金剛山(千早赤阪村)

 2021年11月19日


先日鉢伏山登山で小学生の大集団と一緒になって思い出したのが小学校行事などで度々登らされた金剛山。久しぶりに千早赤阪村から登ってみよう。何本もの登山ルートがあるというのに、村のHPでは伏見林道(念仏坂)と千早本道以外は利用するなとなっている。



最近ではダイトレルートや奈良県側から金剛山に登ったものの、王道ともいえる千早赤阪村からは中学校の冬山登山以来記憶が無い…、ということは50年ぶりだ。村の推奨に従って、沢沿いの伏見林道を登り、千早本道で下ることにしよう。



岩の隙間から湧水が出ている。水の湧き口に笹の葉を差し込んで、コップも常備された立派な水場だ。小学生のときも、こんな水を飲みながら登ったような気がする。あの頃は、金剛山なんて嫌で嫌で仕方なかった。登山そのものより、バス酔いが辛すぎた。



整備された路面だけれど、なかなかの急坂が長く続く。念仏坂とも呼ばれる道を、念仏は唱えないまでも無心で坂道を歩いていく。登山開始が12時30分と遅いので、多くのハイカーが下山してくる。その多くがソロのシニアで、例外なく足取り軽く下っていく。



長い坂道をせっせと登って50分ほどで伏見峠まで登ってきた。ここでダイヤモンドトレール(ダイトレ)と合流する。何年か前に歩いたはずの道だけれど、さっぱり覚えていない。



伏見峠を過ぎると、キャンプ場などがある広いちはや園地となる。登山口近辺では紅葉が盛りだったけれど、この辺りではピークを少し過ぎてしまった感がある。



ダイトレを外れて村営ロープウェイ乗り場を見に行く。耐震強度不足が判明したものの費用を捻出できず3年前から休業していたが、先日ついに村営での事業継続断念の決断をした。譲渡先が見つからなければ施設は撤去されるらしい。何とかならないものだろうか…。



ロープウェイ駅から「かたくりの道」を通ってダイトレへと戻る。展望台に登って周囲を眺めるが、岩湧山方面は霞んでいてよく見えない…。



葛城神社。この神社の奥が標高1125mの葛城岳となるのだけれど、神域のため立入はできない。拝殿の前に「金剛山頂」の山頂碑が立っている。ややこしいことなんだけれど、金剛山とは葛城岳を含むこの一帯の山の総称で、葛城岳がその主峰になる。




葛城神社の周囲は杉の大木で囲まれている。仁王杉とか夫婦杉とか、樹齢500年とも聞く巨木が立ち並んでいる。



葛城神社から少し下ったところにあるのが転法輪寺。金剛山というのは、この寺の山号だという。本殿に続く石段の下で、不動明王像が睨みを効かせている。



転法輪寺の門前に、金剛山の主要な施設が立っている。「金剛山登拝回数捺印所」もそのひとつ。毎日欠かさず何千回も登っている人も多く、1万を超える人までおられるようだ。朝から晩まで捺印所は開いているのだろうか。



眺望の良い国見城跡に「金剛山頂」の大きな碑がある。千早城の詰めの城として楠木正成が転法輪寺を城郭に改造したところだ。ここが山頂ではないことは明らかだけれど、記念写真映えするところに山頂碑を置く気持ちはわかる。



国見城跡から千早本道を通って下山開始。随分と整備された木段が設置されている。手摺りが付いていることにも驚くけれど、さらに凄いことに路面がしっかりと整地されている。長い急坂を少しでも歩きやすいものにしてくれている。



綺麗なトイレも設置されている。道やトイレを整備しているのは千早赤阪村なのだろうか。金剛山や千早城・赤坂城は村の最大の誇りであり観光資源なのだろうけれど、ロープウェイの維持も含めて過疎の村にとっての負担は随分と大きいはずだ。



トイレの辺りが千早本道の中間点になるらしく、二頭身の可愛いウルトラマンとバルタン星人の碑がある。「人生も山も苦しみも喜びもあと半分」と書かれている。でもどうしてウルトラマンとバルタン星人なんだろう…。




千早本道から外れて千早城跡へと向かう。分岐点には「左 楠公城跡」とある。道の両脇に土嚢が積まれたままだけれど、おそらく最近この道も木段の設置工事が行われたようだ。



しばらく進むと木段のない道になる。木段の道の方が遥かに安全なのは判っているけれど、久しぶりに木段から解放されて、なんだかとても開放的な気分になる。



楠木正成・正行父子を祀る千早神社。随所に楠木の菊水紋が見られる。本殿の前には「宮内省御下賜金参百圓」と刻まれた大きな石碑が立っている。調べてみると明治初期の1円は今の2~3万円に相当するというから300円なら数百万円。全額で石碑を作ったのだろうか。



拝殿の前に「本丸跡」の小さな札がある。なかなか気付きにくい大きさだ。正成が鎌倉幕府の大軍を相手に奮闘した誰もが知る南北朝を代表する城の跡にしては、残された遺構も見当たらず、ちょっと寂しい…。



千早神社の正面に出ると「史蹟千早城阯」の石碑がある。その横に、鎧兜を身に着けた人形が立っている。薄っぺらい鉄板でできた鎧兜だけれど、なかなか雰囲気がある。遺構も見当たらない城跡にちょっと残念に感じていたけれど、ちょっとテンションがあがったぞ。



二の丸(あるいは三の丸?)の跡は土産物屋などに囲まれた広場になっているのだけれど、お店は全て閉業してしまったようで寂しい限りだ。でもここにも、鎧兜の兵がいる。鎧の素材は本丸前よりグレードが落ちてトタンの波板だ。



激下りの階段を下りて、府道705号沿いの登山口に下山。ここにも千早城の正面口を守る兵が立っている。



本日の歩行記録。歩行距離6.7km、獲得標高は上りが632m、下りが757m。所要時間は3時間10分。久しぶりの兵庫県外の山だけれど、岩っぽさが少なく新鮮な気分で歩くことができた。



なんだか、いつもとペースが違う。登りの伏見林道と下りの千早本道は、標準タイムの2倍近いスピードで歩いたことになっているけれど、そんなに歩けるはずがない。YAMAPの標準タイムがおかしいんじゃなかろうか。