2021年11月1日
六甲全山縦走に関連して気になる未踏の道がある。ひとつは塩屋から旗振山までの道。一般的に縦走路の西の起点は須磨浦公園と言われるけれど、六甲山系の西端は塩屋だ。もうひとつ歩きたいのが、レジェンド加藤文太郎が歩いたという元六甲縦走路(文太郎道)だ。
山陽塩屋駅を出発したのは14時。登山を舐めたような時間だけれど、六甲山系には下山道が多いので臨機応変に対応できる。JR塩屋はまだしも、山陽塩屋駅は実に窮屈で六甲縦走大会の起点とはなりえない。このせいで西の起点の座を須磨浦公園に譲ったのかもしれない。
古くから外国人居住者が多い、狭いけれど美しい塩屋の住宅街を抜ける急坂を登っていく。ちょっとした登山道よりも遥かにキツイ。
正面に鉢伏山の上にチョコンと乗っかったような白い展望台が見える。展望台の右側の麓に須磨浦公園が、そして今日目指す旗振山は鉢伏山の左奥にあるはずだ。
山道に入ると、少々古いとはいえ六甲縦走路の標識がある。一の谷の合戦の際、鍋蓋山で義経軍から分かれて多田行綱軍は塩屋の平家陣を急襲したという(諸説あるけれど)。ここから鉄拐山までの道は源氏軍が進んだ道でもあるのだ。
須磨浦公園からの道は、長い階段で体力が奪われるけれど、当然塩屋からの道も楽なものではない。しかし道はよく整備されていて、何より人が少なくてマイペースで歩きやすいことが有難い。
須磨浦山上公園まで上がってきた。休園日のせいか人の気配がほとんどないんだけれど、ここは開園日であっても人が少ない。遊具もレトロなものばかりで経営は明らかに苦しそうだ。明石海峡を望む絶景ポイントだけに、多くの人に訪れてほしいところだ。
須磨浦山上遊園から少し登ると旗振山(252m)。山頂にある「国境」の文字にはちょっと興奮してしまう。かつて摂津・播磨の国境であり、今では神戸市の須磨区と垂水区の区境だ。更に大阪の米相場情報の伝達のために旗が振られた通信拠点としても有名だ。
比較的なだらかな道を歩いて次のピーク、鉄拐山へ。写真左の道を進めば山頂をバイパスできるのは判っているのだけれど、どうしても山頂に立ち寄ってしまう。そのせいで、未だに山頂をバイパスする道は未踏のままだ。
鍋蓋山(234m)の山頂。神戸市内が眼下に広がる。先日は写真正面の道を須磨に向けて下ったけれど、義経軍が進軍した道だとも言われている。
鉄拐山の山頂近くに「勢揃松」と書かれた標識がある。初めてこれを見たときは、周囲には松の木など見当たらないし、何の説明板もないので、訝しく思っていたけれど、後に、ここが義経軍が平家攻撃のために勢揃いした場所を示したものだと知った。
多くの人が気づかずに通り過ぎてしまう高倉山(200m)の山頂を過ぎると、おらが茶屋の広告板を発見。長らく休業していたけれど、知らぬうちに復活したようだ。「カレーライスと手作りケーキの店」なんて、およそ山の茶屋らしからぬキャッチコピーを掲げている。
山地を削って造成された高倉台を通過。歩道橋の突き当りを左へと進めばハイカーの体力と気力を大幅に削ぐことで知られる400階段。そして右へと進めば文太郎道だ。ドキドキ感とワクワク感でいっぱいだけれど、手に負えそうになければ迷わず撤退するつもりだ。
何だか薄暗い。トレースはよく確認できるので道に迷うことはなさそうだけれど、YAMAPで道外れをしていないことを繰り返し確認しながら進む。知っていなければ通りたくない雰囲気だ。
案内板がある。辛うじて、【元六甲縦走路(文太郎道) この道には昔の六甲縦走路がそのまま残っています。(以下読めず…)】 この案内板の存在は予習していたけれど、この数年でかなり字が擦れてしまったようだ。
かなり厳しい急坂が続く。しかもザレていて滑りやすいところが多い。幸い要所にはロープがあり、ポンコツハイカーでもなんとか食らいついていける。リピート山中の「加藤文太郎の歌」を口ずさみながら進んで行く。
道はどんどん険しさを増してきた。こんな道は登りならまだしも、とても下りでは使えたものではない。この道を宝塚まで毎週末往復していたという加藤文太郎のペースの、おそらく1割にも満たないようなノロノロとした足取りで坂を攀じ登っていく。
なんとか現在の縦走路に合流。栂尾山(274m)の山頂にやってきた。歩き切ってみれば文太郎道は楽しかった。でも次登るときは、やはり400階段を選びそうだ。
既に16時をかなり過ぎてしまった。馬の背は諦めて、栂尾山から須磨離宮公園に向かって下山していく。縦走路に比べれば道は狭いけれど、急坂もなく、よく整備されている。
快調に下山してくると立看板が現れた。「この先700mからは須磨離宮公園の有料ゾーンになるので500円払え」とある。通過するだけで500円だなんて…。それよりも須磨離宮公園の開園時間は17時まで。閉園後は通過できるのだろうか…。
YAMAPで見ると須磨離宮公園を迂回するように水野町へと下山する道があるようだ。登山道にも案内標識がある。予定を変更して下調べもしていない水野町への道を下り始めるが、それまでの道と違って倒木などで随分と荒れた道だ。
倒木だらけの川沿いの斜面を注意深く進まなければならない。頭のなかの地図をフル回転させ、この川は天井川ではないかと思い付く。天井川右俣ルートとか左俣ルートとか、上級者向けの道だったような気がするぞ。えらいところに入りこんだのかもしれない。
GPSで見ると下山口まではそれほど遠くない。これ以上の難所が出てきませんようにと祈りながら、渡渉や岩登りをしながら進む。
かなり緊張して歩いてきたけれど、無事水野町の下山口に到着。歩いてきたのは天井川左俣ルートの下流部だったようだけれど、案内板にはなんと「家族向き散策コース」と書かれている。そこまで安全な道だったかなぁ…。もっとも上流部は「探検コース」になっている。
水野町から山陽電車月見山駅まで歩いて本日の山歩きは完了。距離7㎞、獲得標高550m、所要時間は3時間半。数字のうえでは軽い山歩きに見えるけれど、時間設定やコース選択など、反省点は多い。