2020年12月25日
4年ぶりに高砂・加古川の市境に連なる高御位山に挑戦だ。標高304mの低山とはいえ播磨富士とも呼ばれるこの地域のシンボルとも言える山。さらに高御位山を中心とする連山は播磨アルプスとも呼ばれている。富士山とアルプスを一度に楽しめるというものだ。
4年前は曽根駅からスタートし、中所から辻までのフル縦走、そして宝殿駅でゴールという超ロングコースを歩いたが、今回は以前から気になっていた鹿島神社横の馬の背を登っていく少々短めのコースだ。鹿島神社のチタン製の大鳥居に見送られて出発だ。
鹿除け柵を開けたところに馬の背登山口がある。迷いようのない尾根の一本道のはずが、スタート早々、尾根の脇を進む道を10分ほども進んでしまう。よくあることとはいえ、いきなりの道間違いとは、先行きが思いやられる。
登山口近くまで戻り、あらためて馬の背状の尾根を進んでいく。予想はしていたことだが、早々に岩稜歩きが始まる。
以前登った隣の尾根道が良く見える。百間岩と呼ばれる巨大な岩稜の急坂を攀じ登っていったことを思い出す。これから進む馬の背は、百間岩ほどの規模ではないものの、やはり岩ばかりの急坂だと聞いている。
急坂とはいえ岩はしっかりとしていて、グリップもよく効く。比較的暖かく空も晴れている。問題は時折吹く強風だ。進行方向の左から右(即ち西風)に体を持っていかれそうになるほどだ。岩尾根の上で身を隠すところもなく、風が落ち着くのを祈りながら登っていく。
幸い強風も収まってきた頃、目指すピークが見えてきた。ピークまでの道は白く、岩だらけのようだ。
遠目にはなだらかに見えているのに、近づくとかなりの勾配に感じられる。11年前の滑落による古傷のため右足を高く上げると痛むので、左足主導で岩場を登っていかねばならないのが厄介だ。
ようやくピークに到達。登ってきた尾根道を振り返れば、さほどの坂とも岩場とも見えない。遠目から道の厳しさが判るまでには、まだまだ到らない。
これから高御位山の山頂までの道がよく見渡せる。播磨アルプスの名にふさわしいシャープな尾根筋を登ったり下りたりを繰り返して進んでいく。
なだらかな坂が続くとはいえ、岩がゴロゴロと露出した道は歩きにくい。でも、強風も吹き止み、とても快適なハイキング日和になってきたことで心も弾み、足取りも軽い。
傾斜が無ければ、岩が露出した道は、舗装道のようなものだ。
尾根筋からは高砂の町並みから瀬戸内海にかけての眺望が大きく広がっている。先日登った宝殿山や竜山からなる山塊もよく見てとれる。
高御位山の頂上に立つ「天乃御柱天壇」。山頂一帯は高御位神社の社域となっているようだ。国造りのために神様がこの山に降臨した、金星からの隕石が熊野・鞍馬とこの高御位の3ヶ所に落下した、など数々の神話にも登場する聖域だ。
山頂付近は断崖絶壁。ロッククライミングをする人も多いようだが、最近滑落事故があったとの注意ポスターが貼られ、徹底した注意を促している。大正時代にこの地の若者が手作りグライダーでの飛行に挑んだのもこの岩壁だという。
断崖絶壁の岩場の陰に隠れるように立っているのが高御位神社の本殿。熊野修験道の系統の神社なんだそうだ。
高御位神社から南へ、北山登山口に向けて山を下っていくが、こちらにも巨大な岩盤が待ち構えている。麓に向かって直滑降していくような岩場歩きは、あまり気持ちの良いものではない…。
下りたり登ったりをしながら進むと、唐突に道の真ん中に三角点の標石が現れる。何の表示もないけれど、どうやらここが小高御位山の山頂(185m)のようだ。
下山しているはずなんだけれど、下りたと思えば、再び結構険しい登りが登場したりする。
何だか首吊りのロープのようなものが木から垂れ下がっている。他であまり見かけない形式だけれど、急坂を登る際のサポートのためのもののようだ。ロープに掴まりながら岩を攀じ登るというのはなかなか具合が良いものだ。
歩いてきた山稜を振り返る。写真左側の馬の背を登り、写真右の高御位山までの稜線を歩いてきたことになる。
尾根道歩きを終え、北山登山口に向けて、やはり岩だらけの道を下っていく。写真ではわかりにくいが、他と異なり、この下り坂の岩は、ピンク色が混じっている。
周囲を見渡すと、かなり大規模な採石場が見える。連山全体が岩で構成されていることが削られた山肌からも見て取れる。
本日の歩行軌跡。歩行距離は7㎞、累積標高は500m弱だが、標高300mほどの山とは思えないダイナミックな山歩きが楽しめた。