百丈岩(神戸市北区)

 2021年9月27日


JR道場駅から神戸市内とはいえ人家も疎らな田園地帯を抜け、ロッククライミングで有名な百丈岩に向かう。ロッククライミングはもちろん、百丈岩の下を流れる鎌倉峡の遡上も無理だけれど、登山道で百丈岩を登り、鎌倉峡を遠巻きに周回するコースを歩いてみたい。



山に分け入っていくにつれて百丈岩が目の前に姿を現す。百丈(300m)というのは大袈裟かもしれないけれど、100mはゆうに超えていそうな巨岩だ。大きさだけでなく、ほぼ垂直にそそり立つ岩壁の迫力が凄い。この岩壁を登攀するなんて人間業とは思えない…。



百丈岩の麓にある茶屋「すずらん」。鎌倉峡への入口にもなっている。百丈岩に登る前に少し鎌倉峡の様子を見に行ったけれど、急流の渓谷の岩肌にしがみ付くように遡行するなんて、技術的にも体力的にも手に負えそうもないことをあらためて確信する。



百丈岩を訪問したと伝わる第5代執権北条時頼の碑がある。水戸黄門の諸国漫遊のモデルとなったとも言われるが、最高権力者の廻国伝説なんてどう考えても作り話だ。でもこの鎌倉峡や宝塚の最明寺滝(最明寺は時頼の法名)など時頼に由来する地名は確かに存在する。



登山開始。いきなり、これって一般コースかぁ…というような岩場が待ち構えている。ポンコツハイカーにとっては結構厳しい急勾配だ。何本もの急勾配の岩場が続き、序盤からかなりの体力が消耗され、息切れも激しい。



大して暑くもないはずなのにスマホが温度上昇で撮影不可になることが続発。気温ではなくて体温を検知しているのだろうか。後続者の気配を感じると、安全に追い抜いてもらえるような場所で待機することを繰り返す。もとより休憩無しで一気に登り切る体力もない。



急な斜面を登っていくと、次第に百丈岩の全貌が見渡せるようになってくる。切り立った岩壁を攀じ登るどころか、あの岩の上に立つことを考えるだけでも背筋が凍り付いてくるような気がする。



スマホの冷却とか、後続ハイカーの追い抜き待機とかを理由にしながら、何度も休憩を挟みながらも登山口から20分ほどで百丈岩のテッペンまで登ってきた。



恐る恐る百丈岩の先端へと進んで行くが、これ以上先に進めない…。岩の上に座り込んで、眺望と風を楽しみながら火照った体をクールダウンする。それにしてもロッククライマーの勇姿には見入ってしまう。女性のロッククライマーも多そうだ。



百丈岩の上で20分ほども休憩し、静ヶ池方面に向かう。登ってきた道とは違って随分と平坦な道だ。岩場の急斜面を登ったせいか、ロッククライミングを間近に見たせいか、妙な高揚感がいつまでも消えない。



「歩けることは、ありがたや」 ホントにそのとうりだ。シンプルな言葉が心に深く染み入る。12年前の滑落事故で3ヶ月の寝たきり入院。再び満足には歩くことはできないと半ば覚悟していた。今も股関節は痛む。右足は思うようにあがらない。でも歩けている。



静ヶ池。名前のとおり静かな溜め池だ。百丈岩の感動に加えて「歩けることはありがたや」という言葉にやられてしまって、なんだか今日はお腹いっぱい、胸いっぱい、の気分だ。予定を切り上げて道場駅に戻ろうかと考えながら、しばらく池面をボンヤリ眺めていた。



しばらくのクールダウンの後、予定通り鎌倉峡を時計回りの周回べく歩き始める。意外にも歩きやすい平坦な道が続く。林のなかをのんびりと歩いていく。



平坦な道がいつまでも続くはずもなく、徐々に道は荒れてくる。ザレた坂を慎重に下っていく。



小さな沢が現れた。水量も多くなく無理なく渡渉できた。途中出会ったハイカーに、この後に控える鎌倉峡の渡渉は水量が多いときは難しいことを教えていただいたけれど、渡れないとなれば実に厄介なことになる。



坂をどんどん下り、鎌倉峡(船坂川)が現れた。ゲゲッ、これは川というより池のようではないか。流れも緩やかなものではない。



一瞬焦るが、下流の方には石が多く、渡れそうなところがある。しかし浮石ばかりだ。転倒するのが最悪なので、危なっかしいところは敢えて水の中に入っていく。ゴアテックスとはいえ、靴への多少の浸水は覚悟のうえだ。



靴の中に少々水が入り込んだけれど、歩くには支障が無い。鎌倉峡渡渉以降はさほどの難路ではないはずだ。



平田浄水場まで下りてきた。ここまで来れば、あとは神戸市の「太陽と緑の道」の標識に導かれて道場駅に戻れるはずだ。浄水場には立入禁止の札が掛けられている一方で、人が水を汲むピクトグラムがある。災害時などにはここで給水できるのだろうか。意味が判らない。



新名神高速のトンネルの上にやってきたところで、「太陽と緑の道」の標識がおかしい。道場駅方面が指し示している先は、高速道路の真上で、立入禁止の柵が設置されている。新名神の建設でハイキング道が無くなったのだろうか…。



しばらくすると新名神の路側に入り込めるところがあった。なるほど、ここが新名神建設に伴って新設された代替のハイキング道か、と思いこんでしまう。遠くに百丈岩を見ながら呑気に進んでいったけれど、蜘蛛の巣だらけの雑木林に繋がっているだけだった。



結局、草で覆われた、道のような、道ではないようなところを進んでいくしかなさそうだ。まあ、方向は間違ってないようだ。



最後は、ひどく急な階段を下っていく。手摺りは付いているけれど、幅はひどく狭い。不思議な階段なので不安だったけれど、無事道場駅まで戻ることができた。



本日の歩行軌跡。歩行時間4時間半、距離は9.7㎞。相変わらず標準タイムを大きく上回るノンビリペースだったけれど、充実した山歩きができた。



標高グラフ。序盤の百丈岩への登りの急勾配がよく判る。



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2012年の4月に始めたブログも、いつの間にやら今回で1000本目の投稿になりました。自分自身の街歩き、山歩きの備忘録のために書き綴ったもので、読者の方々にはおそらく判り難い記録になっているにも関わらず多くの閲覧を頂いていることを嬉しく思っています。

「忙中閑歩」とは「閑歩(ぶらぶら歩き)」と「忙中閑あり」を組み合わせた造語です。「忙中閑あり」という慣用句には、「忙しいなかにも閑な時間はある」という表面的な意味の奥に「多忙を極めるなかで捻りだした閑でこそ、真に充実した時間を楽しめる」という人生訓があると考えています。難しい仕事に忙殺される日々が続くなかでのウォーキングは荒ぶった気持ちを鎮め、そして鈍った体に喝を入れてくれました。そして新たな視点や発想に気付くなどの成長の機会でもありました。

とうに還暦を過ぎて仕事も一段落しましたが、今も怒りや悲しみなどのネガティブな感情に気持ちは支配されがちです。一方で足腰は古傷の痛みが慢性化しているうえに老化による筋力や柔軟性の衰えが顕著です。これからも歩くことは歪んだ心身のバランスの回復のための貴重な時間であり続けると信じています。   

~歩けることは、ありがたきかな~

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大倉山・亀山・的場山・鶏籠山(たつの市)

 2021年9月23日


西播磨山城スタンプラリーの4城めに選んだのは龍野古城。室町時代後期の城だ。ついでに南北朝~室町前期の城山城、江戸時代の龍野城の3つの城を巡ることにする。相生市との市境に近い菖蒲谷公園の西の峠池から出発だ。公園の端にはカリオンがある。掲示されている楽譜は、龍野出身の三木露風が作詞した「赤とんぼ」だ。



メジャーなハイキングコースではないと思っていたけれど、よく整備された道が続く。標高350m地点からのスタートだけに30分ほどで大倉山(520m)に到着。積み重なった岩の脇に小さな石の祠の横で、未だ11時というのに早くも昼食休憩。腹が減ってたまらない。



大倉山から大成池に向かう山稜の展望台にメガホンのような奇妙な器具が設置されている。サウンドスコープという集音装置で、耳を当てれば野鳥のさえずりがよく聞こえるようだ。道中には鳥の巣箱も多く見られたけれど、あいにく耳をあてても何も聞こえなかった…。



鳥はいなくとも蜘蛛の巣ばかりは多い道を歩き、大成池までやってきた。標高400mほどにある溜め池だ。ここから、さほど遠くないはずの屋敷台という山のピークの獲得に向かうものの、道が判らず止む無く撤退。30分以上の時間とエネルギーを無駄遣いしてしまった。



大成池から連なる新池を横目に見ながら近畿自然歩道にもなっている快適な林道を進んで行く。屋敷台のピーク探索に余計な体力は使ったものの、最近の調子のあがらない山歩きが続いているだけに、マイペースを強く意識しながら歩いていく。今日は調子が良さそうだ。



と思ったものの、予定しているコースの終盤に予定している的場山(大きなアンテナがあるのでよく判る)の遠景を見てちょっと気持ちが萎えかける…。山歩きでは平地と遠近感は全く違ってくるのは判ってはいるけれど、どう見ても遠く感じる。大丈夫かぁ…。



大成池、新池から亀ノ池に向かう。亀ノ池を水源とする渓流に沿った道までやってきて、昨年春に逆方向に歩いた記憶が徐々に蘇ってきた。渓流で手と顔を洗い、気分をリフレッシュする。



亀ノ池。昨年はもっと水量が少なくて、池岸は砂浜のようになっていたはずだけど、今日は満々と水を湛えている。



蜘蛛とトカゲ(カナヘビ?)は少なくないけれど、蜂、ヤマビル、蛇など特に厄介な生き物達には出会うことなくここまでやってきたけれど、1mをゆうに超えるヘビの抜け殻を発見。脱皮して間もないように見える。出くわしたくないなぁ…。



亀岩。これは2匹と見るべきなのだろうか。そこかしこの山に亀岩と呼ばれる岩があるものだ。ちょっと安易なネーミングとも思えるけれど、代替案も思いつかないし、登山道の目印にもなる大岩だけに名前を付けない訳にはいかないことも理解できる。



亀岩あたりから、登山道には赤いテープが巻かれた木が多く見られるようになる。メインの登山ルートに入ったという安心感が生じる一方で、亀山(きのやま)への登りが続き、徐々に足腰の疲れも感じ始めた。



亀山(457m)の頂上に到着。亀ノ池、亀岩、亀山、と亀だらけだけれど、亀山は「きのやま」と呼ぶだけに「城の山」が転じたものだろう。「木の山」とも書くらしい。もっとも城跡は頂上から少し低いところにある。



嘉吉の乱で時の将軍足利義教を暗殺した赤松満祐が籠った城山城址。周囲には石塁が残り、本郭があったという平地はかなりの規模を感じさせる広さだ。行先案内の上に「城」の部分だけ残った木板が置かれている。1年半前には地面に転がっていた(写真左下)ものだ。



時刻は14時近くになったけれど、なお的場山は遠い。地図を見る限りまだ1時間半はかかりそうだ。しかも的場山から鶏籠山を経て龍野城まで、さらに1時間以上かかる。缶バッジが貰える締切が17時だから、城山城址をのんびり見学している場合ではなかったぞ。



狭い尾根道を通って的場山へと向かう。結構アップダウンがあって足腰にダメージが蓄積してきて、下界の眺望を楽しむ余裕など無くなってきたぞ…。



的場山の頂上まであと700mの標識を通過してから100mほど進んだところ。頂上が前方に見えるけれど600mとは到底思えない。頂上のアンテナまで、PAR5を2つ繋いだよりも確実に長く見える。



城山から1時間40分ほど歩いて、やっとのことで的場山(394m)に到着。木々の後方にあるアンテナは光の反射のせいかうまく映っていない。そんなに暑くはないはずだけれど、持ってきたペットボトル3本はあらかた飲み切ってしまった。冷たい水をガブ飲みしたい。



鶏籠山に向かうには、まず的場山からの長い急坂を下っていかなければならない。しかも結構ザレていて滑りやすい。下るのはともかく、ここを登るのはかなりキツそうだ。ところが昨年のブログを読み返すと何の感想も書かれていない。今より随分と元気だったようだ。



的場山と鶏籠山の鞍部となる両見峠。右に行けば龍野の市街地に直行するのだけれど、もうひと踏ん張りして正面の坂を登って鶏籠山頂にある龍野古城を制覇しなければならない。残り少ない水を飲み干して、最後の城攻めに意気込むけれど、疲労のため気勢はあがらない。



城の背面からの奇襲攻撃のつもりで登ってきたけれど、まるで敗残兵のような足取りで龍野古城の石碑がある鶏籠山(218m)に到着。GPS位置信号で無事YAMASTAのスタンプをGETできた。これで8城中4城を制覇したことになる。



”西播磨の山城へGO”というアプリでは、龍野古城の往時の縄張りが3Dで閲覧でき、急峻な地形にかなり大規模な城が構築されていたことが窺い知れる。今いる位置がどこになるのかが判ったならば、なお嬉しいんだけどねぇ…。



急いで山を下りて江戸時代初期に山城を破却して、新たに築城された龍野城までやってきた。天守閣もなく、5万石の龍野藩の居城としてはちょっと慎ましすぎるようにも思える。山陰や美作・備前への玄関口とも言える要地だけにここに来る度に意外に感じる。



閉店時間にギリギリ間に合って醤油の郷・大正ロマン館で龍野古城の缶バッジを頂戴する。龍野らしく赤とんぼと醤油蔵が描かれている。戦のデザインが多い山城バッジのなかでは、ほのぼのとした珍しいデザインだ。



6時間半もかかって12㎞弱の山歩き。遅くとも5時間半で歩けると思っていたのに…。まあ、元よりポンコツハイカーだ。あまり気張らずに余裕を持った山歩きをマイペースで楽しんでいこう。



標高グラフ。登ったり下ったり、なかなか変化の多いコースだった。標高350m地点からのスタートはちょっとズルいとも思ったけれど、結果的にはちょうど良かった。