小谷城(長浜市)

 2023年5月4日


戦国大名浅井氏の居城であった小谷城を訪問する。戦国時代を代表する山城のひとつだけあって、標高495mの小谷山の2つの尾根に連なる曲輪を周回するつもりだ。


JR河毛駅前には浅井長政とお市の方の銅像が並んでいる。金ケ崎、姉川、一乗谷と続いた織田軍vs浅井朝倉連合軍の最終章となったのが小谷城の攻防戦。信長の実妹であるお市の方や浅井三姉妹が辿った数奇な運命も相まって多くの歴史小説の舞台となっているところだ。



大河ドラマの影響だろうか。河毛駅では多くの観光客が下車。そのほとんどはタクシーやレンタサイクルを利用するけれど、駅から2㎞ほどの登山口近くにある戦国歴史資料館までテクテク歩く。落城後450年となる今年は様々なイベントが開催されているようだ。



資料館で小谷城の基本知識のおさらいをした後、いよいよ小谷山を頂点としたV字型尾根の東側を登り始める。小谷城の大手筋となっていた道のようだ。



メチャクチャ暑い。南向きの尾根道なので背中から常に直射日光を浴び続けている。一旦山に入ると売店も自販機も無いことは判っていたので、余裕を持ってペットボトル3本もの飲料を持ってきたけれど、早々に1本飲み切ってしまう。



寄り道して金吾丸という曲輪へ。朝倉宗滴が対立する六角・浅井を調停した際に滞陣したところらしい。朝倉宗滴の死後、朝倉家中は分裂し、一流大名の座から転落したも関わらず、その後50年間、浅井は朝倉に対して恩義を感じ続けてついには信長から離反したのだ。



尾根筋には続々と曲輪が現れる。それぞれの曲輪には当時の詳しい絵図面が展示されているけれど、この図面を見たところで、450年前の光景を思い浮かべることは難しい。



余計なものは作らない、置かない、というポリシーで小谷城は保全されているという。確かに建物は一切無いし、説明板も必要最小限だ。ここには黒鉄御門という城内への侵入を防ぐための立派な城門があったらしいけれど、さっぱりイメージできない…。



ということで、流行りのAR技術を駆使して、スマホで当時の建造物の復元写真を見ることができる。しかし、邪魔くさい…。それなら現地にこの写真を掲載しておく方が簡単じゃん、と思うんだけれど、それでは雰囲気がぶち壊されるということなんだろう。



いくつかの曲輪を越えていくと、いよいよ本丸跡が現れた。今では石垣の上に高い木が林立する丘のようになっている。4~5mくらいはあると思われる石垣だけれど、かなり崩落している。木が随分と高いだけに石垣がちょっと見すぼらしく見えてしまう…。



本丸跡。詳細は不明だけれど、ここに何層かの建物があったらしい。当然、浅井長政もここで防衛戦の指揮を執っていたはずだ。



本丸から更にいくつもの曲輪が続く。ここは京極丸。近江国守護の京極氏を住まわせていたところだ。大手道からはいくつもの曲輪を攻め落とす必要があったけれど、高所から迂回して攻め入った秀吉が本丸の裏手となる京極丸を占拠したことで一気に戦局は動いたようだ。



山王丸の東側には比較的良好に当時の石垣が残されている。原始的な野面積だけれど、先日訪問した岩尾城などと比べると角の取れた丸っこい石が多く、どことなく優雅に見える。



小谷城址の主要部がある東側の尾根筋は見て回ったけれど、さらに小谷山の頂上を目指す。もともと浅井氏が本丸を置いたところで、小谷城攻防戦では援軍にやってきた朝倉軍の先鋒隊がこれを改修し籠ったという大嶽城があったところだ。



長く段差の大きい階段が続く。足腰に応える。日射しは強いし、一気に疲労が噴き出してきた。



ちょっと見晴らしのよいところもある。前方に見える尾根が登ってきた東尾根。その左側後方に聳えるのが伊吹山だ。伊吹山から右手に伸びる緑地帯は姉川に違いない。



大嶽城跡。ここが小谷山山頂(495m)となる。織田軍の電撃的な攻撃によりこの城が陥落したことで小谷城の背後ががら空きになってしまった。しかも大嶽城落城を聞いて待機していた朝倉義景は越前に退却。さらに織田軍の追撃を受け一乗谷で滅んでしまった。



朝倉の不甲斐なさには何度もガッカリさせられてきたとはいえ、朝倉惨敗の報を聞いた小谷城に籠る浅井長政の落胆ぶりはいかばかりだっただろう…なんて思いながら、西尾根から下山する。眼下には水を湛えた水田と、黄緑色の小麦畑がパッチワークのように広がる。




福寿丸、山崎丸という曲輪を観察しながら下山。念のため多めに持ってきた飲料は全て飲みつくしてしまった。「また、ごんせ(来てね)」と書かれた木札がぶら下げられている。予想以上に疲れてしまった。また来るかどうか、自信がない…。



疲れてはいるけれど、小谷城の南西にある虎御前山にも登ってみたい。小谷城攻めの際、信長軍が陣を構えたところだ。



虎御前山の登山口から、早速えげつない階段に歓迎される(写真で見るよりも何倍もの急坂)。「とらごぜん」との焼印が押されたお助け杖をお借りして、ヨロヨロと登り始める。



当時と比べて植林が進められたせいなのかもしれないけれど、小谷山が望めるのは僅か1ヶ所だけ。尾根道のほとんどは鬱蒼とした高木で眺望は遮られている。



山の北東部から柴田、木下、織田、滝川、丹羽、といった具合に織田諸将の陣跡が並んでいる。ここは柴田勝家が砦を築いていたところらしい。



山頂にある城には木下秀吉の陣を張っていたらしい。主君の信長や先輩諸将を差し置いてなんだか要領よく一番いいトコに陣取ったように見える。じゃあ信長はどんなトコに陣を構えたのか、と気になったけど、1時間に1本の電車に間に合うよう、ここで無念のUターン。



いつかは訪れたいと思っていた小谷城だけれど、大手筋から攻めあがることの難しさは実感。でもちょっと遺構が少なかったのが残念。月山富田城とか備中高松城とかにも行って見たいものだ。歩行距離10.5㎞、獲得標高625m、所要時間5時間50分。