日本橋~川崎宿【東海道五十三次 -1】

2019年8月13日(火)


いつかはやってみたいと思っていた旧東海道五十三次ウォーキング。ついに始動だ。ガイドブックも購入したけど、江戸~京の間の総距離は500kmにも及ぶ。時間のあるときに少しずつ歩き継ぐつもりだけど、一体何日かかることやら。



お江戸日本橋。何度も通ったところだけど、東海道五十三次ウォークのスタート地点と思えば感慨もあらただ。徳川慶喜の筆による「日本橋」の文字が眩しい。



日本国道路元標。聞くところによると、これはレプリカで、本物は車道に埋め込まれているらしい。



さあスタートだ。八重洲という地名の由来になったヤン・ヨーステンの記念碑を横目に見ながら、銀座方面に向かう。当然これが国道1号線と思っていたが、国道15号線のようだ。第一京浜と呼ぶ人が多い。



「きゃうはし」と書かれた石柱が、ビルに隠れて密かに立っている。かつては「京橋」の親柱だったもののようだ。車で通ることばかり多い道だけど、歩いてみると、右にも左にも興味深い史蹟が溢れかえっている。



銀座に入ると様々な「発祥の地」やら「記念碑」が更に目に付く。ミキモト真珠店の前には「真珠王記念碑」なんてのもある。その向こうにあるのは、アンパン発祥の店と言われるキムラヤだ。



大量のパンを購入する人たちの列に並んで、明治天皇もお好きだったという初代アンパン「桜アンパン」を1つだけ購入。随分と小振りのサイズだけど、値段は150円となかなかのもの。



通りに面して、おそらく200mおきくらいには、大きな観光案内看板が設置されている。東京が政治経済の中心地というだけではなく、国内外からの人々があつまる一大観光都市であることを実感する。寄り道してみたいところが多すぎる・・・。



暑さと寄り道の多さのせいか、新橋あたりで早くも休憩したくなってきた。日本初の鉄道の起点となった旧新橋停車場に立ち寄る。今は鉄道歴史展示室になっているというが、内部を見たことがないのだ。が、残念なことに閉館日だった・・・。



田町に西郷隆盛と勝海舟が江戸開城に向けての会見をした地を記念する碑がある。ちょっと待てよ、最近訪れた愛宕神社でも、西郷・勝の会見の地との説明があったはずだ・・・。



懐かしい姿が目に飛び込んできた。右翼のドンとか政界の黒幕とか呼ばれた笹川良一が老母を背負って金毘羅参りをしている像だ。50年ほど前には、いやほどTVコマーシャルで見たものだ。笹川がいつも言っていた「世界は一家、人類は皆兄弟」なんてフレーズなんて若い人は誰も知らないだろう。



おそるおそる笹川記念会館に入ってみると、レースの中継などボート一色。、ビルの大半は笹川が設立した日本モーターボート競走会の関連事務所のようだ。レースを見ながら随分と涼ませていただいた。



高輪大木戸の跡。今も木戸の両端にあった石垣が残されている。暮れ六つから明け六つの間は閉門され通行が止められていたという。日本橋を出て2時間もかけてようやく江戸の西端までやってきたということになる。こんなペースでいいのかぁ?



山手線の新駅、高輪ゲートウェイ駅の完成が近づいているようだ。ゲートウェイとは、かつての大木戸にヒントを得て名付けられたらしいが、英語にする必要があるのだろうか。個人的には、駅名なんてものは短いほどカッコいい。



日本橋から7kmの距離ポストが現れる。時速3kmほどでしかない。古今数多の東海道ウォーカーでもこんなノンビリペースで歩いた人はそうそういないだろうが、寄り道や休憩を繰り返しながら、時間をかけてでも楽しく歩き通すというウォーキングスタイルを変えるつもりはない。



品川駅を過ぎ、八ツ山橋にやってきた。ここでJR東海道線を離れて、京浜急行に沿って歩くことになる。付近の案内看板を見て知ったのだけど、ここはなんとゴジラの上陸地点なんだそうだ。65年前には、このあたりまで海だったようだ。



八ツ山橋を過ぎると、旧品川宿に入る。今の品川の中心地からは少し離れているけど、その分落ち着いた旧宿場町の雰囲気が残されているように思える。



とはいえ、震災、戦禍、市街地再開発などを経て、かつての建物などは消えてしまい、石碑類ばかりが多い。それでも地域の方々は宿場まつりなどを開催して、宿場の雰囲気を取り戻そうと頑張っているようだ。



品川縣ビールと書かれた幟が多数見られる。日本初のビールだという。外国人による初めての国内醸造所が横浜、国内初の製造・販売が大阪、と記憶していたんだけど、日本初にもいろいろな定義がありそうで難しい・・・。



青物横丁。さやえんどうのような街灯が可愛い。でも、どうしたことか、今や八百屋さん的な店はあまり見当たらない。



国道を歩いていたときは感じられなかったけど、品川宿以降、いかにも旧街道という感じの幅の静かな道が続く。



立会川。この地にかつて土佐藩屋敷があって、坂本龍馬が若き日を過ごしていたところだ。駅前には龍馬の銅像や顔出し看板があったりして、龍馬一色で埋め尽くされている。



立会川からさらに西に進むと、鈴ヶ森刑場跡がある。罪人に家族が最後に面会できたことから立会川と言われたと聞いたことがある。



刑場跡には、八百屋お七やら天一坊など、世間を騒がせた大罪人が火炙りにされたという磔柱の基礎が今も残っている。



鈴ヶ森を過ぎると再び国道歩き。さらに雨まで降りだした。西日本方面を襲おうとしている大型台風の影響で東京の天気も不安定だ。もっとも、この程度の雨なら酷暑よりマシ。逆にちょっと元気が出てきた。



大森。昔と変わらず、今も海苔を扱うお店が多い。海苔屋のシャッターには往時の賑わいが描かれている。



梅屋敷公園。観梅のため、明治天皇が何度もここを訪れたとのことで、「聖蹟梅屋敷公園」などという御大層な名前が付いている。



京急蒲田駅。空港線と本線が分岐する忙しい駅だ。ホームは上りと下りで2階部と3階部に分かれている。各線の高架も2階建てになっている。東京に人にとっては珍しくもなんとも無いのかもしれないけど、関西人にとっては興味深い。



ようやく多摩川。これを渡れば神奈川県に入る。悪くても川崎宿、あわよくば神奈川宿、いや保土ヶ谷宿あたりまで歩こうとスタートしたけど、いい加減疲れた・・・。最悪ケースと思っていた川崎で今日は打ち止めにしよう。



多摩川はかつては「六郷の渡し」と呼ばれる渡し船で渡河していたそうだ。橋には往時の渡し船のようなオブジェが取り付けられている。ガイドブックによると渡し賃は6文。三途の川と一緒だ。現在価値では100円といったところか。



川崎宿に到着。道には幟がはためいている。旧宿場の見どころも多いのだろうけど、今日はここまで。



本日の歩行軌跡。ガイドブックによると、20km強の行程のはずだけど、スマホアプリの記録は27km。確かに寄り道も多かったけど、ちょっと距離が多めに出過ぎている。



このブログでは原則として写真枚数は25枚と決めているんだけど、今回は割愛するに忍びない写真が多くて敢えて大幅オーバーだ。