神戸臨港線廃線跡探索

2020年9月4日


JR東灘操車場(現在の摩耶駅)から神戸港までの間を走っていた神戸臨港線の廃線跡を訪ねる。神戸港と東海道線の間を結ぶ貨物支線だが、廃線は17年前と比較的最近まで運行していただけに、そこそこ鉄道遺跡が残されていると聞く。



東海道線の摩耶駅からスタートする。もとは東灘操車場&東灘貨物駅だったものが、神戸臨港線廃線に伴い貨物駅としての役割も終え、2006年には旅客駅に装いを改めて開業した。東海道線に隣接した広大な敷地には何棟ものマンションが建設中だ。



もともと貨物駅があった摩耶駅の北口側からグルリと駅周辺を回って、もともとの操車場や貨物駅の痕跡が無いかを探し歩いたものの特段の発見もないまま摩耶駅の南口にやってきた。広大な貨物駅敷地を跨ぐ立派な陸橋構造の駅舎になっていることが判る。



東海道線沿いに灘駅方面に向かうと、「大陸連絡鉄道もくぐった?」という大袈裟な説明板が目に飛び込んでくる。かつての臨港線がくぐっていた高橋(タカバシ)だ。



タカバシの下の小さな公園には、当時の線路が一部保存されている。かつては、この線路を通って貨物が神戸港経由で中国や朝鮮半島などに運ばれていたのだろう。



公園の線路跡をそのまま西に進むと細長いマンションが現れる。明らかに臨港線の廃線跡に建てられたものだ。



マンションからさらに西へ進むと、遊歩道が現れる。ここもマンションの好立地だとは思うけれど、きっと色々な議論と苦悩の末に遊歩道にすることになったのだろう。



マンションが林立するなかを廃線跡を転用した遊歩道が続いていく。この道もマンションになっていたら、なんとも味気ない町になっていたはずだ。



遊歩道の脇には、ミニチュア線路が設置されている。単なるデコレーションではなく、分岐器などもあって模型の列車が走れそうな出来栄えに見える。



遊歩道は国道2号線を渡る。橋にはかつての鉄道の架電柱なども残されている。当時の架道鉄橋は老朽化していたため、その雰囲気を最大限残しながら遊歩道鉄橋へと改修したようだ。



実際のレールも遊歩道橋の上に置かれている。どことなく、ニューヨークのハイライン(廃線跡公園)を彷彿とさせる雰囲気だ。もっともハイラインが大勢の観光客で賑わっているのに対し、ここはジョギングをする人などがたまに通りすぎるだけだ。



高架になっていた廃線跡遊歩道は春日野道交差点の少し南で唐突に終わってしまう。ここから先、阪神高速道路とその左側のマンションの間の緑地帯を臨港線は走っていたようだ。



生田川の河口にやってきた。川を埋め尽くさんばかりのボラの大群が棲息している。ここには臨港線の鉄橋が架かっていたはずなんだけれど、その痕跡を見つけることはできない。



河口部の公園には、かつての神戸駅構内にあった煉瓦下水道の躯体が保存されている。煉瓦下水道を取り囲む四隅に置かれている柱状の煉瓦は臨港線の架道橋の橋台の一部のようだ。



生田川河口に巨大な鉄の輪っかがある。こちらはかつてこの地にあった川崎製鉄で鋼の圧延のための機械部品、フライホイールというものなんだそうだ。水運と陸運の便や労働力確保などに利のあった神戸港周辺には今より更に多くの重工業が集中していたようだ。



生田川を渡ると、鉄道跡は人気のない臨港エリアを通り抜けるジョギングコースのような道になっている。地図と照合すると、左手の広場がどうやらかつての神戸港駅のようなんだけど、鉄道の痕跡はおろか何の説明板も見られない。



道はそのまま、みなとのもり公園の外周道路へと変わる。黒いフェンスが続き、道の左側が完全に目隠しされている。



黒いフェンスに遮られて、おそらく臨港線の廃線跡よりも少し北側へと導かれ、風格ある神戸税関のビルの前へと出てきた。震災で半壊したため、このビルは1998年築なんだそうだけど、以前の外観を継承しているため、良い意味で新しいビルには見えない。



神戸税関の前が、日本一短い国道で有名な国道174号線だ。なんと全長187mしかない。どうやら国道2号線の付け替えの煽りを受けてこんなことになったらしい。長さは短いけれど、道路幅は広く上下合計11車線もある。



どこにでもある国道標識だけど、国道174号の標識はおそらく日本で一番少ないレア国道標識のはずだ。見渡した限りたった2本しか無いようだ。



臨港線は、神戸港の新港地区に3つある埠頭それぞれへと線路が繋がれていたようだが、今ではその跡形も見つけることができない。ここは第一埠頭、宮崎や高松へと向かうフェリー専用埠頭になっている。



第二埠頭はさらに寂しい。LPGか石油を運ぶ船が1隻停泊していたが、埠頭の大部分はフェンスで閉鎖され、ごく一部の土地、機能しか使用されていないようだ。水深が深く航路が広い摩耶埠頭やポートアイランド埠頭などに神戸港の主役の座を譲ったかたちだ。



そして第一埠頭。もはや埠頭としての役割は終えたと判断され、あらたにシーサイドリゾートゾーンとして生まれ変わり、なんと温浴施設や結婚式場などに転用されている。



日米通商条約以降、近代神戸港の主役であったメリケン波止場も、今や神戸の代表的な集客施設が立ち並ぶ賑やかなエリアになっている。新港突堤もいろいろな再開発案があるようだ。



臨港線跡探索を終え、三宮から帰路につく。歩行距離は8㎞。9月に入ったせいか、先週と比べると暑さも多少和らぎ、久々に余裕を持ってのウォーキングを楽しめた。