御嶽・西ヶ嶽(丹波篠山市)

 2021年10月30日


多紀連山の主要3峰のなかで未だ登頂できていない西ヶ嶽に向かう。昨年は南側(地図では上)の火打石登山口から御嶽と小金ヶ嶽を周回したが、今日は北側の栗柄奥の登山口から登ることにする。余裕があれば西ヶ嶽のついでに御嶽まで足を伸ばしてみたい。



前山~御嶽~西ヶ嶽と縦走して再び栗柄に戻るには少なくとも5時間はかかりそう。しかし登山口から出発したのは11時。もう少し早ければ余裕を持って行動できるんだけど…。登山口の正面に厳つい西ヶ嶽の山容が見える。



杉林のなかを抜ける道は、次第に勾配がきつくなっていく。路面には石がゴロゴロと転がっていて、とても歩きにくい。



歩き始めて30分ほどで、愛染窟という岩穴まで登ってきた。中には愛染明王が祀られているというけれど、何とも不気味な雰囲気が漂っていて中を覗いてみる気にさえならない。ここまでの登りでかなり疲れてしまい、岩穴の前に腰を下ろして早くも最初の休憩をとる。



愛染窟でちょっと休憩を取ったものの、その後の道はさらに険しいものになる。多少回復した体力も僅かな間に削られてしまう。こんな調子で歩き切れるのだろうか。御嶽まで行くことは諦めて、前山から西ヶ嶽に直接向かおうか、などと弱気なことを考え始める。



道はさらに厳しく、岩場や鎖場が次々と現れる。ひとつひとつの岩場は大したものではないのだけれど、ボディブローのようにじわじわとダメージを与えてくる。疲れを溜めないように、ゆっくりマイペースで歩こうとの心掛けとは関係なく、ゆっくりでしか進めない。



歩き始めて80分、やっとのことで前山(650m)に到着。紅葉が少し始まっている。でも山頂にはな~んにもない。紅葉の向こうに次に目指す御嶽の姿が見える。



御嶽が良く見える岩場で休憩しながら、疲れも考慮して標準タイムを2割増して所要時間を何度も計算する。日没前の16時半頃には下山しないとならないから、御嶽まで行くにはあまり余裕が無い。



前山から一旦下り、そしてまた登って御嶽に向かう道と西ヶ峰に向かう道の分岐点にやってきた。ここまで半ば御嶽は諦めるつもりだったのに、ムラムラと行きたい気持ちが沸きあがってきた。



ある程度疲れてしまうとある種のゾーンに入るのか、逆に疲れを感じなくなってしまう。これって危険なことなのかも、と思いながらも御嶽に向かう岩だらけの稜線を進んでいく。



前山から1時間弱歩いて御嶽(793m)の頂上までやってきた。別ルートとはいえ、昨年登ってきたときは、もっと元気で殆ど休憩を取ることもなく小金ヶ嶽に向かったはずだ(その後バテたけれど…)。今日はさすがに腰をおろして長めの休憩を取らずにはいられない。



御嶽での休憩のあと、正面に見える西ヶ嶽へと向かうべく、登ってきた道を戻っていく。天気もいいし、眺望も素晴らしい。



登山道のいたるところにシャクナゲが自生している。「持って帰らないで」という西紀町の看板も見られる。シャクナゲを町花としていた西紀町は、丹波篠山市との合併で消滅してしまったけれど、引き続き大切に見守り続けたいものだ。



前山・御嶽・西ヶ嶽の分岐点を過ぎ、西ヶ嶽への登りが始まる。岩だらけの急坂が辛いが急ぐ必要はないはずだ。計算が正しければ、ゆっくり歩いていっても明るいうちに下山できるはずだ。



なだらかな道になると、周囲を見渡す余裕が出てくる。この辺りでも色づきはじめた木々が多い。



紅葉にちょっと心が和んだものの、すぐに急坂が現れる。ロープなどの掴まるものも無く、油断するとズルズル滑ってしまう。下りには使いたくない道だ。



御嶽から1時間歩いて西ヶ嶽(727m)に到着。素晴らしい眺望だ。まだ14時40分、時間的には余裕を持って下山できそうだ。



先ほど登った御嶽(写真正面)や前山(写真左端)もよく見通すことができる。とても気持ちのいい風も吹いている。もはや焦る必要も無い。山頂碑の横の岩に腰をかけて、のんびりと眺望を楽しむ。



西ヶ嶽からの下山。落ち葉がひどく積もっている。よく乾いているのか、踏むとサクサクと小気味良い音がする。西ヶ嶽からの下山路は急坂だけれど階段があると聞いていたのに、なかなか現れない。



不安な気持ちが募ってきた頃に階段が現れた。階高もマチマチで歩幅も合わせにくくて歩きにくいけれど、階段無しにこの急坂を下りて行くなんて考えたくもない。



階段もあるし、標識もあるし、迷うこともなさそうだ。ただ坂の勾配は厳しく、こちらから登るのも大変そうだ。尾根道からいきなり谷底へと下りていくようなところも現れる。



谷道は、石がゴロゴロしていて歩きにくいうえに薄暗くジメジメしている。蛇や蛙にも度々出会う。しかも蝿が多い。この谷のなかの食物連鎖を感じさせられる。



周囲は植林された杉やヒノキばかりというのに、なぜか3本、シュロ(たぶん)の木が生えている。道しるべ替わりのために植えたのだろうか。



日没も近く褒められた下山時刻ではないけれど、十分明るいうちに栗柄口に無事下山。。今日は一度も転ばなかった。ゆっくり歩きとはいえ、尻もちも膝を着くことも無かった。最近は転んでばかりだっただけにちょっと嬉しい。なんてレベルの低いハイカーなんだろう…。



本日の歩行軌跡。歩行距離7㎞、獲得標高800m、所要時間は5時間半。アップダウンが多かったと思うのだけれど、獲得標高は意外に少ない。





有子山城(豊岡市)

 2021年10月25日


但馬の小京都と呼ばれる出石の町にある有子山城に登る。全盛期には全国の六分の一を支配した山名氏が、織田軍の侵攻に対抗するために築いたという山城だ。急峻な有子山(321m)に築かれた城跡には、今も石垣などの遺構が良く保存されているという。



出石の町の南に出石城跡がある。その背後にあるのが山名氏が山頂に城を築いた有子山だ。江戸時代になって、有子山城は取り壊され、一国一城制のもと、但馬国における唯一の城郭として有子山の山麓に出石城が築城されたという。



まずは出石城跡を探索。出石は3回ほど訪問しているのに、城跡に来るのは初めてだ。隅櫓は近年再建されたもののようだけれど、堀や石垣は往時のものが現存しているようだ。有子山の山麓の斜面に階段状に曲輪が配置された平山城だ。



写真右の石垣の上が本丸のようだ。山にへばりつくように配置されている。残念ながら天守は建てられなかったそうだ。今では本丸跡には稲荷神社の社殿が立っている。石垣の横を登る階段には伏見稲荷のように赤い鳥居が並んでいる。



本丸跡の横手から、いよいよ有子山への登山が始まる。登山口には「急坂や岩場に注意」、「熊に注意」など、ハイカーへの注意を呼び掛ける看板が並んでいる。出石蕎麦を食べた後の腹ごなしに気楽に登ろうとする人が多いのかなぁ…。



登山口からいきなり結構な急坂が始まる。出石観光のついでにヒールの高い靴などで呑気にやってきた人は間違いなくここで引き返すだろう。



写真では判りずらいけれど、尾根道を断ち切る堀切もしっかりと残っている。丸太階段が設置されているところは掘り残した土橋だ。



丸太階段が整備されているのは有難いが、それでも果てしなく続くような急坂には辟易とさせられる。山名祐豊がこの山を選んだのも頷ける。攻めあがるには相当厄介な城に思えるのだけれど、築城して僅か6年後、秀吉の攻撃により落城したという。



山頂に近づくと、曲輪跡を示す標札が見られる。ここは北第五曲輪。北尾根と西尾根のそれぞれに階段状にたくさんの曲輪並んでいたようだ。第十曲輪なんてのも、この後登場する。



30分以上も急な坂道を登りに登って、いい加減にしてくれ~、と思っていたところ、「中間地点」と書かれた標識が現れた。まだ中間かぁ…、でもこの後の道はなだらかだという。それにしても、こんなしんどい道を「遊歩道」とは呼ばないでほしい。



中間点以降は、落ち葉が積もるトラバース。それまでと比べれば随分と楽な道とはいえ、滑って転べば、右下の谷へと落ちてしまいかねない。



大規模な石垣が現れた。耐久性が低い野面積だというのによく崩れずに残っているものだ。もっとも崩落を防ぐためにネットが張られているけれど、ちょっと手を加えれば再築城できそうな雰囲気だ。



山頂にある主郭の石垣。角は算木積のようだ。一国一城のルールに従って出石城築城の際に廃城にされたというけれど、これで破却といえるのだろうか。石垣のある部分さえ壊せば、後に使い物にならなくなると聞いたこともあるけれど、素人目には未だ使えそうに見える。



主郭は広い。急峻な山に多くの曲輪を有して相当な兵数を収容できそうに思える。播磨地方を中心に色々な山城を見てきたけれど、トップクラスの堅城のように感じる。でも、秀吉が有子山城を落とした際にさほどの激戦があったとは聞かない…。



頂上からは眺望が広がる。遠くの山々に雲が掛かっているけれど、雲海だろうか。まだ朝の9時。竹田城でも9時頃までは雲海を楽しめた。



主郭から出石の町を見下ろす。急坂を登りながら実感してきたつもりだけれど、山上に立つと、あらためて有子山の急峻さが良く判る。



主郭の西にある千畳敷にやってきた。主郭とは大きな堀切で仕切られている。ここには領主をはじめとした武士たちの居館があったところらしい。千畳というのは決して大袈裟な数字ではないようで、東西130m、南北50mというから、実際には3500畳ほどの面積になる。



古く、そして長い石垣が聳えている。一部は崩壊しているとはいえ、400年以上も手を加えられることなく、風雪に耐えて原形を保っていることは驚異的なことだ。



帰路は登ってきた北尾根を激下り。山名氏がここに籠った際にはこんな丸太階段など無かっただろう。いかに昔の人が健脚だったとはいえ、攻めるにせよ、守るにせよ、重い武具を付けてこの坂を上り下りするだけで相当疲れたに違いない。



下山後、出石のシンボル、辰鼓楼に立ち寄る。日本最古の時計台と言われてきたけれど、辰鼓楼が動き始めたのは札幌時計台の27日後だったことが最近判明した。この事実を包み隠さず発表した出石の関係者に敬意を表したい。辰鼓楼の価値は寸分も変わらないと思う。



家老屋敷。よりにもよって明治維新前に出石藩主だった仙谷家の初代、秀久の顔出しパネルがある。決して好きになれない武将のひとりだ。耳川の戦いでの傲慢で卑怯極まりない振る舞いは、長宗我部贔屓ならずとも許せないと思っている人が多いのではなかろうか。



出石の街中のプチ散策を含めた所要時間は2時間21分、歩行距離は3.2㎞。獲得標高は347m。




蘇武岳(豊岡市)

 2021年10月24日


以前から是非とも登ってみたかった蘇武岳に挑戦だ。案内板には歩行時間が6時間30分、難易度は中~上級とある。上級どころか中級にさえ達していないようなポンコツハイカーが太刀打ちできる山なのだろうか…。かつてない不安を胸にスタートする。



昨日来の雨が上がったばかりで路面が気になるけれど、できる限りの準備は整えた。水は2リットル、食糧も2食分、防寒着も雨具もバッチリ準備した。荷物は重いが、時間を十分に掛けて安全に歩いていけばきっと踏破できるはず。朝8時前に万場スキー場を出発する。



舗装路を15分ほど歩いて登山口に到着。昨秋、やはりポンコツには難度が高い氷ノ山や段ヶ峰に登ったときは大勢のハイカーがいたのに、ここでは殆ど人の気配が感じられない。植村直己や加藤文太郎が愛したことで広く知られる山にしては意外なほどに静かな登山口だ。



しばらくは緩やかな山道を進み分岐点にやってきた。いずれも蘇武岳に向かうけれど、往路は谷道の巨樹の森コースを選択。復路は尾根筋の大杉山経由とする。いずれも急坂だが諸先輩の記録を読むと、どちらの道にも「こんな激下りは御免だ」とのコメントが散見される。



分岐点を過ぎて間もなく渡渉個所が現れた。昨日の雨で水量が増しているように思える。なんと渡渉個所のすぐ横(写真右)は落差10mほどの「中の滝」の落ち口だ。転倒しようものなら滝壺転落は必至だ。登山開始早々、このコースの厳しさを思い知らされてしまう。



しかし無事渡渉を終えると、そこには鬱蒼とした深い緑の世界が広がる。岩も木も深い苔で覆われ、時の経過を忘れて眠っているかのようだ。スマホのカメラ程度では、この神秘的な世界を伝えることは不可能だ。



ところどころにある赤い印に導かれて谷を進んでいく。ガスっていたら、すぐに迷ってしまいそうな道だ。夫婦カツラと呼ばれる2本の古木が、巨樹の森の玄関となっている。この先、渓流に沿った深い谷のあちらこちらに樹齢何百年とも判らぬ巨木が多く見られる。



カツラ親分とか、トチの巨樹とか、名前が付いた見事な巨木も多いのだけれど、大きすぎてカメラのフレームに入りきらない。かといって一旦戻って全体を撮影するのもしんどいことだ。カツラ親分は根元だけ撮影して先に進む。



トチの巨樹を過ぎたところから、とんでもない急坂が続く。写真では伝わらないんだよなぁ…。雨上がりということもあって、枯葉も苔むした岩も滑りやすいけれど、一番厄介なのが所々にある粘土質の地面。登りであってもズルっと滑る。この道は下りたくない。



装着していたスパッツはずり落ちて使い物にならず、急坂で2度ほどズルっと滑って右膝は泥だらけになったけれど、無事尾根道まで登ってきた。金属製の古い案内板がブナの幹にめりこんでいる。「美津濃」とあるからミズノが商標を変えた昭和44年以前の標識のようだ。



尾根道に出てからも登りは続くけれど比較的緩やかなものだ。薄い葉を通して優しい光が差し込んでくるブナ林のなかを気持ちよく進んで行く。覚悟していたよりも早く巨樹の森を通過できたけれど、ようやく全体行程の3割弱。でも時間はある。ゆっくりゆっくり進もう。



さすがに尾根道になると、谷道と異なり昨夜の雨の影響はあまり残っていないようだ。ちょっとした急坂もグリップが効いて歩きやすい。



間もなく蘇武岳山頂のはず。斜面のせいか、風のせいか、すべての木が斜めになっているため平衡感覚が狂ってしまいそうな道を進んで行く。



山と高原地図の標準タイム(2時間45分)で標高1074mの蘇武岳山頂到着。YAMAPの標準タイム2時間15分には遠く及ばないけど、出来すぎだ。憧れていた芝生の山頂には誰もいない。360度パノラマの山頂を独り占めだ。頑張って登ってきた甲斐あって最高のご褒美だ。



山頂からは東西南北の全方向が見渡せる。北は日本海まで見通すことができる。西方向を撮影した写真の左端に兵庫県最高峰の氷ノ山もはっきりと確認できる。



まるでゴルフ場かと思わせるような芝生の上にしばらく寝転ぶ。暗い巨樹の森での独り歩きは寂しかったけれど、お日様の下で一人山頂の芝生の上に寝転がっているのはとても気分がいいものだ。



次第に後続ハイカーが登頂してきたこともあって、まだ11時を少し過ぎたばかりで名残り惜しいけれど30分ほどの休憩で下山を開始。帰路はこれまた急坂が待ち構えるという大杉山ルートだ。



大杉山ルートは巨樹の森コースよりも距離が長いうえに、蘇武岳から大杉山までの間に4つもの小さな山を越えなければならない。写真は一ツ山(別名金山)の山頂。この後、二ツ山、三ツ山、四ツ山と、登っては下るを繰り返す。



大杉山(1007m)山頂。この後の激下りに備えて足に疲れを溜めないよう極力ペースを落としてやってきた。出会ったハイカー坂の様子を尋ねると、ある人は道は濡れていないのであまり苦労しないだろうと言うし、ある人はあの激下りを長時間歩く気にはならないと言う。



山頂から少し下ると、山名の由来になったと言われる杉の巨木がある。やはり大きすぎて全体をフレームに収めることは困難だ。さあ、ここから尾根道の激下りが始まる。実感はないけれど足には既に相当疲労が蓄積しているはずだ。とにかく、ゆっくり慌てずに進もう。



そこから1時間以上、下りまた下りの尾根道が続く。痩せ尾根もあったけれど、幸い足元はしっかりしていた。カニ歩きとかペンギン歩きとか、ネットで勉強した下り道用の種々の歩き方を試すけれど、結局いつものへっぴり腰歩きへと戻ってしまう…。



9合目から4合目あたりまで続く急坂で、3度軽くコケたけれど大事には至らず。この程度なら上出来だ。4合目を過ぎて、ようやく周囲の木々の様子を楽しむ余裕が出てきた。羽根を拡げた鳥の姿そっくりの木を発見。尖った嘴や獲物を鋭い目付は怖いとさえ感じさせる。



徹頭徹尾、安全第一で時間をかけて下山し、14時頃に万場登山口に無事帰還。あとはスキー場の横をのんびりと歩いて帰るだけだ。往路では気づかなかった熊(猪?)の罠をじっくりと観察する。柿、ジャガイモ、サツマイモがたっぷりと罠に仕掛けられている。



本日の歩行経路。巨樹の森(地図右下)から蘇武山、大杉山と、時計回りの周回。距離は9.4km、獲得標高は960m。全所要時間は6時間45分。最大8時間かけて歩くことも覚悟していただけに大満足だ。何より無事に、そして予想以上に元気に下山できたことが嬉しい。



標高グラフ。往路の巨樹の森より、帰路大杉山からの下りの方が勾配は厳しい。その日の道のコンディションにもよるだろうけれど、個人的には巨樹の森を下る方が怖いと感じる。



しっかりと自分のペースを守って歩くことで、疲れ方がまるで違うことを今更思い知った。ほとんど他のハイカーの目を気にすることのない単独行だったので、どれほどスローペースだろうが、不格好だろうが、気にせず歩けたことが良かった。