2021年9月4日
この1ヶ月、雨模様の日が多いうえに膝の具合が悪く、歩くのが億劫になる日が続いていたけれど、整形外科の診察結果「異常なし、そのうち治る」のとおり、ほぼ痛みも和らいできた。どこまで歩けるかは判らないだけに、リタイア容易な姫路市の増位山に出掛ける。
増位山の山麓にある随願寺から出発。増位山登頂や随願寺参詣は後回しにして、広嶺神社方面へと向かう。数年前、NHK大河ドラマに便乗した黒田官兵衛所縁の地を巡るスタンプラリーで歩いたはずの道だけれど、さっぱり覚えていない。
期待通り、緩やかな山道だ。膝の具合も悪くない。あまり運動をしてこなかったので、膝だけではなく心肺機能も多分に低下しているんじゃないかと心配だ。まあ、今日はゆっくり歩いていこう。
四方からの道が交わる一本松峠から弥高山へと向かう。膝の具合が悪ければパスする予定だったのだけど大丈夫そうだ。この後、弥高山・広嶺神社を経由して、再びここに戻ってくることになる。
登りが多少キツくなってきて少し息切れがするが、まずまず大丈夫そうだ。六甲などの山と異なり、この辺りは丸っこい岩が多く、あまり急な坂もないのが有難い。
弥高山(339m)。まあ期待もしていなかったけれど、眺望もなく、ごく簡単な山頂碑が立っているだけ。休憩のために座りこむようなところもない。
山頂の近くに誰が持ち込んだのか、折りたたみ椅子が3脚置かれていたけれど、座面は錆で崩壊寸前でとても座れたものではない。それにしても、ここまで3脚も担ぎ上げてくるのは大変だっただろうなぁ…。
東側から登った弥高山の山頂から、西側に下って広嶺神社へと向かうが、びっくりするような平坦な道が続く。アップダウンが無いだけではなく、誰かが整備しているとしか思えないほど、路面にも凹凸が無い。ママチャリでも走れそうな道だ。
広嶺神社。廣嶺、廣峯、広峰など、様々な漢字が用いられていて、何が正しいのかはよく判らないけれど、神功皇后が三韓征伐の際に勝利を祈願したという伝承が正しければ、2000年ほどもの歴史を持つことになる。
本殿の裏手には「九星詣り」の九つの穴がある。一白水星や二黒土星など、穴の奥に運命星を司る神様が宿っておられるらしい。願い事を書いた木札を自分の運命星の穴に入れ、穴に口をあてがって願い事を囁くんだそうだ。
そして本殿の右脇には、2年前に完成した官兵衛神社がある。この地で生まれ育ったと伝わる黒田官兵衛を祀っている。官兵衛がクリスチャンだったので、十字架が収められているという。奇想天外な組み合わせはいかにも官兵衛らしいけど、思い切ったことをしたものだ。
廣嶺神社から一本松峠へと戻る道はゴツゴツした道だ。それはいいんだけれど、弥高山からずっと悩まされ続けたヤブ蚊がさらにひどい。耳元でずっと羽音がして、叩こうが払おうが、どこまでも付いてくる。やむなく奥の手のハッカ油を首元や腕に振りかける。
ついでに広峰山の山頂も制覇してやろうと、道なき道を進んでいったけど、とても手に負えず撤退。でも頂上まで100m以内には辿り着いたようで、YAMAPでは広峰山登頂が認定されていた。
調子が悪ければ一本松峠から随願寺に戻るつもりだったけれど、ゆっくりペースとはいえ問題なく歩けて来れたので、遠回りしてそうめん滝方面へと下りていく。一本松峠を中心に8の字のようなルートを歩いて増位山、随願寺へと戻っていくことにしよう。
この道はYAMAPに掲載されていない。最近はYAMAPへの依存度が高くなりすぎて、不掲載の道を歩くのは不安になる。決して悪路ではないんだけれど、ちょっと分かりにくいところもある。赤いテープを頼りに進むと、途中からは渓流沿いの判りやすい道になった。
美しい渓流だ。そうめん滝って、どこだろうか、と思いながらブラブラと下流へと向かって歩いていく。ハッカ油のおかげで虫は寄ってこなくなったけれど、ヒンヤリを通り越して寒ささえ感じられる。
案内板も見当たらず、そうめん滝の場所は不明。あったのは「そうめん滝キャンプ場」。週末にも関わらず予約が無いので閉場中になっていて寂しい限り。クマ注意、ハチ注意の看板ばかりが賑やかだ。
一旦下山した格好だけれど、あらためて増位山に向けて登っていく。こちらも渓流沿いの坂道だ。スタートして2時間を超えて、さすがに疲れてきたぞ。
見た目はヤバそうだけれど、結構しっかりした木橋をいくつか渡りながら、登り続けるけれど、息切れとともに、右膝からお尻にかけて鈍い痛みを感じ始めた。
ハチの巣が道に落ちている。先日来の大雨で落ちたものなのだろうか。ハチの姿は見えないけれど、きっとこの辺りに潜んでいるに違いない。
息を切らして増位山への稜線まで登ってきたところに古墳がある。決して半端なサイズではないと思うのだけれど残念ながら何の説明もない。
増位山の山頂にやってきた。標高は僅か258mではあるけれど、何人もの関取が四股名にしてきた西播磨を代表する名山だ。市川の向こうに、後年黒田官兵衛が居城とした妻鹿の山が見渡せる。
元姫路藩主、榊原忠次の巨大な墓所が随願寺の境内にある。徳川四天王のひとり、榊原康政の孫だ。大坂・京の西側の防衛線にあたる要所のせいか、姫路藩ってそこそこの大藩の割には国替えが多く、10家もが姫路に封じられている。
スタート地点の随願寺に戻ってきた。別所長治に攻められて全山消失した古刹を約100年後に再建したのが榊原忠次だ。境内の巨大な墓所にも納得してしまう。
本日の歩行軌跡。7.4㎞を4時間ほどかけてゆっくりと歩いたけれど、そこそこ疲れた。でも膝の具合もほぼ快復していることが判ったので、できるだけ歩く機会を増やしていきたいものだ。