三尾山(丹波市)

 2020年12月15日


明日から兵庫県北部は猛寒波が襲い相当な積雪が予想されている。丹波や北播磨の山を歩けるこの冬のラストチャンスになりそうなので、以前から気になっている丹波市の三尾山に登ってみよう。丹波富士とも呼ばれる山だが、優雅さはあまり感じられない武骨な山容だ。



三尾山の北側にある中山登山口から入山。しばらくはよく整備された道だが、こんな道が長く続くとは思えない。



山岳訓練場と書かれた建物がある。どういう訓練をするのだろうか。この後、訓練するに相応しい難路が控えているのだろうか。



山岳訓練場を過ぎると、荒れた沢を登っていく急坂へと変貌する。想定どおりとはいうものの、随分と歩きにくく、息があがってくる。



事前に調べたところでは、大井戸山のような岩稜歩きは無いはずなんだけど、道を塞ぐような大岩が随所に現れる。この先、岩に攀じ登ったり、痩せた岩稜を進むようなところが出てこないことを祈りながら登っていく。



この山の岩も、堆積頁岩のようになっているけれど、厄介なことに比較的容易に剥離する。剥離して間もない尖った岩片が路面に転がっているし、剥離しやすい岩では踏ん張りが効かない。



三尾山は、主峰、東峰(前三尾)、西峰(中三尾)の3つのピークを持つ。まずは東峰に向かう。「やれやれ地蔵」がある。急坂を登り続けてちょうど1時間で間もなく東峰頂上。まさにやれやれといったところだ。小銭を賽銭入れのボトルに入れて無事登山を祈念する。



標高526mの東峰頂上に到着。北側に眺望が広がる。ひと山向こうは京都府の福知山になる。今日までは晴れるとの予報だったけれど、空は曇り、なんと雪までチラついてきた。



東峰のピークを制覇し、続いて向かう西峰と主峰がよく見渡せる。10分ほどで西峰、さらに10分ほどで主峰に辿り着けるはずだ。



一旦東峰を下り、あらためて西峰へと登っていく。麓から見ると山肌全体に岩が露出しているように見えたけれど、幸い岩がゴロゴロしているものの、さほど苦労する道ではない。



東峰のピークから僅か10分余りしか経っていないというのに、西峰ピーク(標高552m)に着いた時にはガスが濃くなり、下界への見通しが効かなくなった。粒も大きい雪が盛んに舞い始めてきた。



登山路を通じて「○○研究所」と書かれた膨大な数の白テープが括り付けられている。目障りだし顔に掛かるし、鬱陶しい限りだ。向山でも同じものが多くみられた。11月初旬に開催されたトレイルランニングのマーキングのようだが取り外すつもりは無いのか。大迷惑だ。



三尾山主峰の山頂。標高は586m。西峰からわずか10分ほどだというのに、雪は止み、霧も晴れて、晴れてきた。この頂上には戦国時代の山城があったようで、山頂碑の代わりに、城跡碑が立っている。



三尾城は、丹波の赤鬼の異名をとった黒井城主赤井直正の弟、赤井幸家が築いたもので、写真の左奥に見える黒井城と連携して明智光秀軍に対抗したという。春日の町を南北双方から守っていたようだ。



ピストンで来た道を戻るのは嫌いな性分なので、三尾山から東に大きく迂回して鏡峠経由で下山する。



鏡峠への道は、三尾山から伸びる山稜の尾根道。ゴツゴツした岩が随所露出しているが、歩いていくうえで大した障害にもなっておらず、危険なところも無さそうだ。



基本的には岩山なのだろうが、岩尾根の上にうまい具合に土が被さって、あまり凸凹のない道になっている。



大きな岩も散在するけれど、その上を攀じ登ることなく、岩の横を抜けていけるのが有難い。



振り返ると、先ほど登ってきた三尾山の三つの峰が良く見える。右から東峰、西峰、主峰だ。



覗岩というものが現れた。ここが唯一、岩の上に登って進んでいかなければならないところだ。こんなのが続くとウンザリしてくるが、たまに登場するくらいなら楽しいものだ。



「分水界の径」と書かれた標札が立っている。三尾山から東へと伸びるこの山稜は、日本海と瀬戸内海の真ん中にある分水嶺になっているようだ。



分水嶺だけに、日本海側、瀬戸内側双方の気候がせめぎあっているように、晴→風→雪と天気が目まぐるしく変わり、瞬く間に茶色い地面に白い粒雪が斑点を作っていく。かなり固く大きな雪で、積もりそうな雪に思える。



長い尾根道を1時間ほど歩いて鏡峠までやってきた。標高は425mとなっているから長い時間を掛けた歩いた割には標高は下がっていない。ここから中山登山口に向けて北へ下山していく。



落ち葉に埋もれた静かな道が続く。ゆるやかだが長い下り道をのんびりと歩いてスタート地点に戻る。



本日の歩行軌跡。かなりの遠回り下山ルートを進んだので、三尾山からの下山に随分と時間が掛かった。距離は6.4㎞、累積標高は611m。今の体力・技術レベルには丁度頃合いの山だった。