北関東周遊(2) 八ッ場~新田~足利~那須

2013年8月17日(土)


草津温泉で一泊。朝から、また温泉を楽しむ。立ち去るのが惜しい。朝の湯畑は、夜とは全く違った光景。湯ノ花の白さが眩しい。



湯畑の傍に立っている「徳川八代将軍御汲上之湯」の碑。徳川吉宗がここに来たのか、あるいは、ここのお湯を江戸に運んだのか。いずれにせよ、江戸時代から天下人にも愛された名湯だったことに変わりない。



9時半からの湯もみショーを見物に行く。500円とは、なかなかの入場料だが、草津に来た限り、ここは外せない。温泉の成分を薄めることなく、高温のお湯を冷ます、草津独特の方法だというが、草津節を歌いながら木板で右に左にお湯を掻き混ぜる様は、想像していた以上にスローモー。これでお湯が冷めるのかなぁ・・・。



この日の宿泊予定地は栃木県の那須。途中、伊勢崎、太田、足利、宇都宮などを経由する予定だったが、カーナビが示す所要時間は、びっくりするほど長い。こりゃぁ、とても行きたいところ全てを回り切ることは無理そうだ。

というのに、期せずして「八ッ場」を通りかかる。ダムを建設するとか、しないとか、国を二分する大論争になったところだ。これは立ち寄るしかない。散々の議論の末、この豊かな森林地帯を流れる吾妻川にダムが建設されるようだ。



時間が無い。断腸の思いで、国定忠治の墓も、高山彦九郎記念館も、木枯し紋次郎記念館も、パスする。しかし、ここは外せない。新田義貞が討幕の旗揚げをした生品神社だ。鎌倉に攻め入った時には20万に達したという軍勢も、生品神社での挙兵時に僅か150騎だったという。



この生品神社で、3年前に大事件があった。な、な、なんと、新田義貞の銅像が盗まれたのだ。一体誰の仕業なのか、とんでもない話に憤慨したものだ。その後、再建に向けての募金活動をしていたはずだが、未だ台座の上には銅像が無い・・・。



由緒ある史跡のはずなのに、社務所は閉まっていて、観光スポットとしての人気は全く低そうだ。古ぼけたビデオ案内が設置されていることを除けば、どこにでもありそうな田舎の静かな神社にしか見えない。



ところが、帰宅してから、大変な事実を知ることになる。神社の境内を一巡りしたつもりだったが、実は、新田義貞の銅像は、最近、通りに面した鳥居の外側に再建されていたのだ!何ということだ。わざわざ太田市(旧新田町)までやってきて、肝心なものを見逃してしまった。太田市では史跡探検スタンプラリーが開催されていて、生品神社もスタンプポイントになっている。1日や2日は、たっぷり楽しむことができそうな史跡が揃っている。いつか、再訪しなければ・・・。



続いて新田一族の城、金山城を訪問する。山全体が城塞化され、武田信玄や上杉謙信の攻撃にも耐え抜いた堅城として知られる。城の遺構がよく整備され、山城の構造が良く理解できるというが、駐車場から予想以上の距離を歩かされる羽目になった。



石垣や堀切の構造もよく再現されている。郭がどのように連携していたのかも興味深い。どこが遺構なのか、どこが復元なのか、見分けが付かないところが、難点といえば難点なのだが。



金山城跡も、太田市のスタンプラリーのポイントになっている。なかなか、いい感じのスタンプだ。スタンプが設置されている休憩所のある曲輪からは上毛の大平原を見渡すことができる。



太田市の史跡探索スタンプラリー以外にも、このあたりにはスタンプラリーがムチャクチャ多い。道の駅だけでも、簡単に何種類ものスタンプラリーのパンフレットを見つけることができる。



もとも金山城のと本丸があった山頂部分には、新田神社がある。祭神は新田義貞だ。北朝サイドから書かれた梅松論では、足利尊氏の引き立て役、南朝寄りの太平記では、後醍醐天皇や楠木正成を持ち上げるために敗戦の全責任を押し付けられている。もともと田舎の弱小勢力でしかなく、天下人としての器量もなかったとは思うが、愚直に良く戦い抜いたと思うのだ。



新田町から、わずが数kmで、栃木県足利市に入る。源義国の長子が新田氏、次子が足利氏の祖となり、お互い張り合ってきたはずだが、鎌倉幕府にうまく取リ入った足利氏の繁栄を、精彩を欠いた新田氏は悔しい思いで見続けてきたに違いない。義貞の頑張りを支えたものは、朝廷に対する忠義より、「足利には負けたくない」という個人的な意地だったように思えてならない。

足利学校を始め、足利市にも見どころは多いのだけど、時間が無い中で、唯一訪問したのが、渡良瀬橋。森高千里の歌で、一躍有名になった橋だ。橋を見通すことができる渡良瀬川の川辺に、歌碑が設置され、ボタンを押すと森高千里の歌が流れる。



森高千里って、デビュー当時は、どうもチャラチャラした感じが強く、あまり好きになれなかったけど、「渡良瀬橋」にはやられてしまった。短い歌詞の中に、あまりにも切ない物語が見事に織り込まれている。歌唱もさることながら、森高千里の作詞には感服した。

きっと多くの森高ファンが訪れるのだろう。橋の近くの酒屋では、「渡良瀬橋」という日本酒が販売されていた。床屋の前の公衆電話や、八雲神社(ひとつは焼失したそうだ)も訪問したかったが、先を急ぐ。



足利市のメインストリートは、「尊氏通り」と名付けられているが、想像していたほど、この町では尊氏を全面に押し出している感じは受けなかった。



結局、この日の宿到着も18時頃になってしまった。3部屋しかない超人気の宿に、幸運にも空室があったので、栃木の北端、那須に宿を取ったのだが、遠かった・・・。



しかし、さすがに人気の宿だけあって、里山に囲まれた部屋の雰囲気は抜群。名前は判らないが、黄色の花が美しい。




部屋の設えも良く、実に快適。源泉かけ流しの風呂も素晴らしい。部屋の食事もメチャクチャ上手い。宿賃は安くはないが、文句の付けようのない宿だ。



分不相応の贅沢な宿だったが、満足度は実に高い。こんな所で、2~3泊ゆっくりできれば最高なんだけど、どうしても、あちらこちらと忙しなく見て回る旅程を組んでしまう・・・。


(3)に続く