中山道(4)(北本~行田)

 2024年7月11日


中山道歩き2日目。朝にも雨が降ったけれど、午後からも雨が降るようだ。ここまでやってきて、無為に時間を過ごす訳にもいかず、北本駅から再び国道17号を北上していく。幸い気温は昨日ほどには上がらないようだ。



富士塚というものがある。富士信仰による築造らしく、富士塚の向こうには実際の富士山があるらしい。



鴻巣市に入る。聞いたことはあるけれど、どういう町なのか、さっぱり知らない。今ではさいたま市となっている大宮・浦和以外、ほとんど埼玉県とは縁がなかったし、そもそも関西人にとっては埼玉県は最も訪れる機会の少ない県のひとつだと思う。



鴻巣市に入ると、中山道関連の石碑は最近きれいに整備されたものが並んでいる。使われている石もちょっと上等っぽい。



週末の祭礼では旧中山道は車両通行止になるらしい。大宮以降、各町で祭礼の準備が進められているのを見てきたけれど、この辺りは夏祭りがメインなのだろうか。関西では天神祭と祇園祭という超ビッグな祭礼は別にして、夏祭りは少なめに感じる。



鴻巣の市街地へと進んでいくと、人形を扱う店がいくつも並んでいる。鴻巣は雛人形の製作でも有名なところらしい。元は江戸時代に農家が冬の閑散期に副業として始めたものなんだそうだ。



鴻巣宿本陣跡の碑。碑は立派だけれど、本陣は跡形もない。(道の向かいの建物は本陣とは無関係)。家康が好んだ鷹狩のための休息所「鴻巣御殿」もこのすぐ近くにあったようだ。



鴻巣駅前にある東京オリンピック聖火リレーの記念碑。コロナ禍のなか、全国各地で聖火リレーは開催されたはずだけれど、この種の記念碑は初めて見たような気がする。



今日もうどん。鴻巣市を流れる荒川に架かる橋はなんと2537m。日本一の川幅という。渡ってみたいものだけれど気軽に寄り道できる長さではない。その代わり、観光案内所で紹介していただいた小松やという和食処に近年鴻巣の名物となっている川幅うどんを食べにいく。



これはうどんかぁ? 日本一の川幅に因んで、凄い幅のうどんだ。太いという形容詞は最早使えない。これは広いというべきだろう。幅10㎝くらいはありそうだ。これが意外に美味い。麺は程よくモチモチ、喉越しの良いワンタンの皮のような食感だ。



川幅うどんを満喫し、大いに気を良くして再び中山道を歩き始めたものの、空模様はますます怪しい。雨雲レーダーを調べると、すぐそこまで雨雲が近づいている。



鴻巣で中山道は国道17号と別れ、県道?を進むこととなったため、ロードサイドに店も見当たらなくなってきた。雨が降ると雨宿りする場所にも困りそうだ。今後のことを考えれば、なんとか熊谷まで進みたいと歩を早めるけれど、雨が降り始めるのは時間の問題のようだ。



氷川八幡神社。嵯峨源氏の流れを汲む箕田源氏にゆかりの深いお寺のようだ。平将門と敵対した一族だったはずだけれど、最も有名なのは、源頼光の四天王の一人として酒呑童子や茨木童子を征伐し、渡辺氏の祖ともなった源綱(渡辺綱)だろう。




気付かぬうちに行田市に入っていた。市が変わると中山道の道標のデザインが変わる。統一したものにした方が、とも思うけれど、各自治体の中山道に対する思い入れの温度差は小さなものではなく、かけることができる予算も全然違ってくるのだろう。



JR高崎線踏切の脇に、「間の宿吹上」の石標が立っている。鴻巣宿と熊谷宿との間が四里ほども離れていることから、その中間にある吹上に間の宿が置かれたようだ。忍城下から日光へと繋がる日光脇往還道との分岐点にもなっている。



国道17号線をひたすら北上してきた鴻巣以南と異なり、このあたりの中山道は複雑な道どりとなる。しかし、どなたが設置していただいたのか、質素ながらも判りやすい道標が多く、とても助けられる。



気温は高くないものの、雨にも度々降られ、かなり疲れてきた。吹上駅で終えようかとも悩んだけれど、もう少し北へ進むことにする。広い関東平野の真ん中あたりのはずだけれど、西には山並みが見えるようになってきた。秩父の山々のようだ。



国道歩きに比べれば、道間違いのリスクは高いもののこうしたのんびりした道が圧倒的に歩きやすい。あまり旧街道らしい雰囲気はないけれど、多くの街道ハイカーが歩いているのだろう。公衆トイレの案内板も見られる。



進んでいくと、住宅街を離れて、草が生い茂る殺風景なところにやってきた。どうやら荒川の堤防を進んでいるようだ。もっとも、車にとっては快適なバイパス路になっているようで、時折り結構なスピードで車がやってくる。



堤防の外(川側)には田畑が広がり、人家はもちろん水面さえ見えない。相当広大な堤外地となっているようだ。増水時の荒川が氾濫の酷さが窺い知れる。鴻巣の日本最大の川幅を有するという橋も、このような広大な堤外地を越えるため長くなっているようだ。



堤防の上には昭和22年の台風で堤防が決壊したという大災害の記録を後世に留めるため、桜の樹が植えられている。



なんとか熊谷宿まで歩きたかったけれど、タイムオーバー。3日歩いて本庄あたりまで進むつもりだったものが、まさかの行田どまり。次回以降の行程がさらに難しくなってきた。本日の歩行距離15.2㎞、所要時間は6時間。