2019年3月31日(日)
山陽電車が主催する須磨さくらめぐりスタンプラリーに出かける。まだ満開とはいかないだろうが、晴天のもと須磨の4ヶ所の桜の名所を歩き回ることにする。
須磨浦公園駅に降り立ってみると、すごい人混み。須磨浦山上遊園に向かうロープウェイに行列ができているのだ。
これまで気付かなかったのだけど、山を少し登ったところにある広場に、与謝蕪村の「春の海 終日(ひねもす)のたりのたりかな」の句碑がある。須磨で詠まれた俳句なんだそうだ。句碑の向こうに、須磨の春の海が見える。
桜は三分咲きから五分咲きといったところだけど、須磨の青い海に映えて美しい。このあたりでボンヤリと「のたりのたり」を感じていたいところだけど、ウォーキングはほんの序盤。先を急ぐ。
この道は、六甲縦走のスタート地点でもある。以前六甲縦走路を3日かけて歩いたとき、この坂道で張り切り過ぎていきなりバテバテになったという苦い思い出がある。
良く整備されてはいるのでけど、実に鬱陶しい石段が続く。とにかく急ぐことなく、自分のペースで、ゆっくりと登っていくことを心掛ける。
ロープウェイの終着点あたりまで登ってきた。桜が咲く向こうにロープウェイ、そのまた向こうに須磨の砂浜が広がっている。もう少し花が咲いて、いいカメラで撮れば、絵葉書にでもなりそうないい感じのアングルだ。
ロープウェイの終着点から、さらにカーレーターという摩訶不思議な乗り物が続く。100mくらいしかないので、これくらい歩けよ~と言いたいところだが、実はとても興味がある。構造としては、ゴンドラがエスカレーターに乗っかって運ばれているようなものらしい。日本で現存する唯一のものなんだそうだ。
スタンプポイントになっている回転展望閣。顔出しパネルは、敦盛ではなく、平清盛と二位の尼だ。須磨と清盛の組み合わせに合点がいかないが、NHK大河に併せて製作されたものだろうか。それに二位の尼より平時子にしておく方がいいのではないのか?
鉢伏山を経て、旗振山までやってきた。播磨・摂津の国境だ。明石海峡までよく見通せる。こんな天気のいい日なら、米相場の旗振り通信も上手く伝えることができただろう。
旗振山から六甲縦走路を通って西へ。鉄拐山の手前で六甲縦走路に別れを告げて南側に回り込んでいく。
毎日登山の署名所がある。立派な小屋のなかに、登山してきたことを示すメンバーの出席簿のようなものがある。雨や風の日もあるだろうけど、熱心なメンバーは毎日ほぼ欠かすことなく登ってきていることに感服してしまう。
須磨寺。何度となく来ているところだけど、このお寺の紋が桜紋だということに今更気が付く。武家では桜紋は、短命をイメージさせるものだけにあまり使われなかったと聞くが、お寺なら関係ないのだろうか。
須磨寺は由緒あるお寺なんだけど、どうも駄洒落感が強いものが多々見られるのが、ちょっと気になる。同じ須磨の網敷天満宮と須磨寺を結ぶ道を最近「智慧の道」なんて名付けて、両者の親密さを感じるのだけど、網代天満宮も駄洒落感満載なのだ。「智慧の道」というより「駄洒落の道」とでも呼びたくなる。
須磨寺公園。池に突き出た東屋と桜の組み合わせが美しい。
最後のスタンプポイント、須磨離宮公園にやってきた。入り口を入ったところにあるヒマラヤ杉にふと違和感を覚える。なんど昨年の台風で、上部が6mほど折れてしまったらしい。今は高さ20mしかないことになる。
須磨離宮公園といえば、海を見渡す高台に造られたヨーロッパの宮殿を思わせる前庭と噴水で有名なところ。植物園やフィールドアスレチックなどもあって、たくさんの人が訪れている。
天気はいいけど風が強い。噴水の水飛沫が遠くにいても襲ってくる。
西洋風の公園と思っている人が多いけど、ここは元々離宮なのだ。戦災で焼失する前には立派な御殿があったらしい。今では、当時の面影を感じさせてくれるのはごく一部でしかない。
帰路はブラブラと山陽電車に沿って板宿駅まで歩く。東須磨駅と板宿駅の間で山陽電車は地下に潜っていく。
以前から気になっていた板宿駅の近くにある不気味なモニュメント。あらためて説明板を読むと、チュニジアにあった古代都市国家、カルタゴをイメージしたものなんだそうだ。ローマに滅ぼされたカルタゴがその後美しい町として復活したように、阪神大震災で大被害を受けた神戸も復活してほしいとの願いを込めているらしい。
でもカルタゴって、その後滅んじゃったんだけど・・・、なんて言うのも野暮だよな、と思いながら板宿駅から帰路につく。本日の歩行距離10km。まあキツイ山道もあったので、距離の割にはいい感じに疲れた・・・。