NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の放映開始で、明智光秀ゆかりの地が盛り上がっている。光秀が激戦を繰り広げた丹波地方もそのひとつ。今日は光秀を苦しめた波多野秀治の八上城を訪ねてみよう。
篠山盆地の中心にある篠山城が平城であるのに対して、高城山をまるごと要塞化した八上城は高所から町や街道を睨む山城だ。わずか3㎞しか離れていない2つの城を見ると、室町・戦国時代と江戸時代で城郭に求められるものがいかに違うかが判るはずだ。
八上城址周辺には「本能寺の変の謎は丹波篠山にあり」と書かれた幟が多数みられる。光秀は母親を人質として八上城に送ることで、波多野三兄弟を信用を得て降伏させたもが、信長は波多野氏を処刑。八上城側は光秀の母を磔にしたと伝わる。どうやら史実ではないようだが、本能寺の変の「怨恨説」の論拠のひとつとして有名な話だ。
さあ、高城山に登頂する。丹波篠山市が発行している山歩きガイドマップに従って、麓にある春日神社からスタートだ。さぞかし由緒ある神社なのだろうが、廃城となって久しい八上城を彷彿とさせるような荒廃感が漂う。
おそらくかつては雑木や藪で覆われていたと思われる山肌には杉や檜が植林されているが、山の急峻さは往時と変わらないはずだ。
山道に苔むした五輪塔がある。真新しい石板には「八上城主前田主膳正供養塔」と書かれている。波多野秀治の後に八上城主となった前田茂勝のことだ。父玄以の跡を受けたものの典型的なダメダメ大名で改易されたはずだ。
山頂までは鬱蒼とした森を通り抜ける長い長い階段が続く。というか階段しかない。いい加減ウンザリしてくる。
階段の合間には、麓からの敵を見張り攻撃を防ぐための曲輪の跡が見られる。高城山全体にこのような曲輪が高城山全体に配置されているようだ。
三の丸、二の丸と登っていく。本丸を中心に尾根伝いに曲輪が階段状に設置されている。切り株の跡が新しい。ひょっとして「麒麟がくる」での来城者増加を見込んで伐採されたものかもしれないが、そのおかげで各曲輪が相当な規模を有していたことがよく判る。
本丸跡に「贈従三位波多野秀治公表注碑」と揮毫された立派な石碑が立っている。従三位は大正時代の追贈だが、当時も正四位下に叙されている。これは今川義元や朝倉義景など同格で、所領は丹波の一郡というのに朝廷からは第一級の大名と認められていたようだ。
標高340mの高城山頂上にある本丸跡。何度にもわたる織田軍の攻撃を跳ね返したものの、ついには2年近い兵糧攻めで精魂尽き果てたのだろう。兵糧攻めと力攻め、いずれがまだしも人道的なのか、飢えに耐えた籠城の現場を訪れるたびに考え込んでしまう。
本丸跡からは篠山の町が一望できる。高い防御力を有しながら街道や町に睨みを効かせるには標高300mくらいが丁度いいのではとも思える。
西の春日神社から登り、東の尾根伝い(藤木坂コース)で下山するつもりだったのだが、麓の直前のところで大雨のため崩落が発生しているようだ。地図には迂回路も書かれていない。でも再び同じ道を戻るのは嫌だなぁ…。
とにかく「はりつけ松跡」だけは見に行こう、と藤木坂コースをしばらく進んでいく。しかし松の跡かたもない…。それに人質を見せしめのために殺すのであれば、もっと麓から見えやすいところだと思うんだけど…。
登ってきた春日神社コースが急な階段ばかりだったのに対して、藤木坂コースは比較的なだらかで歩きやすい。馬駆場なんてところもあるが、確かにここなら馬でも思い切って走れそうだ。
YAMAPを確かめると藤木坂コースから分岐して下山できる道がある。ガイドブックには載っていない名前もない道だ。分岐点から見る限り道は細くて暗い…。この種の道では何度も痛い目に遭ったけど、等高線を見る限りさほど厳しい道ではなさそうにも感じる。
大した山歩きにもならないはずと、普段履きのスニーカーでストックも無しにやってきたのが悔やまれたが、幸いなことに難所らしい難所は現れない。
ガイドブックなどにも説明はないけれど、土塁や堀切と思われるところが見られる。ここまで歩いてきて東の尾根は比較的なだらかだと思えたけど、その欠点を補うために様々な防御対策が講じられているようだ。
最後は草が生い茂る丘を駆け降りるように弓月神社という荒れた神社の境内に下りてくることができた。今日はただただラッキーだと思っておこう。名前の無い道を行くほどの技量も体力もないのだ。
麓の集落には、「麒麟がくる」の登場人物を描いたと思われる看板が家々の軒先に立てられている。手作りのようだけど、なかなか上手く描けている。
が、中には意味不明なものも…。調べてみると、左側は波多野秀治のようだ。兜についた丸に抜け十字の紋は波多野家のものだ。しかし右側はさっぱり想像がつかない…。今後登場してくる人物だろうか…。
高城山は丹波富士とも呼ばれているらしいが、八上の集落から見る限り東西に翼を拡げて攻め来る敵を包み込むような構えに感じる。
八上地区に見られるマンホールにも2頭の猪とともに同じ形の高城山が描かれている。注目すべきは、高城山の山頂にある三層の天守。こんな天守があったのだろうか…?
ちょっと角度を変えて見ると、確かに丹波富士っぽくなってきた。さらに角度を変えて見るともっと円錐型になるのだろう。山の形というのは不思議なものだ。
本日の歩行軌跡。4㎞にも満たない軽い山歩きだったけど、なかなか興味深い山だった。