南千里〜豊川(阪急フリーハイキング)

 2023年5月13日


午後から雨が降ると言うことなので、それまでにチョコっとウォーキング。阪急フリーハイキングのなかから「千里沿線の公園と西国街道コース」をチョイスする。雨模様ではどうしようもない山歩きと違って、この種の街歩きはあまり天候を気にする必要がない。



阪急千里線の南千里駅をスタート。駅スタンプは千里ニュータウン。千里ニュータウンの中心は千里中央駅だと思っている人が多いけれど、実は南千里駅周辺が最初に開発されたエリアだ。



駅前には南千里駅のマンホールがある。吹田市のマンホールといえば、太陽の塔をモチーフにしたものが標準で、吹田市らしい良いデザインだと思うんだけれど、最近はガンバや鉄道駅などのマンホールを連発している。



さらにガンバデザインの郵便ポスト。こんな色では郵便ポストだと気づかないのではないかと心配になってしまう。



駅前のロータリーには見慣れぬものがたくさんある。最先端の自転車駐輪システムだ。エコサイクルという機械の扉に自転車を突っ込むと、後は自動で地下の駐輪場に運ばれるようだ。かなりの優れモノに感じる。



今回のコースの前半はニュータウン内の公園めぐり。まずは千里南公園だ。200m四方ほどはあるかと思われる敷地は深い緑で覆われ、中央には大きな池がある。駅にも近く、大木あ駐車場も完備している。



南千里から北へと歩いていくが、歩道は高い樹木に囲まれて車道を行き交う自動車が気にならないほどに独立した遊歩道となっている。鄙びた千里丘陵を削って千里ニュータウンが開発されたのは60年も前のことなのに、超先進的な街づくりが為されていたことが判る。



千里ニュータウンを南北に分断する近畿自動車道。大阪中央環状道路とモノレールまであるので、50mを超える陸橋が跨いでいる。南北を連結する陸橋が少ないのが、この周辺でのウォーキングを厄介なものにしている。



千里南公園よりさらに大きそうな千里中央公園。池や小山があるばかりか、体育館やローラー滑り台などの施設も充実している。かつては公園内に設置されることがなかったような、人気のレストランやコンビニなど、市民が公園を楽しめるための営利施設もある。



さして有名スポットではなさそうな、公園内の時計台が今回のスタンプポイント。これって、集めたらどうなるんだろう…。よく判っていないまま、スタンプラリーに参加している。



三色彩道とお洒落な名前が付けられた道を東に進む。秋には紅葉が美しく、街路樹が赤・黄・緑の三色で彩られるらしい。今も道端に黄色い花(マーガレット?)が多く咲いていて、歩くのが楽しい道だ。



北千里駅前。阪急千里線の終着駅だ。実は北千里の南にはかつてもうひとつ駅があった。万博西口駅だ。大阪万博の開催期間中だけ開業していたが、今では跡形さえ残っていない。



北千里駅からさらに北へ、300mほどの線路が伸びている。いわゆる留置線と呼ばれるものだけれど、この先さらに北へと延伸する計画もあったのかもしれない。もう一駅分くらい延伸しても十分乗客は見込めそうだけれど、線路の北には既に住宅が立ち塞がっている。




千里北公園。千里中央公園よりさらに大きい。新しい街区の方がさらに大きな公園を確保したようだ。随分と大きな公園が至近距離に並んでいるけれど、人口も多いところだ。住民一人当たりに換算したら、どうなんだろうか。



北千里駅から1.5㎞くらいのところでは、なお住宅や商業施設・医療施設などの建設が行われている。毎日駅まで歩くにはちょっと辛いところだけれど、便利な地域なので十分魅力があるのだろう。



国道171号に出てきた。おそらくこの辺りが千里ニュータウンの北限だろう。箕面の山々がすぐ近くまで迫ってきた。



国道171号線の少し南に旧西国街道が走っている。京から山陽・九州など西国に向かう旅人が歩いた道だ。15年ほど前に神戸三宮から京都まで何日かに分けて踏破した際に、この道も歩いているはずだけれど、さっぱり覚えていない。



大きな鳥居がある。黒くなって読みにくい扁額には「勝尾寺」とある。ここから北の山中にある真言宗の古刹だ。お寺なのに鳥居?とも思うが、神仏習合というものだろうか。鳥居ももとは江戸時代のものらしいから、明治以降の神仏分離前のものだ。



金毘羅宮の常夜灯。海運や漁業関係者の信仰を集める有名神社とはいえ、海からも遠く、讃岐からはなお遠いけど、江戸時代には金毘羅詣りは伊勢参りに次ぐ人気だったそうで、各地の街道には金毘羅宮の常夜灯があったようだ。鈴鹿峠の鳥居も金毘羅宮だった。



宿場町があった郡山はまだ数㎞東だけれど、結構旧街道らしい趣が感じられる街並みだ。おそらく道幅も当時のままで、古い木造の低層の邸宅が並んでいる。道路の両端にはちょっと特別なタイルが敷かれている。



小さなお堂がある。楠木正成が決死の思いを胸に湊川の戦いに赴いた際、ここの井戸水で喉を潤したらしい。江戸時代になっても多くの旅人が、正成を偲んで、ここの井戸水を求めたそうだ。お堂の前には京の方向を示す石標が立っている。




煉瓦製の祠が立っている。あまり見かけないものだ。日本における煉瓦の製造は幕末のはずだから、これは西国街道とは関係がないようだ。



モノレールの豊川駅でゴール。モノレールの駅舎って、意外に大きく見える。鉄道会社が作成するハイキングマップは発着ともに自社駅と相場が決まっているだけに、自社駅以外をゴールにするのは珍しい。阪急フリーハイキングはかなり度量があるようだ。



大阪モノレールの鉄道むすめ「豊川まどか」。鉄道むすめが始まったのは10年以上も前で、当時は斬新な取り組みで、特にローカル鉄道を盛り上げて注目されたものだけれど、参加鉄道が増えたうえ、同じようなキャラクターばかりのせいか、マンネリ感は否めない。



歩行距離9.8㎞、所要時間2時間40分。帰宅した頃に雨が降り始めた。