甲州街道(4)高尾〜藤野

 2022年12月18日


多くのハイカーで賑わうJR中央快速に乗って再び高尾駅に戻ってきた。ほとんどのハイカーは京王線に乗り換えて高尾山を目指すようだ。残る少数は小仏方面に向かうバスに乗り込んでいるが、甲州稼働踏破のためにはバスと同じ道を歩いて小仏を目指さねばならない。



高尾駅からテクテクと歩き始めたのはいいけれど、何だか様子がおかしい。JR中央本線に沿って歩かねばならないのに、道の横を走っているのは京王線だ。なんと誤って高尾山登山口に向けて歩いていたのだ。序盤早々1㎞ものロスをしてしまった。



あらためて正しい道へと戻り、小仏峠を目指す。正面に見える東京都と神奈川県の境に連なる山々が少しずつだけれど近づいてくる。これほど山が近づいても全く人家が途切れる気配がないのは、さすが巨大都市東京だ。幸い天気も良く、覚悟していたほどには寒くはない。



小仏関。もともとは戦国時代に北条氏が設置していたものだが、江戸時代に入っても甲州街道の最重要関所として、入鉄砲と出女を厳しく取り締まっていたという。関所を通過せずに抜け道を使うと磔刑に処せられたという。



小仏関のすぐ西側にあるのが駒木野宿。旅籠といえるものはなく、百姓家がその役割を担っていたらしい。おそらく関所が閉まる夜6時に間に合わなかった旅人が利用したのだろう。あと1里半ほども歩けば、甲州街道でも最も賑やかな八王子まで辿り着けるのだから。



猪ノ鼻トンネル列車銃撃慰霊碑に立ち寄る。昭和20年8月5日、まさにトンネルに入ろうとしていた列車を米軍の機銃掃射が襲い、60人以上の市民が犠牲となった。広島原爆投下の前日。米軍は非情にも非戦闘員をも攻撃対象として、日本に降伏を強く迫っていたのだろう。



バスは小仏関まで。その後勾配はどんどん急になってくるけれど舗装道が続く。九十九折になった道をどんどん登っていく。しかしガイドブックによれば、かつてこの道は直登だったそうだ。



景信山への分岐点に、「ツキノワグマに注意」の貼り紙がある。もう冬眠していてほしいけど、つい最近も大台ヶ原付近でクマに襲撃されたハイカーが死亡したというニュースがあったばかり。どこまで役に立つのか自信は全くないけれど、リュックの熊鈴を再確認する。



ようやく歩道道が終わり山道となる。ヤゴ沢作業路登山口と呼ばれているところで、高尾山への裏登山口にもなっているようだけれど、旧甲州街道でもある。既に標高は380mほど。小仏峠までの標高差は170mほどだ。



道は随分と整備されている。というより、よく踏み固められている。登るハイカーも多いけれど、下ってくるハイカーも多い。まだ正午を少し過ぎたばかりだけれど、早くも高尾山や景信山に登り終えて下山してきたのだろうか。



峠に近づくにつれて道は徐々に狭くなり、いかにもハイキング道らしくなってきた。難路とは聞いていたけれど、意外に大したこともない道だ。しかし遠く東京の山で、標準語ばかりが耳に入ってくるせいかアウェイ感は半端なく、いつになく緊張していることが判る。



登山口から30分ほど(高尾駅からは2時間半ほど)で、小仏峠到着。標高は548mだけれど、東京の高層ビル群がよく見える。目を凝らすとスカイツリーも確認できる。



峠には明治天皇ご休息の記念石碑が立っている。この程度のことで石碑を立てるとは大袈裟な、と思うけれど、当時は天皇陛下がこの場所にお越しになったということは末代にも伝えるべき空前絶後の大慶事だったのだろう。



小仏峠を越えると、神奈川県に入る。ほとんどのハイカーが高尾山方面に向かうなか、ただ一人、小仏峠から相模湖方面に下っていく。登りと違って随分と静かな山行になりそうだ。



ほとんど誰とも出会わない。悪い道ではなく。むしろ旧街道を整備する際に作られたと思われる切り通しは眺望はないものの、歩きやすい。関西なら、そこそこ人気の出そうな道なんだけれど、奥多摩にはいいコースが多いんだろうか。



神奈川県側に下山すると、なんだか遠回り感の強い曲がりくねった道を進む。中央自動車道の建設などによって、旧街道が消滅したため回り道を余儀なくされているのかもしれない。



小原宿。東海道を含めて神奈川県内で唯一往時の本陣が現存している。駒木野宿からの9㎞を2時間半で歩いたことになる。山道にしてはよく歩いたものだけれど、さすがに疲れてきた。



何か食べるものはないか、とあたりを見渡しながら歩いていたら、ラーメンの自販機を発見。珍しいものがあると思ったけれど、残念ながら冷凍ラーメンだった。関東には関西では見かけないものが多い。500mlの緑茶ペットボトルのホットも普通に自販機で売っている。



うまい具合に酒饅頭を売っている店があった。あったか・もちもちの皮にアンコが詰まった饅頭を2つ、ものの2分ほどで平らげてしまった。この先も江戸時代以来の酒饅頭を名物にした宿場が続くはずだ。



相模湖が見えてきた。昔の旅人もこの湖を見て気持ちを和ませた、と言いたいところだけれど、この湖は近年できたダム湖だ。かつては相模川の急峻な渓谷が続いていたそうだ。



JR相模湖駅。。近年大成長して政令指定都市にまでなった相模原市の最北端の駅だという。かつては与瀬宿があったところだけれど、今ではすっかりリゾート化している相模湖に遊びにくるレジャー客のための町になっているようだ



与瀬宿跡。ここもまた本陣跡に明治天皇小休止の聖蹟碑がある。東海道でもどれほど多くの石碑を見てきたことだろうか。Wikipediaによれば全国中の明治天皇聖蹟碑は1375もあるという。



東海道でもそうだけど、いかにも旧街道という感じの歩行者に優しい道は多くなく、逆に自動車優先の道を心細く歩かなければならないところも少なくない。ここもそんな道だと思いながら道の端っこをトボトボ歩いていたけれど、実は道を間違っていた…。



相模湖の西端。派手めのホテルが湖岸に並び、湖面にはプレジャーボートや釣り船などが見える。いろいろと楽しいところも多そうなところだけれど、正直なところあまり興味はない。与瀬宿に続いて吉野宿を目指す。



獲得標高は920mもあるので、ちょっとした登山に近いともいえるルートだったけれど、19.5㎞を6時間半ほどかけて踏破。中央本線の藤野駅で今日は終了。この先もアップダウンの厳しい道が続きそうだ。