名塩探索(西宮)

2020年9月12日


西宮市の北端近くにある名塩ニュータウンが以前から気になっている。丘の斜面に立ち並ぶ白い家々はスペインのアンダルシアの町を彷彿とさせる(行ったことはないけど)。長~い斜行エレベータも気になるぞ。今日は名塩周辺を散策してみることにしよう。



西宮名塩の駅は、今は廃線跡ハイキングで人気となっている武庫川渓谷を走ってていたJR福知山線を付け替えたことで誕生した駅だ。古くからの名塩の集落から離れた、もともとは何もないところに駅ができたようで、駅の周囲はニュータウンとして開発されている。



現在の福知山線は北摂の山々を貫通して敷設されている。西宮名塩駅は山々が僅かに途切れたところに設置されたようで、ホームも2つのトンネルに挟まれている。



駅前から山上に広がるニュータウンまでは斜行エレベータが設置されている。エレベータの横には階段もあるけれど、いかにウォーキングが目的だとしても、この長大な斜行エレベータに乗るチャンスを見逃す訳にはいかない。



建設当初は日本一の長さと速度を誇っていた斜行エレベータだという。1階から2階を経て最上階の3階まで3分くらいかけて徐々に高度を上げていく。電車で1駅くらい乗ったような気分だ。他所者が運賃も支払わなくていいんだろうか、とさえ感じさせてくれる。



出入口は普通のエレベータと全く同じ。2台あるエレベータのそれぞれに呼び出しボタンがある。乗車すれば、壁面にある行先ボタンを押すだけだ。



斜行エレベータを下りると、静かな住宅街が現れる。よく手入れされた街路樹や芸術的なオブジェもある落ち着いた空間が広がる。



ニュータウンの広場も、余計な遊具やオブジェなどを置くことなく、フラットなエリアが広がっている。斜面が多いところだけに、このような平坦な広場は何をするにしても貴重なのかなぁと思う。



さすがに眺望はすばらしい。山の向こうに大阪市内のビル群もくっきりと見える。西宮名塩駅から大阪駅までの所要時間は35分。通勤時間としては悪くはないけれど、冬は寒いだろうなぁ…。



なんだか不思議な恰好をした設備が多く見られる。ライトであったり、排水パイプであったり、単なるオブジェではなくて、何らかの役割のある設備のようだけど、イマイチ理解できない…。



ニュータウンの西側にはかつての自然が保護されていて、里山歩きが楽しめるようになっている。古い名塩の町まで里山を抜けて行くことにしよう。



つい先刻までニュータウンにいたことなど忘れてしまうような深い渓谷を進む。涼やかな水流がどこからか聞こえてくる。



気が付けば眼下には立派な滝がある。名塩の下滝というものらしい。何とかして滝の正面に行けないものかとウロウロしたけれど安全に滝の正面に出ていく道が見当たらない。



山を下りてニュータウンとは2㎞ほど離れた名塩の旧集落にやってきた。この地は緒方洪庵の適塾で塾頭を務めたという伊藤慎蔵が妻の療養のために人里離れた名塩に隠棲したところ、伊藤を慕って多くの蘭学生が名塩に住み着いたという。



緒方洪庵の妻で、名塩出身の八重の像がある。伊藤に同郷の女性を結婚相手として紹介するなど、親身に塾生の面倒をしたそうだ。「蘭学の泉ここに湧く」との碑文のがあるが、福沢や大村などの蘭学生の活躍は八重の存在無しにはあり得なかったということだろう。



名塩の集落を見下ろす丘の上にある教行寺。集落をあげて檀家になるからと蓮如にお願いして開基されたそうだ。名塩御坊とも呼ばれる古刹に相応しい楼閣や石垣などが見られるが、門が閉ざされていてお詣りすることができない(扉を押せば開いたのかもしれないが…)



中国自動車道の名塩サービスエリアは徒歩でも入り込めるのではないかと高速の付近をウロウロするが、サービスエリアへの進入路を見つけることができない…。まあ、特に用事がある訳でもないし、諦めるとしよう…。



名塩は室町時代から和紙の生産地としても名高いところで、品質の良さから江戸時代の藩札などに多く使われていたらしい。旧集落のど真ん中には名塩和紙学習館というものがある。紙漉きの体験ができるようだ。



新旧の名塩の町の探索を終え、国道176号線を南下して生瀬に向かう。夕方になるとこの国道はいつも渋滞しているように感じる。電車でひと駅の生瀬くらいまでなら歩いた方が早いんではないかとさえ思う。



中国道の高架が尼子谷と言われる渓谷を跨いでいる。かつて尼子谷は美しい渓谷でハイキングの定番スポットだったと聞いたことがあるのだけれど、開発で渓流なども破壊されてしまったのだろうか。一度探検してみたいところなんだけど、何の情報も見つからない…。



生瀬の町の入口にある木ノ元地蔵尊。武田尾への廃線跡ハイキングではいつも通り過ぎていて今回が初参拝になる。聖徳太子が国家鎮護を願って一木から彫った三体の地蔵のうちの一体を納めたと伝わるお寺だ。



境内には十三重石塔がある。おそらくこれが山名宗全に対立した結果、この地で自刃した赤松満政の供養塔だと思われるが、どこにも案内板も説明板も無い。



生瀬の駅に近づいてきた。今まで気が付かなかったけど、おそらくは福知山線の旧線が走っていたと思われる橋台が武庫川沿いに残されている。



おそらく福知山線が付け替えられる前の生瀬駅は、現在の駅の北側(武庫川側)にあったのではなかろうか。調べてみたいけれど、一般の立ち入りはできず、ホームから覗き込むしかできない。



およそ9㎞ほどのブラブラ歩きの歩行経路は以下のとおり。