135°E×135thスタンプラリー(明石市)

2021年7月4日


東経「135」度が通過する明石市で、日本標準時子午線制定「135」周年を記念したスタンプラリーが行われている。最近は山歩きばかりだけれど、暑いうえに天気も不安定な日が続くし体調もあまり優れないので、子午線標識を巡る軽い街歩きを楽しもう。




スタートポイントは明石市役所からほど近い大蔵海岸公園の西端。空はどんよりして、いつ雨が降ってきてもおかしくない天気だ。ほんの3㎞ほどしか離れていない明石海峡大橋も霞んでいる。



ここに最初の子午線標識が立っている。てっぺんにトンボがとまったモニュメントだが、これは明石市立天文科学館にあるもののレプリカだ。



モニュメントの台座に貼付されているQRコードを読み取ればスタンプゲット。頑張ってスタンプポイントまで辿り着き、色鮮やかなスタンプを力強く押す時の得も言われぬ達成感が好きなのだけれど、悲しいことに今やスタンプラリーはデジタルが主流になってしまった…。



デジタルなんだから、スタンプの意匠づくりも容易なはずなんだけれど、多くのイベントで採用されている某スタンプラリーサービスでは、いつも「旗」を使っている。記念に保管しておきたいなぁ…、なんて気には到底ならないものだ。



トンボのモニュメントから歩いて僅か1~2分で、次の子午線モニュメントが登場する。デジタルスタンプラリーのスマホサイトに写真も地図も判りやすく示されているのは有難い。


中崎公会堂。豊かな地域だったのだろうか。西洋建築ブームの明治末期、頑なに日本古来の建築様式で建設したという。杮落しでは夏目漱石が講演したという歴史的にも貴重な建造物だが、子供たちの剣道の稽古場など、今も大いに活用されているようだ。



スマホサイトの地図を見るまでも無く、東経135度上にある明石市立天文科学館の方向を目指して北へと歩いていけば自動的に次の子午線標識が現れる。



天文科学館をモチーフにしたと思われる交番の横に立つのが「大日本中央標準時子午線通過地識標」と厳めしい文字が並ぶ明治末建立の石標。これこそが日本初の子午線標識で小学校の先生方が資金を出し合ったという。



4つ目は国道2号線沿いの郵便局(その名も子午線郵便局!)の前にあるバス停風の角柱。ベニヤ板で覆われた広告塔のようで、あまり歴史的にも価値のない安っぽいものに見えるけれど、かつての立派な銘板は戦時中の金属供出で失われたんだそうだ。



ややこしいことに、10mほど東に別の子午線標識が立っている。測量のたびに、少しずつ誤差が修正されているようで、その都度標識が増えているようだ。紛らわしいことだけれど、地球の大きさに比べれば10mなんて誤差にさえならないようにも思う。



少し寄り道をして平忠度(ただのり)が一の谷からの敗走の際に切り落とされた右腕を祀った腕塚神社を訪問する。官位の薩摩守が無賃乗車(タダ乗り)の隠語となっていることばかりが有名だけれど、敵味方から討死を惜しまれた文武に秀でた武将だったと伝わる。



今では「天文町」になっているけれど、40年ほど前までは「右手塚町」という町名だった。右手塚では何だか不気味な心霊スポットのようで、確かに天文の方がマンションや店の名前にも映えるのだろうけれど、ちょっと残念な気もする。



人丸という地名も不気味と感じる人がいるかもしれないけれど、人丸とは柿本人麻呂のこと。山陽電車の人丸前駅は、人丸さんとも呼ばれる柿本神社の最寄駅であるとともに、子午線が通る駅として知られる。



入場券を買うのをケチって、スマホの写真の転載で済ませるけれど、駅ホームには子午線が敷かれているらしい。


嬉しいことに、駅ホームだけではなく、高架橋の外側にまで子午線の白い線が引かれている。



人丸前駅では、東経140度が通る駅として千葉県の新鎌ヶ谷駅が紹介されていた。山陽電車ではシゴセンゴーなる特別仕様の電車が走り、人丸前駅ではシゴセンオーなるキャラクターが名誉駅長に就任したらしい。ちょっとハシャギ過ぎのような気もする…。



平忠度が討死した両馬川の旧跡碑がある。市教育委員会がこの地での源平合戦の様子を記した説明板を立てている。でも並んで据えられているのは「御即位記念」の碑。大正天皇か昭和天皇の即位記念だろう。まるで関係ないものを並べているのは、いかがなものだろうか。



天文科学館のエントランス付近にも、全く関係のないものがふたつ並んで立っている。ひとつは、この地で教鞭をとっていた生沼勝が作詞し小学生唱歌にもなった「一番星みつけた」の歌碑。もうひとつは明石藩主だった松平康直の墓。何の思慮も感じられない。



明石市立天文科学館に到着。何度も訪問しているけれど、子午線上にあるというだけで、他のプラネタリウムなどとは格が違うと感じてしまう。



天文科学館のデッキには135°Eの文字とともに一本の白線が引かれている。天文科学館のお膝元だけに、明石市だけではなく、京都府から和歌山県までの間に何十(それ以上かも)とある子午線標識のなかでも最も信頼感の高いものに思える。



デッキのフェンスに掲げられている東経135度線が通過する12市を紹介する地図を見ると、明石市が子午線が通る町のなかでの特別な存在ではないことに気付く。丹波市は明石市の何倍もの長さの子午線が市内を通過しているし、西脇市には北緯35度との交点がある。



それでも明石が子午線の町の代表と認められているのは、明石の人々がいち早く子午線に強い関心を持ち、標識を建立して子午線の町を自称したからと言われる。そして子午線上に天文科学館を建設し、子午線の町の地位を確固たるものにしたのだろう。



7つのスタンプポイントを巡り、天文科学館の受付でゴール。コンプリート記念の金色のピンバッジを貰う。ついでに明石市のマンホールカードもゲット。子午線と天文科学館をデザインした明石市ならではのマンホールデザインだ。