甲州街道(3)分倍河原〜高尾

 2022年12月11日


甲州街道歩きも3日め。府中市の分倍河原から再び国道20号線を西に歩き始める。幸い今日も天気は良さそうだ。もっとも一昨日から蓄積した疲労は半端ないものを感じる。



街道沿いに立派な冠木門がある。府中宿の本陣門を移設したものらしい。都心から離れていくにつれ、旧街道の遺跡が目につくようになってきた。



武蔵府中熊野神社古墳。神社の境内にある小山が近年古墳であることが判明し、葺石を施し整備したそうだ。特に注目すべきは全国に数例しかないという上円下方墳という形状だ。7世紀の古墳だというが、明治以降の天皇陵ではこの形状が採用されているらしい。



関東三大天神のひとつ、谷保天満宮。由緒ありげな神社だというのに境内には100台をゆうに超すと思われるクラシックカーが集結している。かつてとある宮様をリーダーに催された自動車遠乗り会の目的地がこの神社だったことから、毎年旧車祭が開催されているそうだ。



いつの間にか国立市に入っている。国分寺と立川の間に駅を新設する際に両駅から一文字ずつ拝借して国立駅になったのが、そのまま市名になったという話は知っているけれど、国立という文字の破壊力は大きい。国立冨士見台幼稚園なんて偏差値が超高そうじゃないか。



秋葉神社の常夜灯がある。火除けの神様だけに、秋葉神社関連の施設があると、きっとこの辺りは水利が悪く火事が多いのでは、とつい推測してしまうのけど正しいのだろうか。関西では火除けといえば愛宕さんだけれど、東日本では圧倒的に秋葉さんのようだ。



多摩川の手前で少し国道を離れて旧甲州街道の標識が立つ旧道へ。旧道とはいえ、歩道も付設されたもので、かつてよりも拡幅された道だと思える。それでも国道の歩道を歩くよりも随分と気持ちがいい。



おお、多摩モノレールだ。4両編成だ。多摩地区を南北に貫き、鉄道空白地を埋めるとともに、東西方向ばかりが多いJR・私鉄各路線を繋いでいる。結構厳しい経営状態だと聞くけれどいくつもの延伸計画がある。晴れた日には富士山も見えるという。乗りたいなぁ…。



かつては渡し船で渡河していた多摩川。今では立日橋という立派な橋が架かっていて歩いて渡ることができる。大河が多く、川止めが多いのが東海道の短所と言われるが、山間を行く甲州街道でもいくつか川止めとなる川があるようだ。



橋を渡ると日野市。新選組のふるさとを自称する町だ。この地に生まれた土方歳三や井上源三郎、さらに近藤勇、沖田総司、山南敬介らも加わって剣の腕を磨いた天然理心流佐藤道場があったところだ。皆、後の新選組の幹部になった面々だ。



日野宿の本陣。170年以上前、この地の名主であった佐藤彦五郎が大火で焼失した本陣を再建したものが今も残っており、屋敷全体が見学できるようになっている。



本陣の門前には立派な石碑がある。この本陣に佐藤彦五郎が開設した天然理心流佐藤道場があったことが記されている。



本陣の向かいにある日野宿交流館に、往時の日野宿のジオラマ模型がある。街道沿いには家屋が並んではいるものの、町の主要産業が農業であったことが見て取れる。土方歳三もまた農家の末っ子だったはずだ。



図書館の前には日野宿の問屋場・高札場の跡を示す石碑が立っている。江戸日本橋からいくつかの旧宿場町を通過してきたけれど、これほど旧宿場町であった歴史を大切にし、観光資源化や町興しを計っている町はなかった。



かつては「日野っぱら」と呼ばれる、な~にもない道が台地を貫いていたところらしいけれど、今では市街化が進むとともに、日野自動車をはじめとしていくつもの大工場が立地している。



八王子市に入る。いつの間にか、並木はイチョウに変わっている。欅ほど大きな葉ではないけれど、落葉が歩道を埋め尽くしている。



八王子の市街地の入口に架かる大和田橋。歩道のところどころに焼夷弾投下の痕が残されている。米軍からは交通の要衝であり、軍事工場勤務者の多くが住んでいると見なされた八王子は、なんと67万発もの焼夷弾を投下され、市街地の8割が焼失したそうだ。



大空襲のせいだろうか、八王子宿の痕跡はほとんど見られない。かつては甲州街道に沿って横山や八日市を中心に何町も連なる大宿場町が形成されていたという。横山町には本陣や脇本陣が並んでいたというが、今では案内板も見当たらない。



八日市には、ここが宿場跡であることを示す、比較的新しい石碑が立っている。甲州街道でも主要な宿場町のひとつだったのだから、少しずつでも旧宿場町を彷彿とさせるようなモニュメント類を作っていってもらいたいものだ。



八王子市街地を西に進むと「八王子千人同心屋敷跡」の記念碑が現れる。家康がおもに武田旧臣を召し抱え、甲州口の抑えとしてここに配置したものだ。江戸城から将軍が脱出するような非常事態時には、八王子同心が将軍を守って甲府城に籠る計画であったとも伝わる。




追分交差点にある道標。左)甲州道 中)高尾山道、右)あんげ道と刻まれている。あんげ道とは相模原に向かう陣馬街道のことらしい。高尾山も陣馬山も、今では東京における代表的なハイキングコースになっている。



高尾山、登りたいなぁ…。ミシュランにも評価されている山だけに、一度は登ってみたいところだ。既に紅葉は終わりかけだろうが、市内で良く見るポスターには、高尾山のベストシーズンは春・夏・秋・冬とある。いずれ甲州街道歩きのついでに登ってみるつもりだ。



どんどん日が暮れてきた。少し探索する予定だった昭和天皇武蔵野陵だけれど参道からの拝礼にとどめておく。高尾山、武蔵野陵、八王子城、それに多摩モノレール…、この辺りだけでも行きたいところが数多くありすぎて困ってしまう。



とっぷり日が暮れて、高尾駅に到着。3日間の甲州街道歩きを終える。この次は、いよいよ難所・小仏峠を越えて東京都を脱出することになるが、いつのことになるやら…。



歩行距離22.2㎞、所要時間は7時間半。獲得標高は177mと、まだ関東平野の平地歩きだ。次回はいよいよ山に入っていく。