三草山(加東市)

 2020年9月21日


加東市の三草山に出かける。かなり涼しくなってきたので、少しずつ標高をあげて山歩きをしていくつもりなんだけど、先日は標高321mの天下台山で予想以上に疲れてしまった。標高423mの三草山ではどうだろうか…。



三草山は源義経が一の谷の合戦の前哨戦となる平家軍との戦闘があったことで知られるところだ。いくつかの登山路のなかでも、最もメジャーと思われる三草コースから登り始める。登山口には妙な石像が置かれている。



三草山という山名だけあって、草藪と低木ばかりの道が続く。どうやら痩せた岩山のようで、岩肌が露出したり、石がゴロゴロしたりで、道だけが白っぽい。



道が階段状になってくると、自分の体調がよく把握できる。今日は明らかに膝が上がりにくく、息がすぐ切れてくる。夏場もできる限り体は動かしてきたつもりだけれど、体力が落ちているのだろうか…。



さらに進むと、たびたび鎖場が現れる。見た目と異なり足元はしっかりしていて、鎖の助けなしでも上っていける。登り切ればひょっとして山頂か?と思わせるような大空に突き抜けていくような岩場の急坂を進む。



まあ、そう簡単に山頂に辿り着くはずはなく、次なる山が顔を出す。これから進む道が緑の山肌に白く続いている。



陽射しは強いのだけど気温は低いようだ。念のため水分は2リットルほどもリュックに詰め込んできたのだけど、意外と汗もかかず、喉も渇かない。それはいいんだけど、急坂を登っていくのに、リュックの重さが堪える。



登ったと思えば、新たな山が現れ、再び下って、そして登っていく。一体三草山の山頂はどこなんだろうか…。



山頂まで400mの標識が現れた。おそらく目の前のピークが山頂なんだろう。地図を見ればわかることなんだけど、このような一本道では地図もスマホも見ることなく、次に何が出てくるかとワクワクしながら進んでいくのが楽しい。



随分とゆっくりと登ってきたつもりだけれど、1時間半弱で三草山の山頂に到着。写真には写り込んでいないけれど、好天の休日ということもあって山頂は弁当を広げる人たちで満員状態だ。



山頂からは眺望が開けている。ススキの穂が揺れる。まだまだ暑いけれど、確実に秋はそこまでやってきている。



比較的平地が多い南側と異なり、北側は山また山。最近はコロナ禍のため兵庫県内の山ばかり登っているけれど、もう登る山が無いなんてことには絶対なりえない。



山頂には登頂記念のスタンプが設置されている。スタンプは月替わりになっているようで、12ヶ月分のスタンプ欄が並んだ台紙もあるようだ。



山頂の石碑には、ここが源平合戦の戦場であったこと、その後赤松氏が城を築いたことなどが彫られている。剥落もなく、文体も随分と読みやすい漢文だ。見た目ほど古い石碑ではないのだろう。



山頂の下部には、土塁保存のためここから絶対に登らないでください、という注意書きがある。アチコチの山城を探索していても、草木が生えるとどこが土塁なのかを見分けるのは難しい。



道を変えて下山は三草古道を進むことにする。多くの登山者が登ってきた三草コースを戻っていく。他に三草古道で下山する人は見当たらないのでちょっと心配になるけれど、さほど悪路でもなさそうだ。



眼下には青い水を湛えた昭和池が横たわっている。三草古道から昭和池を周回しながら下山していくことにしよう。


登ってきた道と比較して、有難いことに樹木が高く日陰が多い。他に登山者もいないので、のんびりと山を下っていく。



池の畔まで下りてくると、唐突に道が無くなる。崩れ落ちた橋が転がっているのだけど、道ごと崩落したのだろうか。



池端に道があるはずと探しながら、しばらくは池が干上がったところを進んでいく。



無事池の周回路に入ることができたけど、木々に遮られてあまり池の景色を楽しめる道ではない。それに山の上から感じたほどに池は綺麗なものではないのだ。



池越しに三草山を振り返る。写真の左端の山から登り始め、三草山の山頂は写真の右奥になると思うんだけど、自信が持てない。



無事登山口に戻ってきた。登山口にはスポーツ新聞が貼り出されている。阪神の近本選手が高校時代、この三草山を走って体を鍛えたんだそうだ。



山道とはいえ歩行距離はたったの6㎞。距離以上に疲れたように感じる。それに古傷の股関節の具合が悪く可動範囲がさらに狭くなっているような気がする…。