7月20日(日)
山陽電車が忍たまスタンプラリーを開催中。忍たまといえば、作者の出身地、尼崎が聖地化していて、自身数々のイベントにも参加したものだ。まあ夏休みの電鉄各社は、集客力のある人気アニメの争奪戦の感が強い。
実は昨日、姫路に出掛けた際にいくつかのスタンプをゲットしようとしたところ、姫路駅は改札外だったのに、飾磨駅は改札内にスタンプがある。そのまま山陽電車に乗って、スタンプポイントである明石、垂水、板宿と途中下車していったところ、全てが改札外だった。
ウォーキングのネタとしてのスタンプラリーのつもりが、電車に乗るだけで全スタンプを集めてしまった・・・。これではウォーキングスタンプラリーストとは言えない。ということで、あらためて、せめて明石から板宿までを歩いてみることにする。
明石駅からすぐ、最近明石市長が道路拡幅のための土地買収の遅れに業を煮やして暴言を吐いたとのことで話題になったところに差し掛かる。既に道路拡幅のための用地は確保されたようで、以前の建物も撤去されている。
東経135度上に立つ明石天文科学館を横目に国道24号線を西へ西へと進む。国道沿いにも日本標準時子午線を示す標識が建てられている。
なんとこの辺りの地名は「天文町」。少なくとも源平合戦の頃からの歴史ある土地なのに、いつこんな名前が付いたのだろうか。しかも天文台があるのは人丸町なんだよなぁ・・・。さらに郵便局は「明石子午線郵便局」と名付けられている。
人丸前駅と大蔵谷駅の間にある稲爪神社。神社の縁起にぶったまげた。推古天皇の時代に朝鮮半島から不死身の鉄人率いる軍勢が押し寄せ、九州を突破されたが、明石の浜で神のお告げ通りに鉄人の弱点である足の裏を矢で射ることで勝利したらしい。
大蔵海岸を朝霞駅に向かってノンビリと歩いていく。明石海峡大橋が見えてきた。あの橋の袂でようやく全行程の3割といったところだ。まだまだ先は長い。
神戸市と明石市の市境にやってきた。海岸に沿ったごく狭い平地にJRと山陽電車が併行している。
明石海峡大橋の袂にある舞子公園。松林が分厚く、国道ではなくて公園道路を歩いているような気分になる。
垂水駅のすぐ近くにある海神社。ずっと「うみ」神社だと思っていたけど、正しくは「わたつみ」神社だと知る。三韓征伐の帰路、神功皇后が大嵐に遭ったが、神に祈りを捧げたところ嵐が治まったことに由来する神社だ。でも、似たような話が他のいくつかの神社にも伝わっているように思う。
山陽電車の東垂水駅。すぐそこに見えるんだけどホーは遠い。ただでも海に接するような斜面の上にある駅なのに、さらに間にあるJRの線路を長い歩道橋で超えて行かなければならない。
海岸沿いにある浄水場を目隠しするように作られた平磯緑地。ひまわりがたくさん咲いている。「まだ予定の半分しか歩いてないぞ、頑張れ」と沿道から声援を受けているような気分になる。
六甲山系の西端となる須磨の山々が見えてきた。海岸の手前で特に急坂になっていることがよく判る。義経主従が馬で駆け降りたと伝わるところだけど、俄かには信じ難い。
海と町の間の狭い空間を縫うようにJR、山陽電車、それに国道2号線が通っているものだから、このあたりには小さな歩行者用踏切が多く見られる。遮断機の腕木がやけに短い。
一の谷合戦で16歳という若さで討死した平敦盛の首塚が須磨浦公園の片隅にある。首塚の前に「敦盛そば」という蕎麦屋がある。もり蕎麦と敦盛をかけた駄洒落のような店名とも思えるけど、実は古くからある有名店だ。最近は店主の高齢化のせいか、閉店が続いているようで、気になっている。
源平合戦の舞台となった須磨浦公園には「戦の浜」の石碑が立つ。美しい海浜のせいか古戦場にありがちな禍々しい雰囲気は感じられないところだけに、ストレートなネーミングに違和感を覚える。思い付きだけど「落蝶の浜」なんてどうだろう・・・。
須磨を突っ切って目的地の板宿に向かう。須磨寺の近くにある菅の井。菅原道真が大宰府に左遷された際に立ち寄ったと伝わるところだ。兵庫県南部はとにかく神功皇后と菅原道真の伝承がやけに多い。
妙法寺川に沿った緑地公園を北へ。板宿はもうすぐそこだ。
板宿駅に到着。忍たまの大型パネルが設置されている。
各駅のスタンプも6つ集まった。もっとも今回の場合、歩く前からコンプリートされていたのだけど・・・。
コンプリートのご褒美は「にんたまの友」と表紙に書かれたノート。
中を見てみると、なかなか凝った作りで、各ページに忍たまのキャラクターなどがカラフルに印刷されている。
本日の歩行軌跡。幸い今日はGPS信号のトビも無かったようだ。およそ20km。単純な距離計算では16kmくらいなんだけど、小さなトビがあるのか、どうしても多めの距離になってしまう傾向があるようだ。