2021年1月27日
久しぶりに六甲山系の菊水山に向かう。といっても神戸電鉄鵯越駅から六甲全山縦走路ではなく、一つ隣の鈴蘭台駅からの登山道を初めて歩いてみる。しばらく動かない日が続いたせいか体が重く、標高の高いところからスタートする軽めの山歩きだ。
鈴蘭台駅から15分ほど歩いたところにある砂防ダムの脇をすり抜けるように登山道に入っていく。
小さな渓流に沿って菊水山への道を進む。住宅街に近いせいか、軽装で歩いている何人かとすれ違う。
階段が続くけれど、さほど厳しい登りではない。鵯越から登れば、段差の大きい階段が延々と続き太腿が悲鳴をあげるのだけれど、こちらは緩やかな坂が多い。
登り始めて30分もしないうちに木々の隙間に、菊水山の山頂にある大きな電波塔が見えてきた。
登り始めて35分ほどで菊水山の山頂にあっさり到着。標高は459m。軽めの登山のつもりだったけど、ちょっと軽すぎた…。
下山は六甲全山縦走路を通って鵯越駅に向かって下りていく。六甲全山縦走のなかで最大の難所と呼ばれる菊水山への道だが、逆に下っていくのは初めてだ。
長い階段が続く。鈴蘭台から登ってきた道と比べて坂の勾配は段違いに険しい。そりゃぁ登るよりは楽だけれど、下るのも厄介だ。膝への負担がどんどん蓄積してくる。
階段はもうウンザリだと思っていたけれど、岩をほぼ垂直に下っていくようなところがでてくると、階段の有難さが身に染みる。
六甲全山縦走路最大の難所と言われるだけあって、ところどころ平坦となった道の脇にはベンチが設置されている。
石井ダムから烏原貯水池に繋がる川を渡る。とても暖かい日なので、川の上を吹き降ろす風が心地よい。
10年以上休止中だったものが、3年前に廃駅となった菊水山駅。ホームなどの構造物は今も残るけれど、階段は草で覆われている。そもそも周囲に人家もない秘境のようなところに何故駅を作ったのだろうか。菊水山への登山者くらいにしかニーズは無いのではなかろうか。
菊水山の山頂から1時間以上も下り、ようやく鵯越の小さな集落が見えてきた。登りより下りの方が疲れる道だった。
歩き足りないので鵯越大仏に立ち寄って帰ろうと思いながら駅前の地図を見ていると、イヤガ谷東尾根という鈴蘭台に戻るハイキング道があることに気づく。YAMAPには載っていないけれど、一般ハイカー向けのイベントで耳にしたことがある。大した難路でもあるまい。
鵯越駅から10分ほど歩いたところに、神戸市による「史跡鵯越」の石碑がある。源義経が急坂を恐れず進軍した道にはここ鵯越と須磨の二説がある。戦前にどうして神戸市が石碑を立てて「公認」したのかは不明だけれど、今の神戸市は中立のはずだ。
石碑の奥にある山の斜面に鵯越墓地が大きく広がっている。墓地の中の階段を延々と登りきったところに市営の霊園には珍しい大仏が鎮座している。座高12.5mというから奈良・鎌倉と並ぶ日本三大大仏のひとつを自称している兵庫大仏より大きい。
鵯越駅に一旦戻らずとも、広大な霊園を西に突っ切ればイヤガ谷東尾根ハイキングコースに出れるはずと考えたとおり、歩きやすそうな道が現れた。これがイヤガ谷東尾根コースに違いない(と思い込んでいた)。
自然のなかを気持ちよく歩ける道が続く。しばらく進むと川に沿っての道になる。これも
快適な道だ。
ところが藪漕ぎをして進むなど、徐々に様相が怪しくなってきた。でも道自体はしっかりと続いている。
何度か渡渉を繰り返す。要所には橋が架けられているのだけれど、必要最小限のものだ。写真左側の岸へは川の中の岩を伝って進んでいく。
なんだか怪しいなぁ…。尾根コースというのに、いつまでも川沿いの谷道だ…。しかし北に進んでいるのは間違いない。道にトレースも見られるし、木には白いテープが付けられている。もっともテープはFRAGILE(壊れ物注意)と書かれた梱包用のものだ。
道はだんだんと心細いものになり、橋もますますおっかないものになってきた。
ついに道が途切れた。この川を越えていくのはとても無理だ。ここに来てリュックの底から地図を取り出して現在位置を確認したところ、山と高原地図にも掲載されていない道を進んできたことに気づく。初心者が絶対踏み込んではならない道に進んできたようだ。
もはや撤退するしかない。歩くつもりだったイヤガ谷東尾根道は500mほど東側になるようだ。鵯越墓地を再び通り抜けて鵯越駅へと戻る。
結局1時間以上もイヤガ谷川に沿って間違った道を行ったり来たりしてきただけに終わる。菊水山から下りてきて一旦鵯越駅を通過した際には歩き足りない気分だったけれど、1時間半後には体力的ばかりでなく精神的にも大きなダメージを背負って戻ってきた。
本日の歩行軌跡。たまにはYAMAPの立体地図を残しておこう。判りやすいような、判りにくいような…、使いこなすのは難しい機能だ。
近いうちにイイヤガ谷東尾根には再挑戦したいものだ。