須磨アルプス(六甲全山縦走第1区間)【六甲山系】

 2021年1月31日


六甲全山縦走路を3日間で踏破したのが5年前。初日に須磨浦公園から摩耶山まで歩き2日間で全山縦走するつもりが、足を攣って鵯越でギブアップしてしまったという苦い思い出がある須磨アルプスをを久しぶりに歩いてみよう。58歳で7時間も掛かったコースを、63歳になって何時間で歩けるだろうか。



週末とはいえハイカーが多いことに驚く。5年前、早々にバテてしまったのは他のハイカーのペースに合わせて無理して歩いたのが良くなかったと思っている。須磨浦公園から旗振山まで階段が続くが、自分のペースを守って息を整えながら歩いていこう。



他のハイカーに追い抜かれるのも気にせず、ゆっくり登ってきたつもりだけれど、須磨浦公園駅からのロープウェイの改修工事が進められている鉢伏山で堪らず腰を降ろしてしまう。再び歩く気になるまで10分くらいは座りこんでいたように思う。



スタートして1時間ほどもかけて、ようやく旗振山に到着。全山縦走をする健脚者なら30分もかからないのだろうけど、このペースでいいんだ、と自分に言い聞かせる。今日の目標は自分のペースを守って鵯越に元気に到着することだ。



江戸時代には米相場の旗振通信の中継所だったところだけあって、明石海峡大橋をはじめ、瀬戸内方面への眺望が広がる。鉢伏山でたっぷり休憩を取ったので、混雑する旗振山は眺望を少し楽しんだだけで通過する。



旗振山を過ぎると、しばらくは比較的平坦な道が続くが、鉄拐山の手前で再び登りの階段が現れる。もっとも鉢伏山までの階段と比べれば何のことはない。栂尾山の取りつきまでは楽な道が続くはずだ。



鉄拐山の山頂もやはり結構な数のハイカーが休憩している。六甲山系屈指の人気コースだけあって真冬であっても休日には多くのハイカーがやってくる。幸いここまでマイペースを守ってきたせいで大した疲労もなく、鉄拐山も素通りして先に進む。



鉄拐山からは下りの階段が延々と続く。六甲全山縦走の序盤は、登り区間と下り区間が頻繁に入れ替わるばかりか、狭い階段に対してハイカーも多いため、自分のペースで歩くことが難しい。



道を少し逸れたところにひっそりとある高倉山の山頂標識。以前見つけることができなかったが、今日は無事発見できた。もっとも50年ほど前にポートアイランド造成のため、大量の土が削り取られたため高倉山はごく小さな目立たない山になってしまったという。



高倉山から下りたところにある「おらが茶屋」は昨年秋に閉業してしまった。車でアプローチできないというのに、絶景を見渡しながらのカレーが人気だと聞いてはいたけれど、一度も利用したことが無いまま閉店となってしまった。



おらが茶屋から高倉台団地に向けて長い階段を降りていく。おそらく元は高倉山があったところに団地が造成されたのだろう。当時は「山、海へ行く」のスローガンのもとで海域の埋立地開発と山域の住宅開発を同時にやってしまう「神戸方式」が高く評価されたものだ。



高倉台団地を通り抜けると、栂尾山に直登する通称400階段が待ち構えている。とても休憩無しに一気に登りきることなどできない。前回はこの階段の疲れのため足を攣ってしまったので、人目も憚らず途中のベンチに座り込んで十分に休憩を入れながら登っていく。



栂尾山の山頂には木組みの展望台がある。ここも人が多い。前回は足を攣って1時間近くも座りこんでいたのだけれど、今日は階段を休み休み登ったこともあって、山頂では休憩することもなく、続く横尾山へと向かう。



横尾山山頂。孤高の登山家、加藤文太郎はこの山を神戸槍と呼んでいたと聞くが、さほど尖がった山には思えない。この先に待ち受ける、須磨アルプスのハイライト、馬の背に向かう前に、靴紐をしっかりと締め直す。



さあ馬の背に入っていく。「このコースは風化が激しく危険」との注意標識がある。



神戸の市街地からさほど遠くもないところとは思えない風景が広がる。難所のように見えるけど、注意して歩けばさほどの危険は無い。



久しぶりに馬の背を歩いて気づいたのは、トレイルランナーが多いこと、そして逆行する人が多いことだ。板宿や横尾から登ってきて馬の背を歩いた後Uターンする人が多いようだ。一方通行ではないけれど、以前は須磨方面からのハイカーが大半だったように思う。



馬の背を過ぎ、東山へと向かう。疲れはあるものの到って快調だ。前回はこのあたりでは足を引きずるように歩いていたように思う。



横尾の町へと下り、次なる高取山へと向かう。六甲全山縦走の道は非常に分かりにくく、いくつもの右左折を繰り返していく。5年前に比べて「六甲全縦」の案内標識の数も格段に増えたように感じる。



高取山はかなり高いところまで人家があるため、あまり険しい山には感じられない。でも緩やかな南側からの登山道と異なり、六甲全山縦走路になっている東西の道はさほど緩やかでもない。



高取山山頂にある高取神社の参道からの眺望は抜群。いつも思うのだけれど、惜しむらくは電線が邪魔なんだよなぁ…。



高取山から丸山の町に下りてきた。正面に六甲全山縦走の最難関と言われる菊水山が聳えている。



前回と同様、鵯越駅までやってきた。須磨からスタートして5時間半ほど。足を攣り続けて這う這うの体でここに辿り着いた前回のタイムを1時間半も縮めた。健脚者は3時間もかけずにここまでやってくるというが、5時間半で十分満足だ。



本日の歩行軌跡。累積標高は1000mを超えるものの距離にすると12㎞ほどでしかなく、公称56㎞、実際は42㎞とも45㎞とも言われる全山縦走路の3割も歩いていないけど、経験上、ここまで来ればあと2日で宝塚に辿り着けるはずだ。



標高軌跡。この区間のポイントは鉢伏山と栂尾山の階段をいかにゆっくりと登るかだろう。前回は100万円やると言われても菊水山まで歩くことなど無いほど疲れたけれど、今回は菊水山までなら十分行けると感じるほどの体力は残っていた。



いずれ近いうちに鵯越~宝塚も歩いてみよう。もちろん2日間は必要だけれど。

菊水山(&イヤガ谷川)【六甲山系】

 2021年1月27日


久しぶりに六甲山系の菊水山に向かう。といっても神戸電鉄鵯越駅から六甲全山縦走路ではなく、一つ隣の鈴蘭台駅からの登山道を初めて歩いてみる。しばらく動かない日が続いたせいか体が重く、標高の高いところからスタートする軽めの山歩きだ。



鈴蘭台駅から15分ほど歩いたところにある砂防ダムの脇をすり抜けるように登山道に入っていく。



小さな渓流に沿って菊水山への道を進む。住宅街に近いせいか、軽装で歩いている何人かとすれ違う。



階段が続くけれど、さほど厳しい登りではない。鵯越から登れば、段差の大きい階段が延々と続き太腿が悲鳴をあげるのだけれど、こちらは緩やかな坂が多い。



登り始めて30分もしないうちに木々の隙間に、菊水山の山頂にある大きな電波塔が見えてきた。



登り始めて35分ほどで菊水山の山頂にあっさり到着。標高は459m。軽めの登山のつもりだったけど、ちょっと軽すぎた…。



下山は六甲全山縦走路を通って鵯越駅に向かって下りていく。六甲全山縦走のなかで最大の難所と呼ばれる菊水山への道だが、逆に下っていくのは初めてだ。



長い階段が続く。鈴蘭台から登ってきた道と比べて坂の勾配は段違いに険しい。そりゃぁ登るよりは楽だけれど、下るのも厄介だ。膝への負担がどんどん蓄積してくる。



階段はもうウンザリだと思っていたけれど、岩をほぼ垂直に下っていくようなところがでてくると、階段の有難さが身に染みる。



六甲全山縦走路最大の難所と言われるだけあって、ところどころ平坦となった道の脇にはベンチが設置されている。



石井ダムから烏原貯水池に繋がる川を渡る。とても暖かい日なので、川の上を吹き降ろす風が心地よい。



10年以上休止中だったものが、3年前に廃駅となった菊水山駅。ホームなどの構造物は今も残るけれど、階段は草で覆われている。そもそも周囲に人家もない秘境のようなところに何故駅を作ったのだろうか。菊水山への登山者くらいにしかニーズは無いのではなかろうか。



菊水山の山頂から1時間以上も下り、ようやく鵯越の小さな集落が見えてきた。登りより下りの方が疲れる道だった。



歩き足りないので鵯越大仏に立ち寄って帰ろうと思いながら駅前の地図を見ていると、イヤガ谷東尾根という鈴蘭台に戻るハイキング道があることに気づく。YAMAPには載っていないけれど、一般ハイカー向けのイベントで耳にしたことがある。大した難路でもあるまい。



鵯越駅から10分ほど歩いたところに、神戸市による「史跡鵯越」の石碑がある。源義経が急坂を恐れず進軍した道にはここ鵯越と須磨の二説がある。戦前にどうして神戸市が石碑を立てて「公認」したのかは不明だけれど、今の神戸市は中立のはずだ。



石碑の奥にある山の斜面に鵯越墓地が大きく広がっている。墓地の中の階段を延々と登りきったところに市営の霊園には珍しい大仏が鎮座している。座高12.5mというから奈良・鎌倉と並ぶ日本三大大仏のひとつを自称している兵庫大仏より大きい。



鵯越駅に一旦戻らずとも、広大な霊園を西に突っ切ればイヤガ谷東尾根ハイキングコースに出れるはずと考えたとおり、歩きやすそうな道が現れた。これがイヤガ谷東尾根コースに違いない(と思い込んでいた)。



自然のなかを気持ちよく歩ける道が続く。しばらく進むと川に沿っての道になる。これも
快適な道だ。



ところが藪漕ぎをして進むなど、徐々に様相が怪しくなってきた。でも道自体はしっかりと続いている。



何度か渡渉を繰り返す。要所には橋が架けられているのだけれど、必要最小限のものだ。写真左側の岸へは川の中の岩を伝って進んでいく。



なんだか怪しいなぁ…。尾根コースというのに、いつまでも川沿いの谷道だ…。しかし北に進んでいるのは間違いない。道にトレースも見られるし、木には白いテープが付けられている。もっともテープはFRAGILE(壊れ物注意)と書かれた梱包用のものだ。



道はだんだんと心細いものになり、橋もますますおっかないものになってきた。



ついに道が途切れた。この川を越えていくのはとても無理だ。ここに来てリュックの底から地図を取り出して現在位置を確認したところ、山と高原地図にも掲載されていない道を進んできたことに気づく。初心者が絶対踏み込んではならない道に進んできたようだ。



もはや撤退するしかない。歩くつもりだったイヤガ谷東尾根道は500mほど東側になるようだ。鵯越墓地を再び通り抜けて鵯越駅へと戻る。



結局1時間以上もイヤガ谷川に沿って間違った道を行ったり来たりしてきただけに終わる。菊水山から下りてきて一旦鵯越駅を通過した際には歩き足りない気分だったけれど、1時間半後には体力的ばかりでなく精神的にも大きなダメージを背負って戻ってきた。



本日の歩行軌跡。たまにはYAMAPの立体地図を残しておこう。判りやすいような、判りにくいような…、使いこなすのは難しい機能だ。



標高グラフ。菊水山への登山道の楽さ加減がよく判る。標高280m地点くらいから登り始めているうえに下山路と比べると勾配は随分と緩やかだ。二つ目の山は霊園の大仏が鎮座ポイントだ。



近いうちにイイヤガ谷東尾根には再挑戦したいものだ。