2020年6月6日
カスケードバレイ(杣谷道)から穂高湖を経由して摩耶山に登ってみることにする。小さな滝が連なる道は、多少なりとも涼しいのではと期待してのコース設定だ。
阪急六甲駅から、神戸市街地屈指の激坂「長瀬坂」を経て40分ほども歩いて杣谷道の登山口に辿り着いたときには、早くも汗ビッショリ。一息つく間も与えられないまま、階段を上っていかねばならない。
杣谷川の渡渉を繰り返しながら登っていく。水嵩はさほど高くないが、登山序盤で川に踏み込み靴を水没させようものならダメージは計り知れない。うっかり浮石を踏まないよう慎重に歩いていく。
カスケードバレイとは、トゥエンティクロス同様、近代登山を六甲山で広めた神戸の在留外国人による命名だろうか。その名のとおり、小さな滝が連続する沢を上っていく。
かつては小滝ばかりが続いていたのかもしれなけど、今ではいくつもの砂防ダムが行く手を遮るように高く聳え立つ。無粋な人工滝だけど、納涼には一役買っている。
砂防ダムが現れる度に、ダム横の急な坂を登らねばならず、なかなかのんびりした渓流歩きという訳にはいかない。岩場を攀じ登ったり、鎖にしがみつかねばならないようなところもある。変化があるのは楽しいけれど、いい加減に疲れてくる。
それでも涼し気な清流と深緑が、疲れを吹き飛ばすようなエネルギーを与えてくれる。毛虫さえいなければ、腰を下ろしてのんびりとしたいところがいくつもある。
紫陽花が蕾を膨らませている。さすがに高地での開花は遅いようだけど、もうしばらくすれば紫陽花の花が並ぶ華やかな登山路になることだろう。
大きなものではないせいか、それぞれの滝に名前があるのか、無いのかさえ判らない。それがいいのだ。いちいち取って付けたような名前を書いた標札をこの風景のなかに立てられたら溜まらない。名前の有無と、心に染み入る美しさや清々しさとは無縁だ。
岩の裂け目に、木の棒が何本も差し込まれ、まるで怪獣の口のように見える。どこかの誰かによる芸術作品なのか、はたまた呪いのようなものなのか…。
最後は長い丸太階段の洗礼を浴びて、杣谷峠に無事到着し、自動車道に合流する。
自動車道を渡り穂高池へ。上高地の大正池あたりの雰囲気に似ているということから名付けられたと聞くけれど、似てるかなぁ…?
穂高湖からアゴニー坂を通って摩耶山に向かう。英語のagony(苦痛)に由来すると聞く。確かに急坂だけど、そんなに長い坂ではない。agonyというにはちょっと大袈裟じゃないかなぁ…。
摩耶山の掬星台。星のように煌めく街の灯りが手で掬えるような高台という意味だろう。六甲山系にある道や坂などには古来の通称やら外国人が名付けた横文字のものやら、多種多様な名前が付いているけれど、「掬星台」は群を抜いて秀逸なネーミングだと思う。
標高は698.6mの摩耶山山頂。頂上付近には天狗が閉じ込められていると言われる大きな天狗岩がある。
摩耶山頂での休憩もそこそこに下山する。年を経るごとに、石段の下りによる足腰への負担が大きくなってきている。体の軽やかさを失い、ドスンドスンと足腰に少なからぬ衝撃を与えながらの下山になってきた。
「円心入道赤松公」と書かれた石碑がある。南北朝時代に活躍した播磨の武将、当時の言葉を使うならば「悪党」だ。鎌倉幕府打倒への貢献度は楠木正成にも劣らないのに、後に足利尊氏に付いたせいか、正成に比べて世間の評価は不当に低いように思える。
おお、なんということだ。旧天上寺の親子杉が2年前の台風で倒れている。道は塞がっているけど、下をくぐることはできる。2年間放置しているところを見ると、撤去する気はなく、このままモニュメント化しようとしているようだ。
旧天上寺。かつては高野山や比叡山にも比肩するほどの大寺院であったという。1976年に大火災により全焼した後、寺院はアゴニー坂付近に移転してしまったが、今も参道や伽藍の基礎部が残された歴史公園となっている。
親子杉は倒れたが、旧天上寺の麓側には幹周り8mを誇る「摩耶の大杉」がその形を留めている。天上寺の火災が原因で枯死したらしいが、未だに他の樹木を圧倒する威容を誇っている。
天上寺への長い長い階段。以前初めて摩耶山登山にチャレンジしたとき、何度も足を攣りそうになりながら随分苦労して登ったことを思い出す。
渓谷を眼下に見下ろしながら青谷道を下山する。夕方も近づいているのに谷道を登っていくカップルが見られる。掬星台での夜景を目指しているようだ。夜景を楽しんだ後はケーブルで下山するのだろう。
阪神岩屋駅に到着。兵庫県立美術館前という副駅名が付けられている。美術館と関係するのかどうかは判らないが、阪神の駅舎のなかでは異彩を放つ色使いの塗装が施されている。
本日の歩行軌跡。歩行距離は12㎞だけれど、山歩きのしんどさは距離だけでは推し量れない。
YAMAPの3D機能で歩行軌跡を立体化してみたが、歩いた道のイメージを伝えることは難しい。そもそも700mくらいの低山では迫力ある歩行軌跡であろうはずがないのだけど、還暦を過ぎたハイカーにとってはそこそこ達成感のあるハイキングなのだ。