2020年6月29日
先日、新神戸駅の直前で新幹線が長いトンネルから顔を出すところを見て、このトンネルの入口は西宮市の門戸厄神付近とは知っていたのに、その風景がどうしても思い出せず気になって仕方ない。阪急今津線小林駅からアチコチ寄り道しながら歩いて行ってみよう。
小林は「こばやし」ではなく、「おばやし」と読む。閑静な住宅街のなか、石畳が敷かれた道を南に進む。
小林駅をスタートにしたのは、阪神競馬場をちょっと覗いてみたかったから。いつ見ても規模の大きさとともに、フォルムの美しさに魅入ってしまう。
コロナのために競馬場は無観客レースが続いていて、入場ゲートも長い間閉鎖されたままに違いない。
甲山方面から武庫川に流れ込んでいる仁川。この川を渡ると西宮市に入る。
西廣寺。真言宗の古いお寺なんだけど、隣接して水天宮がある。いかにも寺院らしい瓦屋根の本堂に、大きな石造りの鳥居が据えられている。典型的な神仏習合寺院として知られるところだ。
さらに南下すると山陽新幹線の高架に突き当たる。ここを西に進めばトンネルの入口に辿り着くはずだ。
阪急今津線を渡り、坂道を登っていくと、山陽新幹線記念公園と書かれた標識が現れた。ここがトンネルの入口の上になるようだ。
公園の西端の金網越しに、新大阪方面からの新幹線が足元の六甲トンネルに猛スピードで走り込んでくる。気持ちが妙に高揚し、いくつもの新幹線の通過を楽しんだ。過去に来たことがあるかとも思っていたけれど、間違いなく初訪問だ。
公園の真ん中には、山陽新幹線の建設で殉職された方々の慰霊碑が建立されている。新大阪~岡山間の工事で54名もの犠牲者…。竣工から50年ほども経って工事の安全性も格段に進歩・改善していることと信じたい。でないと慰霊碑が意味のないものになってしまう。
残念ながら新幹線記念公園からは真下にあるトンネル入口を見ることができない。新幹線がトンネル入口に走り込むところを見るためアチコチ移動するが、高い防音壁に阻まれてトンネルの上部が見えるばかりで車両は確認できない。
新幹線記念公園からほど近い門戸厄神に立ち寄ることにする。門前から遠くに自転車置場、近くに自動車駐車場が設置されている。門前まで急な坂が続くため、一般的には優遇されている自転車置場だけど、ここでは坂の上に設置する訳にはいかないのだろう。
門戸厄神。東光寺という寺号があるので、基本的には寺院なんだろうけど、朱塗りの山門は神社の雰囲気も感じさせる。もっとも比叡山延暦寺なんかも朱塗りだし、朱塗りが神社と限ったものではないのだろう。
山門には厄神明王の大提灯が吊り下げられている。大企業などとともに、大村崑の名前が奉納者筆頭の位置を占めている。田舎に行くとたまに大村崑のオロナミンの随分と古い看板を見かけるけれど、今もお元気であるなら嬉しいことだ。
驚いたことに御神籤がガチャガチャになっている。なんだか有難味に欠けるようにも思うのだけれど、若い世代にはこちらの方が馴染みやすいのかもしれない。
門戸厄神から南下すると、旧西国街道の古い石碑に出会う。
旧西国街道を西へ進み、中央運動公園にやってきた。野球場、陸上競技場、体育館など、様々なスポーツ施設が集中しているんだけど、どの電車駅からも遠く、ちょっと不便なようにも感じるところだ。
廣田神社。10年ほど前には何度か新年参拝に訪問したことがあるのだけれど、いつの間にやら参道が美しく整備されていた。道だけではなく、鳥居や灯篭も新たに制作設置されたようだ。
廣田神社は県下唯一の旧官幣大社。西宮神社、湊川神社、生田神社などに比べて地味な存在になっているけれど社格の高さでは兵庫県内随一。神功皇后による創建と伝えられる古刹だ。かつては六甲山全域が廣田神社の社領であったという。
本殿の脇には天皇皇后両陛下幣饌料の木札がいくつも並んでいる。陛下が各地に行幸される際に、地元の神社にお供えされる玉串料のようなものらしいが、旧官幣大社・官幣中社に限られるらしい。神社が社格の高さを誇る木札なのだ。
阪神タイガースも新年には廣田神社に必勝祈願をするのが恒例となっている。もっとも最近のタイガースの戦績を考えれば、ご利益があるのかどうか怪しく感じてくるぞ。
廣田神社に隣接する廣田山公園(廣田神社の境内の一部なのかもしれない)のなかを抜けて、苦楽園方面に向かう。
ニテコ池。3つ連なる貯水池の風変りな名前の由来が以前から気になっているのだけど未だに判らない。人工池のはずなので、それほど古くからある池ではないはずで、池の築造時に誰かが名付けたに違いないのだけれど…。
夙川にまでやってきた。川を渡る飛び石の上から観察するが、住宅街を流れる川としては随分と清らかに感じる。
歩行距離は12㎞ほど。阪急甲陽線の苦楽園駅から帰路につく。
山麓リボンの道(3)東須磨~西垂水
2020年6月27日
山麓リボンの道もいよいよ3日め。総距離45㎞のうち30㎞を踏破し、いよいよ須磨・垂水両区の15㎞を残すばかりだ。山陽電車の東須磨駅をスタートし、ゴールの西垂水駅を目指す。
須磨離宮公園。この公園の向こうには六甲縦走路序盤のハイライトである馬の背や栂尾山が連なっている。ここから縦走路までの直線距離はわずか1~2㎞でしかない。
源平ゆかりの須磨寺。ここに限った話ではないけれど、名所旧跡の正面に駐車場は邪魔で仕方ない。インスタなどで見栄えがますます重視されるのに、山門の阿吽像の前などに車を駐車させるのは、公共財ともいえる貴重な文化資産を台無しにしていると思うのだ。
少し道を間違って須磨寺駅に来てしまったけど、ここにある「平重衡とらわれの松跡」の碑もひどく虐げられている。松が枯れたのは仕方ないけど平家の総帥が捕らわれた歴史の大事件の現場に、わずかな広告収入を得るための看板を立てるなんて残念で仕方ない。
須磨の関守跡の碑がある関守稲荷神社。境内には百人一首に採用されている源兼昌の「淡路島通う千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守」の歌碑があるが、これ以外にも須磨を詠んだ数多くの歌が並んでいる。
山陽須磨駅の北側は急勾配の道ばかり。地元の人でも結構辛い道なんだろう。道の途中に休憩用のベンチが見られる。
山陽須磨駅とJR須磨駅の間、国道2号線沿いに美味しい唐揚げ屋さんがある。コンビニのチキンやスナック菓子の監修をし、マスコミもよく取り上げられる有名店だ。我慢しきれず買い食いをしてしまう。15㎞程度のウォーキングではカロリー消費できそうにもない。
一の谷に続く長い階段を登っていく。一の「谷」に登るというのは妙なことだけど、ここの階段はいつ来ても凄い。
鉄拐山の山裾近くの小さな平地に、安徳天皇の内裏跡と伝わるところがある。ちょっと待て。安徳帝の行在所って大倉山のあたりにもあるぞ。そもそも福原から離れたこんな辺鄙なところに大切な幼帝を住まわせるものだろうか。
この地にゆかりも無い皇女和宮像がある。とある有徳者が市内の女学校に寄贈した像のひとつと思われるとの説明があるが、どうも腑に落ちない。安徳帝内裏にせよ、到底馬で駆け降りることができそうにない逆落とし伝説にせよ、須磨には納得できない話が多い。
逆落としの現場と伝わる(個人的には、逆落としの現場に関しては鵯越説を支持しているが…)急な階段を降りたところには、多くの自転車が置かれている。急坂の上に住む人たちは自転車で自宅に戻れないため、ここからは歩かざるをえないのだろう。
須磨浦公園駅。六甲山系の山裾となるところで、六甲縦走もここがスタート地点となる。ここで山麓リボンの道も終点としてもいいと思うのだけど、きっと設置者の意図としては、神戸市を東端から西端まで歩かせたかったのだろうと思う。
須磨浦公園駅を過ぎると、鉄道と海岸に挟まれた国道2号線の歩道を延々と歩くことになる。もはや海岸歩きといった方が近い。国道2号線で垂水区に入る。須磨区と垂水区の境界が、かつての摂津と播磨の国境のはずなんだけど、それらしい標識が見当たらない。
山陽電車の細い踏切を渡って塩屋の街に入っていく。さほど高くはないけど、急な坂道が入り組んだ、歩くには厄介な(でも楽しい)街なのだ。
塩屋からさらにジェームス山へと登っていく。イギリスのジェームスという貿易商がここに外国人のための住宅地を開発したことに由来するが、今も素敵な洋館をいくつも見ることができる。
ジェームス山の石標に、「山麓リボンの道30周年ウォークラリーキーワード」のシールが貼られている。調べてみると去年の秋に開催されていた山麓リボンの道完歩イベントのシールが剥がれずに残っているようだ。知らなかった。是非とも参加したかったものだ。
ジェームス山には、今も外国人専用の住宅ゾーンがある。数万m3はあるだろう。プールやテニスコートなどもチラッと見える。入口には極めて強圧的な立入禁止の看板が立っていて、租界地のような雰囲気だ。
東垂水駅に下りてきた。このあたりはJRと山陽電車が隣接して走っている。JRは複々線となっていて、計6条の線路が2条ずつ、まるで棚田のように階段状に設置されている。歩行者がすべての鉄道を超えるためには、長い長い歩道橋を使わなければならない。
山麓歩きといいながら、長い歩道橋を下って平磯海浜緑地のなかを突っ切り、ようやく垂水の中心部にやってきた。海上安全の神様を祀る、その名もズバリ「海神社」の大鳥居が岸壁に向かって建っている。
垂水の街を通り抜け、五色塚古墳にやってきた。長さ200mほどもある大規模な前方後円墳だが宮内庁管理でないだけに大胆な整備と公開が行われている。その向こうのコンモリしているのが小壺古墳。こちらは円墳だ。さらにその向こうに明石海峡大橋が見える。
このまま舞子の海岸に下りるのかと思いきや、今度は丘の上に立つホテル、舞子ビラまで登らされる。やれやれ疲れてきた。
ようやく舞子の明石海峡大橋の袂までやってきた。やや霞んではいるけれど淡路島がしっかりと確認できる。
舞子からさらに一駅分海岸沿いに歩いて、ようやく西舞子駅前にあるゴールポストに辿り着いた。総距離は45㎞。六甲縦走(公称56㎞と言われるが、実は45㎞しかないらしい)と奇しくも同距離だ。疲れ具合はまるで違うけど、手応えのあるウォーキングだった。
山陽電車の西舞子駅から帰路につく。ホームは狭いのだけど、無理やり感のある細いベンチが設置されている。普段なら立っている方がマシと思えるベンチだけど、今日ばかりはありがたく腰を下ろさせてもらった。
本日の歩行軌跡。歩行距離は16㎞弱。3日に分けて歩いたけれど、うまく距離配分ができた。
山麓リボンの道もいよいよ3日め。総距離45㎞のうち30㎞を踏破し、いよいよ須磨・垂水両区の15㎞を残すばかりだ。山陽電車の東須磨駅をスタートし、ゴールの西垂水駅を目指す。
須磨離宮公園。この公園の向こうには六甲縦走路序盤のハイライトである馬の背や栂尾山が連なっている。ここから縦走路までの直線距離はわずか1~2㎞でしかない。
源平ゆかりの須磨寺。ここに限った話ではないけれど、名所旧跡の正面に駐車場は邪魔で仕方ない。インスタなどで見栄えがますます重視されるのに、山門の阿吽像の前などに車を駐車させるのは、公共財ともいえる貴重な文化資産を台無しにしていると思うのだ。
少し道を間違って須磨寺駅に来てしまったけど、ここにある「平重衡とらわれの松跡」の碑もひどく虐げられている。松が枯れたのは仕方ないけど平家の総帥が捕らわれた歴史の大事件の現場に、わずかな広告収入を得るための看板を立てるなんて残念で仕方ない。
須磨の関守跡の碑がある関守稲荷神社。境内には百人一首に採用されている源兼昌の「淡路島通う千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守」の歌碑があるが、これ以外にも須磨を詠んだ数多くの歌が並んでいる。
山陽須磨駅の北側は急勾配の道ばかり。地元の人でも結構辛い道なんだろう。道の途中に休憩用のベンチが見られる。
山陽須磨駅とJR須磨駅の間、国道2号線沿いに美味しい唐揚げ屋さんがある。コンビニのチキンやスナック菓子の監修をし、マスコミもよく取り上げられる有名店だ。我慢しきれず買い食いをしてしまう。15㎞程度のウォーキングではカロリー消費できそうにもない。
一の谷に続く長い階段を登っていく。一の「谷」に登るというのは妙なことだけど、ここの階段はいつ来ても凄い。
鉄拐山の山裾近くの小さな平地に、安徳天皇の内裏跡と伝わるところがある。ちょっと待て。安徳帝の行在所って大倉山のあたりにもあるぞ。そもそも福原から離れたこんな辺鄙なところに大切な幼帝を住まわせるものだろうか。
この地にゆかりも無い皇女和宮像がある。とある有徳者が市内の女学校に寄贈した像のひとつと思われるとの説明があるが、どうも腑に落ちない。安徳帝内裏にせよ、到底馬で駆け降りることができそうにない逆落とし伝説にせよ、須磨には納得できない話が多い。
逆落としの現場と伝わる(個人的には、逆落としの現場に関しては鵯越説を支持しているが…)急な階段を降りたところには、多くの自転車が置かれている。急坂の上に住む人たちは自転車で自宅に戻れないため、ここからは歩かざるをえないのだろう。
須磨浦公園駅。六甲山系の山裾となるところで、六甲縦走もここがスタート地点となる。ここで山麓リボンの道も終点としてもいいと思うのだけど、きっと設置者の意図としては、神戸市を東端から西端まで歩かせたかったのだろうと思う。
須磨浦公園駅を過ぎると、鉄道と海岸に挟まれた国道2号線の歩道を延々と歩くことになる。もはや海岸歩きといった方が近い。国道2号線で垂水区に入る。須磨区と垂水区の境界が、かつての摂津と播磨の国境のはずなんだけど、それらしい標識が見当たらない。
山陽電車の細い踏切を渡って塩屋の街に入っていく。さほど高くはないけど、急な坂道が入り組んだ、歩くには厄介な(でも楽しい)街なのだ。
塩屋からさらにジェームス山へと登っていく。イギリスのジェームスという貿易商がここに外国人のための住宅地を開発したことに由来するが、今も素敵な洋館をいくつも見ることができる。
ジェームス山の石標に、「山麓リボンの道30周年ウォークラリーキーワード」のシールが貼られている。調べてみると去年の秋に開催されていた山麓リボンの道完歩イベントのシールが剥がれずに残っているようだ。知らなかった。是非とも参加したかったものだ。
ジェームス山には、今も外国人専用の住宅ゾーンがある。数万m3はあるだろう。プールやテニスコートなどもチラッと見える。入口には極めて強圧的な立入禁止の看板が立っていて、租界地のような雰囲気だ。
東垂水駅に下りてきた。このあたりはJRと山陽電車が隣接して走っている。JRは複々線となっていて、計6条の線路が2条ずつ、まるで棚田のように階段状に設置されている。歩行者がすべての鉄道を超えるためには、長い長い歩道橋を使わなければならない。
山麓歩きといいながら、長い歩道橋を下って平磯海浜緑地のなかを突っ切り、ようやく垂水の中心部にやってきた。海上安全の神様を祀る、その名もズバリ「海神社」の大鳥居が岸壁に向かって建っている。
垂水の街を通り抜け、五色塚古墳にやってきた。長さ200mほどもある大規模な前方後円墳だが宮内庁管理でないだけに大胆な整備と公開が行われている。その向こうのコンモリしているのが小壺古墳。こちらは円墳だ。さらにその向こうに明石海峡大橋が見える。
このまま舞子の海岸に下りるのかと思いきや、今度は丘の上に立つホテル、舞子ビラまで登らされる。やれやれ疲れてきた。
ようやく舞子の明石海峡大橋の袂までやってきた。やや霞んではいるけれど淡路島がしっかりと確認できる。
舞子からさらに一駅分海岸沿いに歩いて、ようやく西舞子駅前にあるゴールポストに辿り着いた。総距離は45㎞。六甲縦走(公称56㎞と言われるが、実は45㎞しかないらしい)と奇しくも同距離だ。疲れ具合はまるで違うけど、手応えのあるウォーキングだった。
山陽電車の西舞子駅から帰路につく。ホームは狭いのだけど、無理やり感のある細いベンチが設置されている。普段なら立っている方がマシと思えるベンチだけど、今日ばかりはありがたく腰を下ろさせてもらった。
本日の歩行軌跡。歩行距離は16㎞弱。3日に分けて歩いたけれど、うまく距離配分ができた。
登録:
投稿 (Atom)