2022年12月19日
甲州街道踏破に向けての5日め。中央本線藤野駅をスタートし、次なる宿場町、関野を目指す。国道を離れ、今も残る旧街道を進むが、なかなかの荒れようだ。「イノシシいるぞ〜」なんて看板もかかっている。
今日も晴天だけれど、かなり冷え込みが厳しい。ちょっと肌を刺すような、関西では感じることがなかった冷え方だ。
あまり見どころもなかった関野宿を過ぎ、神奈川・山梨の県境となっている境沢を越える。県の端っことなる山中湖周辺と小淵沢以外の山梨県は行ったことがない。47都道府県のなかで山形県と並んで最も不案内な県をこれから横断すると思うと心が弾む。
諏訪関跡。江戸時代の関所ではなく、甲斐の国の西端の関所として武田氏が設置したものだという。諏訪番所と紹介されていることも多い。「諏訪関跡」と書かれた真新しい石標の横に、鎮魂碑があるのが気になる。ここで何があったのだろうか。
高い杉の木が印象的な諏訪神社。その名のとおり諏訪大社から勧請されたご祭神が祀られている。この道が諏訪に続いていることを実感させてくれる。
上野原宿に近づくにつれて古い建物が目に付くようになってきた。立派な土蔵が並んでいる。桂川を中心に典型的な河岸段丘の上に広がる都市だけに、甲斐の物資を江戸に送る拠点になっていたところだろうか、と勝手な想像を巡らす。(全然違うかもしれない)
街道脇の案内に導かれて「棒塚」に寄り道。縄文時代の石棒(長さ80㎝)が祠に収められている。ゴツゴツ感もなく、バランスの取れたもので、何千年も前のものとは思えないほどだ。それより驚かされたのが、祠の周囲が霜柱でバリバリだったこと。相当な冷え込みだ。
市街地に入ると酒まんじゅうの店が並んでいる。炊いた米と米麹を合わせて発酵させたものを生地に練りこんで作るらしい。あん以外に高菜、おかか、かぼちゃなどを売る店もある。味が想像できない2つを注文。塩まんの具は砂糖を入れない小豆、魚まんは鮭だった。
上野原市に入ってからは、小さな標識が甲州街道を案内してくれる。でもとても慎ましやかなものなので、つい見逃して違う道をズンズン進んでしまうことを繰り返す。自動車も走る新しい道と、鄙びた古道の間を行ったり来たりして、とても迷いやすい。
鶴川。かつては橋がなく、甲州街道では唯一の川越があったところらしい。現在は大した川幅でもなく、歩いての渡渉もできそうに見えなくもないけれど、ダムもない昔は暴れ川だったのだろうか。
橋を渡ると鶴川宿。鶴川が川留になると賑わったらしい。町の真ん中に立つのは鶴川神社。立派な欅(たぶん)の木が目を引く。上野原市には市のキャッチフレーズになっている大ケヤキがあるのだけれど寄り道し損なってしまった。でも、ここのケヤキも大したものだ。
鶴川宿の現在の街並み。昔ながらの道幅に木造の低層家屋が並んでいて、旧宿場町の風情が残っているように感じる。
中央本線は桂川の渓谷に沿って走っているけれど、旧甲州街道は中央本線よりかなり北側へと迂回している。さらに中央自動車道も北に越えていく。ちょうど年末年始の渋滞情報でいつも耳にする談合坂の近くだ。
桂川の北岸に続いていた河岸段丘の北側は中央自動車道の建設により大きく抉られてしまったようだ。かつてはこの辺りに武田氏が北条氏の攻撃を防ぐための砦を築いていたらしく、高速道路建設の際に郭や堀の跡が確認され、多くの鉄砲玉も見つかったという。
中央自動車道を北に越え、野田尻宿にやってきた。今ではバス停さえ無いちょっと寂しい集落だ。さらに「この附近にクマ出没、注意必要」との山梨県の注意標識まである。山中ならともかく、集落内にまでクマが出没するとは…。
それでも嬉しいことに「野田尻宿」と彫られた立派な石標が立っている。ここもまた、かつての街道を彷彿とさせてくれる懐かしい風景が残されている。
野田尻宿を過ぎ、杉の木立を抜けるように次の宿場町である犬目を目指す。登山に来た訳ではないのだけれど、どんどんと登らされる。既に標高は400mを超えている。
おお、富士山が見える。これまで冨士見台といった、いかにも富士山が見えそうな地名をいくつか通過してきたけれど、ついにお姿を拝むことができた。まだ遠くて低い山々に遮られて上部しか見えないけれど、疲れた体に大きなパワーを与えてくれる。
北条軍とこの地を治めていた武田配下の小山田氏が衝突した矢坪坂の古戦場を過ぎると、座頭転がしと呼ばれる崖沿いの狭く曲がりくねった道となる。先導の声を頼りに歩く座頭が、道の曲折に気付かず谷に落ちてしまったという。今はガードレールが設置されている。
犬目宿。ここにも立派な石標があるけど、野田尻宿のものと瓜二つじゃないか。上野原市が同時発注・設置したのだろうか。ちょっと工夫してほしかったなぁ…。天保大飢饉で甲斐国中の百姓一揆を先導した義民、犬目兵介の故郷だけに、アピールポイントはあるはずだ。
この辺りが桃太郎の故郷だとの説があることは聞いていたけれど、実際結構なプロモーションが行われている。「犬」目宿の次の宿場が「鳥」沢宿、その次が「猿」橋宿なのだ。談合坂は「団子」坂だという。確かに出来すぎている…。
恋塚の一里塚。往時の一里塚の形がそのまま残っているようだ。もちろん円丘の上には榎か椋あたりが植えられていたに違いない。恋塚という名も相まって、とてもロマンを感じる。
大月市に入る。中央アジアの遊牧民族・大月氏のせいか、以前からとてもミステリアスで気になっていた町なのだ。日本三大奇橋の猿橋、天下の要害の岩殿城、甲州最大の難所である笹子峠、必勝祈願の矢立の杉、是非とも訪問したいところが多すぎる。
少しずつだけれど富士山が大きくなってきたような気がする。大月市は美しい富士山が望めることでも有名なところ。東海道でも富士山からのパワーも貰いながら歩いたものだけれど、甲州街道も富士山パワーで乗り切りたいものだ。
犬目からはダラダラと坂を下って鳥沢(下鳥沢宿・上鳥沢宿)を目指す。トトロのようなムーミンのような、牧歌的な手作り人形が並ぶ農村をのんびりと歩いていく。
今日は鳥沢駅で終了。距離20.4㎞、所要時間は7時間弱、獲得標高は750m。次は猿橋宿を目指すのだけれど、春になってからになりそう…。京都を目指しているはずなのに、関西からどんどん離れているように感じる。東京に行くついでに立ち寄ることはもはや難しい。