2018年12月23日(日)
これまでなかなか登る機会が無かった河内飯盛山だが、大東市が判りやすいハイキングマップを発行しているのを発見。さっそくチャレンジしてみることとする。
JR東西線の四条畷駅からスタート。駅名は四条畷なんだけど、四條畷市ではなく、大東市の端っこにある。駅名は四「条」畷で、市名は四「條」畷、となっていて、ますます複雑だ。これから登る飯盛山も大東と四條畷の両市に跨っている。
四條畷神社。楠木正行を主祭神とする全国に28ある別格官幣社のひとつだ。この四條畷神社の境内の向こうに飯盛山の登山路がある。
せっかくなのでハイキングの無事を祈るため四條畷神社に参拝。楠木正成・正行父子の桜井の別れのシーンが石像になっている。いつも気になっているんだけど、ここの石像とJR島本駅前にある石像がウリふたつなのだ。どちらが元祖なんだろうか。
四條畷神社の奥山からいよいよ登山開始。いきなり旧道は法面崩壊の恐れがあるので新道に回れとの標識がある。序盤から何だか心配だぞ。
通常旧道より新道の方が遠回りになっていても楽な道が多いものだが、この新道ときたら、延々と丸太階段が続く急坂。たかが標高315mの低山と舐めていたけど、さすがに足利幕府を牛耳っていた三好長慶が居城としていただけある難攻の地だ。
ひたすら登るが、すぐにヘトヘトになって度々腰を下ろす。階段の斜度は登るに伴ってさらに急峻になってきたように感じる。
南北に連なる飯森山系の1km以上にわたって並んでいた曲輪跡のひとつだろうか。一見して頂上っぽい小さな高台に、「飯盛城 拠りて長慶 覇をきそう」の歌が書かれた高札のような看板がある。戦国時代屈指の権力者であったはずの三好長慶だけど、その事績を伝えるものはごく少ない。
山頂に向かって、城の遺構らしきものが次々と現れる。飯盛山城が巨大な山城であったことが判る。
いよいよ山頂、と思ったけど、二の丸跡だった。立派な石碑はとある人の登山300回記念。300回くらいでこんな立派なものが作るかぁ・・・。それに300mの山に300回登ったからエベレストを超えたとう自己満足感満載の碑文にも強い違和感を覚える。
南北に連なる高地にある曲輪跡を上ったり下りたり。それも急坂ばかり。
ついに本丸跡に辿りつく。銅像は三好長慶ではなくて楠木正行。確かに四條畷の戦いで討死した正行だが、飯盛山城との直接の関係は無い。おそらく下剋上の三好長慶ではなく、忠臣楠木正行をこの地の代表人物として選んだのだろう。最近、三好長慶はかなり再評価されているんだけどねぇ。
飯盛山城からの眺望。河内の平野部が広く見渡せる。この城は、単に急峻な山頂に立つ難攻不落を誇るばかりでなく、絶好の立地にあって河内、摂津、さらに大和、山城と、畿内一円に睨みを効かしていたのだろう。
おそらく戦前?には、楠木正行像を中心に据えて、国威高揚のための聖域のように整備されていたのではなかろうか。頂上には国旗の掲揚塔が今も残されている。山頂に国旗がはためいているなんて、いかにもありそうな絵面だけど、今の時代、実際にはあまり見かけない・・・。
古い展望台のようなものも残っている。展望台にしてはちょっと低いかも・・・。実態は倉庫かトイレが主目的で、屋上の展望台は副次的な目的だったのかもしれない。
展望台の壁には、三好長慶公武者行列のポスターとともに、日本100名城のスタンプの説明がある。無人の城址にスタンプは設置できないようで、麓の施設に置かれているようだ。よほどの城好きでもない限り、安直には手は出せない。
楠木正行像の周囲にはなんとライトアップの設備まで設置されている。見たところかなり古いもので、倒壊している電灯もある。飯盛山の麓からは、日中は国旗掲揚、夜間は正行像のライトアップを見上げていたのだろうか。
山の北側から苦労して登ってきたが、南側に下りるのも大変。ロープを頼りにズルズルと急坂をずり落ちるように下っていく。
本丸跡から少し下ったところにある楠公寺。四條畷の戦いで討死した楠木軍主従を弔うために開基されたお寺とのことだが、どういうことか池田勇人元首相が楠公寺と改名させたらしい。寺の案内板では高師直を賊将と呼ぶなど、徹底的な南朝贔屓には少々ウンザリする。
ハイキングマップでは野崎に下りていく道が案内されているのだけど、生駒方面に歩いていくことにする。歩きやすく整備された林道をテクテクと歩いていく。上り坂ではあんなにヘトヘトだったのに、平坦な道に戻ると不思議と元気が湧いてくる。
「キャンピィだいとう」。アスレチックとかバーべキューなどの施設が充実した、宿泊施設付きの野外活動センターだ。周囲は畑とか山とか池とかばかり。飯盛山城のスタンプはここで貰えるらしい。
適当な道を選んで歩いていると、大阪桐蔭高校の野球グランドに偶然出くわした。甲子園春夏連覇を果たし、ドラフトでは4人もが指名された。超高校級の有望選手が揃うだけに、山の中にも関わらず練習試合(紅白戦かも?)に大勢が詰めかけていた。
なるべく地道を歩きながら生駒に行きたかったが、適当と思われる道が通行止になっていたりして、やむなく阪奈道路にやってきた。歩道も無い通行量の多い道を奈良県に向かって足早に歩いていく。
ストレスが溜まる交通量の多い道ばかりを歩いて近鉄生駒駅まで歩ききった。なんとなく県境超えに意義を感じていたけど、このコース取りは失敗だった。
本日の歩行記録。10kmほど歩いたけれど、楽しかったのは前半の5kmほど。後半は自動車に脅えながらの詰まらないウォーキングだった。