大阪4低山(大阪市)

 2024年7月24日


先日購入した空調服の街歩きでの効果を確かめるべく、大阪市内の超低山巡りに出掛ける。真夏の舗装道歩きは、山歩きとは全く異質の不快な暑さを感じるものなのだ。午後14時前に南海高野線の帝塚山駅をスタート。気温は35度。



駅からほど近いところにある小高い丘が帝塚山(19m)。大阪五低山のひとつだ。帝の塚ではなく、大伴金村とかの有力豪族の墳墓の可能性が高いらしい。それよりも浦島太郎の墓という伝承が気になる。



何度か訪問しているので判ってはいたことだけれど、残念ながら帝塚山は周囲を柵に囲まれて立入はできない。周回するけれど、住宅の隙間からチラと見える程度で、前方後円墳であることさえ確認は難しい。



住吉区にある帝塚山から北へと向かう。空調服のバッテリーを節約するため、「最強」ではなく「強」に留めているので少々物足りないけれど、それなりに体の負担は軽減されているはずだ。しばらく歩くと阿倍野神社にやってきた。



阿倍野神社は北畠親房・顕家父子を祀る神社。全国に30ほどしかない別格官幣社の社格を有していたところだ。奮闘虚しく石津の戦い(堺市)で足利方に敗れて討死した顕家を祀る神社やお墓が、なぜここにあるのかが未だによく判らない。



西成区と阿倍野区の区境に沿うように北上していく。山歩きと違って、真夏の都会歩きでは日陰を歩くことは難しい。上からの日射よりも、むしろ下から湧き上がってくるような蒸し暑さにウンザリさせられる。



第二の低山。聖天山の麓までやってきた。まだ歩き始めて1時間ほどなのに、僅かな階段がかなり鬱陶しくなるほど心身ともに疲れてきた。



階段の上にある正圓寺の境内が聖天山(14m)の山頂ということになっているけれど、周囲にはもう少し高そうなところがあるような…。ここも古墳だったというけれど、壊されたのかなぁ…。もっとも上町台地の南端となる聖天山全体が古墳ということではないようだ。



聖天山公園にある日陰のベンチで、もう歩くのやめよかな~という思いが何度も頭を過りながらの長い休憩を取った後、上町断層の西側の縁に沿って進む。高い右側が阿倍野区で低い左側が西成区だ。



両区の間にはところどころに歩行者専用の階段がある。車で両区間を行き来するためには結構遠回りをしなければならない。



あべのハルカスが見えてきた。地上300mもある高層ビルを見上げながら、標高10mとか20mとかの低山を目指して歩いているのもおかしな話だ。



大阪市立大学と大阪府立大学が統合し、大阪公立大学になったはずだけれど、新しい表札の下にまだ市立大学の表札が残っている。公立大学という名前の認知度がまだ低いこともあろうけど、市立大学の表札を処分するに忍びないのではなかろうか…。気持ちはわかる。



天王寺付近のマンホールは、ほとんど大阪万博のデザインに取り換えられている。まだ難題山積の万博だけれど、いよいよ開幕が迫ってきた。1970年の大阪万博には熱中したのに、今回の万博にはあまり興味が持てない…。



近鉄天王寺駅前の巨大横断歩道。10年ほど前カラネーミングライツを導入している。確か3年間で400万円ほどと聞く。企業名を冠した橋名標はさほど大きなものではないけれど、どこまで効果があるのだろうか。梅田の大歩道橋は3年で600万円ほどだったはずだ。



大阪環状線を北に渡って天王寺区に入る。10年ほど前まで、天王寺駅から西に少し行ったところに環状線最後の踏切となった一ツ家踏切があったのだけれど、今ではその跡形さえ確認できない。よくまあ、こんなトコに踏切があったものだとさえ思ってしまう。



天王寺公園。すっかり真夏だ。周囲はセミの声でうるさいこと、うるさいこと。どの木にも簡単にセミを見つけることができる。



本日の第三峰、茶臼山の麓にやってきた。大阪冬の陣では徳川家康が、夏の陣では真田幸村が陣を構えたところだ。



茶臼山山頂。標高は26mと大阪五低山の最高峰となる。平地に盛り土をしたものなのか、元からの高台を利用したものなのかは知らないけれど、ここも古墳だという。三角点風の山頂碑の右には真田の六文銭。左側は徳川の葵紋が描かれている。



かなり心身の疲労は溜まっているけれど、頑張って最後の一座、御勝山に向かう。インバウンドで賑わう四天王寺の南大門。かなり原色に近い赤と青の金剛力士像が有名なところだ。



四天王寺の東大門。これまで気付かなかったけれど、ここにも一対の金剛力士像があって、色は緑と黄色だ。



大阪環状線の高架を潜って東へと向かう。環状線の向こうは生野区になる。



古い国旗掲揚台の跡が住宅街の中に残されている。国威宣揚、興亜日本の2つの石柱が残されている。おそらく真ん中の木柱が国旗掲揚のためのものだったのではないかと想像する。



史蹟岡山、又は御勝山との石標までやってきた。石標の向こう側が御勝山で、大阪夏の陣では二代将軍徳川秀忠が陣を張ったところ。戦勝を記念して御勝山と呼ばれるようになったという。



御勝山(14m)も古墳。前方後円墳らしいが、立入はできない。傍にある横断歩道の上から内部を窺うけれど、古墳らしさは感じ取れない…。この後天保山まで歩けば5低山縦走と言えるのだろうけれど、10㎞ほども離れている。とてもムリだ。



距離9㎞、所要時間は3時間20分。4山を制覇?したというのに獲得標高はたったの56m。空調服を最強にすることなく、強までで我慢したこともあって、バッテリー消費は半分ほど、この調子なら7時間ほど持つことになるけれど、風量がちょっと物足りない。