2022年12月10日
昨日の疲れが残るなか仙川駅に戻ってきた。今日は無理をせず、まずは仙川駅に近い武者小路実篤記念館を見学して…、と思っていたら、改修のために休館中じゃないか。仕方なく、仙川の一里塚跡碑を横目に再び甲州街道を歩き始める。
国道20号をはずれて瀧坂という旧道を進む。調布市のような都会でも、古い街道が今も残っているのは嬉しいことだ。
僅かな距離だけれど現甲州街道(国道20号)をはずれて、旧甲州街道を進む。これくらいの道幅でなければ、道路の左右に何があるかをカバーできず、街道歩きの楽しみは半減する。
再び国道に戻る。このような広い道では、道路の反対側に何かが見えたとしても横断することさえ厄介なのだ。さらには渋滞などにより、道路の反対側さえ見えなくなるのだ。ただでさえ雑踏に埋もれがちな古い石標などがさらに見つけにくくなる。
甲州街道名物のケヤキ並木。夏には広い葉が日射しを防ぎ、秋には美しく紅葉し、冬には葉を落として光を注いでくれる。頑丈な幹は歩行者を車から守ってくれそうだ。いいトコだらけのようだけど、大量に発生する落ち葉の清掃には苦労が多いようだ。
野川に架かる馬橋が布田五ヶ宿の東端になる。高井戸は上・下での合宿だけれど、ここでは国領、下布田、上布田、下石原、上石原の5村が6日交代する合宿だ。普段は農業を営んでいたのだろう。江戸に近くて客も少なく、嫌々宿場業をやらされていたように感じる。
新選組の近藤勇は、上石原の生まれ。近藤勇が初めて天然理心流を習ったという道場の跡が甲州街道沿いにあったそうだ。20年ほど経って、甲陽鎮撫隊を率いてこの地に凱旋(と言っていいんだろうか…)した際は感無量だったことだろう。
調布駅の傍にある甲州屋という居酒屋の前に「甲州街道 右新宿・左府中」の石碑がある。もちろん店の雰囲気づくりのための意匠であることは言うまでもないけれど、このような積み重ねが宿場町らしさを醸し出していくものなのだ。
小島一里塚跡の石碑。江戸日本橋から6里目となる。これまでの一里塚碑はせいぜい案内板だったのが、ちょっと立派な造りだ。市旧跡とあるけれど、もう少しフェンス設置の際に工夫してもらいたかったなぁ…。
国道工事事務所によるケヤキの剪定の告知がある。昭和38年に植樹されて以来、立派に育ちすぎたのか、「歩道が暗い」、「落ち葉が多量に出る」などの苦情が増えてきたため、剪定を始めているらしい。
確かにこの辺りのケヤキはかなり剪定が施されている。ちょっと寂しい気がする、というのは、落ち葉など気にしないよそ者の意見でしかない。地域の住民に長く愛される存在であってもらいたい。
調布飛行場の文字が現れた。こんな寄り道をしている場合か、とは思ったものの飛行機好きの血が騒ぎ甲州街道をはずれて飛行場を目指す。
元は米軍にも接収された大きな航空基地だったものが、ごく必要なところだけが残されているようで、意外なまでに草深く滑走路も短い。コミュータ機だろうか、小さな飛行機が見えるだけでも20機近くが駐機している。
調布飛行場の北側にある近藤勇の生誕地にある近藤神社にも行きたかったのだけれど、道がよく判らずUターン。サッカーのFC東京と東京ヴェルディがホームとしている味の素スタジアムにやってきた。ここも元は調布飛行場(調布基地)の一部だったところだ。
かつて布で税を納めていた地であることに由来すると言われる調布をはじめ、布田、白糸台など布に関連する地名が多い。上染屋八幡神社というのもある。なんとこの近くで鎌倉幕府軍を撃破した新田義貞の三男で、関東で足利を相手に奮戦した新田義宗が再建した神社だ。
府中市に入る。甲州街道に沿って京王線が走っていることはイザというときのリタイアが容易となるので実に心強い。調布飛行場以来、ユーミンの中央フリーウェイが耳から離れない。ふと府中競馬場にも立ち寄ろうかとの思いが沸き上がるが、やめておこう。
江戸から最初の本格的な宿場町、府中宿に入ってきた。かつて武蔵国の国府が置かれていた、すなわち現在の東京&埼玉を統べていたところだ。武蔵国の守護神として建立されたという武蔵国府八幡神社が今も残っている。
高井戸2宿で旅籠4軒、布田5宿で9軒、といっても合宿だから開いている旅籠は各2軒ほどのはずだ。対して府中宿は29軒。おそらく昔の旅人は1日で江戸から府中(あるいは日野)まで歩くのが一般的だったのだろう。半分ほどしか歩けない自分が情けない…。
門前に白垂が付けられた欅の巨木が立つ大國魂神社。武蔵国の総社でもあり、この境内にかつての武蔵国府もあったらしい。
大國魂神社の参道に立つ源義家の像が立っている。奥州平定(前九年の役)に戦勝し、欅の苗1000本を大國魂神社に寄進したという。この苗が現在のケヤキ並木の起源となったということだ。
参道には種々の馬のモニュメントが並んでいて、夜にはライトアップされるようだ。ここが馬場大門ということもあるかもしれないけれど、府中競馬場との関係を感じるのは穿った見方だろうか。
府中市のマンホールデザインは、市の木ケヤキや市の鳥ヒバリだけれど、そのなかに漫画「ちはやふる」のマンホールがいくつも見られる。主人公が住む町が府中なんだそうだ。大河ドラマほどではないけれど、アニメの誘致も秘かに行われてるんじゃなかろうか。
高札場。江戸時代のものが現存しているそうだ。日本橋から街道歩きとしては退屈気味の道が続いてきたけれど、東京から離れていくに従って当時の旅を体感できるような遺構・旧跡が増えていくことを期待したい。
府中から少し進んで分倍河原。多摩川を挟んで対峙した鎌倉幕府の大軍を打ち破った新田義貞の銅像が立っている。剛健ながら世渡り下手で不器用な新田義貞が一番輝いていた頃だ。躍動感が半端ない。
分倍河原駅で本日は終了。5時間半もかけて歩行距離は15㎞どまり。