甲州街道(9)甲斐大和〜甲府

2023年5月17日


昨日の笹子峠越の疲れもさほど無く、甲斐大和駅から甲州街道歩きを再開する。駅には武田菱が見られる。菱紋は清和源氏系に多い家紋だけれど武田菱の格好良さは格別だ。武田菱って割菱と同じだと思っていたけれど、割菱に比べて武田菱は4つの菱の隙間が狭いそうだ。



鶴瀬宿。笹子峠から甲州盆地への入口にあたるため、関所が設置されていたそうだ。もっとも今では簡単な標識が立つばかりで宿場町の雰囲気も関所の跡形も残っていない。



国道20号線から外れて旧街道を進んでいくと、長垣の吊橋が現れる。日川の深い渓谷に架かる吊り橋だけれど、橋の入口は生い茂る木々で塞がれ、橋板の多くは失われている。もう随分前に通行止めになったようだけれど、撤去されるでもなく、朽ちるに任せている。



甲州盆地が見渡せるところまでやってきた。盆地の向こうには南アルプスの山々が薄っすらと確認できる。驚いたことにまだ頂上部は冠雪しているようだ。



柏尾に近藤勇像が立っている。江戸から甲陽鎮撫隊を率いてきたものの1日遅れで甲府城は板垣退助率いる新政府軍の手に落ちていた。大名になった気分で浮かれて大酒宴を繰り返したことが責められているけれど、重い大砲を抱えて一日30㎞ものペースで進軍している。



勝沼の古刹、大善寺。甲陽鎮撫隊はこの辺りに陣を敷いて新政府軍を迎え撃ったようだ。新撰組の残党が中核とはいえ、多くは戦闘経験もなく戦意にも乏しい烏合の衆。脱走が相次ぎ121人しか残らなかったという。完敗は必然の結果だったといえそうだ。



甲府盆地を見下ろす山の斜面にはブドウ畑が広がっている。勝沼を中心に、甲州市は日本有数のぶどうの産地だけれど、その歴史はかなり古いようだ。芭蕉も「勝沼や 馬子も葡萄を 食ひながら」の句を詠んでいる。



甲州街道に沿って「○○園」と名前が付いた観光ブドウ園が軒を連ねるかの如く並んでいる。百軒はゆうに超える数のように思える。どこも広い前庭にブドウ棚を作って、そこでブドウ狩を楽しめるようになっている。



勝沼町の至るところに、2人の洋装の男性を描いた写真を掲げた看板が立っている。明治初期にこの地から2人の青年がフランスに渡りブドウ栽培やワイン醸造を学んだという。今では日本一のワイン産地として30を超えるワイナリーがこの地にあるそうだ。



勝沼宿本陣前にある槍掛けの松。大名などが逗留中は、この松に槍を掛けて、目印にしたそうだ。



駒飼宿、鶴瀬宿と、旧宿場町の雰囲気がまるで感じられない町が続いたけれど、勝沼宿はかなり当時の街並みを感じさせる家屋が残っている。



甲州市から山梨市に入る。立派な市名なんだけど、食事するところもコンビニも現れない。大戸屋発見!と思ったら、創業者の生家だった…。山梨県の県庁所在地は甲府市だけれど、甲州市、山梨市、さらには甲斐市とか中央市なんてのもあって混乱してしまう。



いつの間にか栗原宿を通過してしまった…。気が付かなかったということは、たぶん宿場町っぽさは残っていなかったはずだ。笛吹市に入り、黄色い花が咲く笛吹川の土手を進んでいく。笹子峠までは相模川水系だったけれど、甲府盆地を流れる川は富士川水系になる。



正午を過ぎて気温がどんどん上がっている。今日の甲府の気温は34度とか35度だとか、とんでもない数値が予報されている。かなり疲れが溜まったところで、石和宿到着。本陣跡の石碑や案内板がフェンス内にあるのがちょっと寂しい。



温泉郷として知られる石和だけれど、その歴史は意外に浅く60年ほどでしかない。有難いことに本陣跡の傍に無料の足湯がある。疲れた足に温泉が沁み込むようだ。しかし、それとともに歩く意欲も低下してきた。今日は石和で打ち止めにしようかと考え始める。



折れそうになった心と、足湯ですっかり弛んでしまった足腰を奮い立たせて、当初の目的地である甲府を目指す。が、暑いなんてもんじゃない。石和から甲府まで7㎞ほどのはずだけれど、歩いても歩いても甲府が近づかない。




一体気温は何度なんだろう。5月とは思えない暑さだ。何本もの甲府駅行のバスを恨めし気に見送り、麦茶やら炭酸やら、何本ものペットボトルを飲み干し、禁断のアイスクリームにまで手を出して、ようやく身延線のガードまでやってきた。もうひと息のはずだ。



訳のわからないパン屋がある。ダイエットばかりか、コロナや癌や美容にも効能があるとの派手が看板が並んでいる。これだけならただの怪しげなパン屋だとスルーするところなんだけど、安倍元首相のメッセージまでデカデカと掲げられている。何なんだ、このパン屋は?



甲府の中心部へと入っていくと、武田菱がやたらと多い。今も山梨の人にとって武田氏の存在が大きいことがよく知れる。甲府に進軍した土佐の乾退助も、直前に先祖である武田氏家臣板垣氏に改姓し、甲州人の指示を得ようとしたのだ。



板垣退助が近藤勇に1日先んじて占拠した甲府城。想像していた以上に立派な城郭だ。元は豊臣秀吉が関東の徳川家康に睨みを効かせるために築城したものだし、徳川時代でも江戸が危機に陥ったならば将軍は甲府城へと退避する計画だったというから、半端な城ではない。



石垣もかなり立派だ。もう少しゆっくり城内を見て回りたいけれど、すっかり疲れてしまった。暑さのせいだろうけど、先週登った雪彦山より、明らかに体力的な消耗は激しい。もう歩きたくない…。



甲府駅に到着。武田信玄公が出迎えてくれる。いやはや尋常ではない存在感だ。川中島の戦いの際のイメージだろうか。軍配を手に床几に座った姿はいかにも総大将。数多の武将の銅像があるけれど、これほど「らしい」銅像は他には思いつかない。



ヘトヘトだというのに腹は減る。駅ビル内のレストランで、山梨名物のコシの強い吉田うどん(この店では富士山うどんといって、富士山のように具を盛りつけていた)と、鳥のもつ煮を完食する。



所要時間9時間10分、歩行距離24㎞。江戸から甲府まで9日。豪遊三昧しながら進軍していたと言われる甲陽鎮撫隊の半分ほどのペースだ。ここから西は裏甲州街道。諏訪まで進み中山道へと入る予定だ。