利神城(佐用町)

 2021年10月12日 ①


コロナ禍で中止となっていた利神城ガイドツアーが再開された。待ちに待った利神城に登城できる日がやってきた。麓から見上げると雲を突くかのような急峻な山の頂に残る石垣は崩壊の恐れがあり、崩落した道も多いため公式ガイドツアー以外の登山は禁止なのだ。



朝10時、平福の道の駅に集合。ガイド2人に参加者2人という超贅沢なツアーだ。日頃は登山前にも全くしない準備運動をして出発。因幡街道の宿場町の雰囲気を色濃く残す町並みを抜けて登山口へと向かう。



平福の街中を流れる佐用川に沿って、江戸時代の土蔵が今も残されている。炊事や洗濯のために使われていたのだろうか、それぞれのお宅には川に下りる戸口が見られる。近年の護岸工事でも無粋なコンクリートではなく、昔の風情を保つために石垣が採用されている。



利神山の山麓に走る智頭急行の高架下の扉は厳重に施錠されている。「大変危険なので登山はご遠慮ください」に加えて「クマ・スズメバチ・マムシ注意」など、「登ってくれるな」との強いメッセージが並ぶ扉をガイドさんが開錠、興奮と緊張が高まってくる。



とはいえ、山全体を封鎖することは難しいようで、様々な方法で不法に入山してくる人も少なくないのだろう。扉を過ぎても「危険」、「石垣には近づかないで」との看板が見られる。



平福駅付近から九十九折で天守へと直登する大手筋は道が崩落していて通行不可らしい。南へと大きく迂回して尾根道を通って三の丸方面へと向かう。まずは穏やかな道が続く。



これまで麓から見上げるばかりだった、「利」「神」「城」「跡」の4枚の大きな看板の前を登っていくだけでもテンションが上がってくる。



登るにつれて岩の露出が目立つようになってきた。石切の痕跡である矢穴も見られる。この辺りの東山石は柔らかいそうだ。南北朝期の別所氏は手近にあった東山石を使って築城したが、江戸期の池田氏は向かいの山から固い西山石を運び込んで利神城を大増強したそうだ。



いかにも、という感じの堀切の跡が、しっかりと残っている。たかだか2万石ほどの姫路池田藩の支藩としては、相当頑張って築城したように感じる。



謎の石室がある。古墳のように見えるけれど、狭すぎて石棺が入らないという。人工物であることには間違いがないようで、中には何も無いけれど、何やら畏れ多いものを感じる。何に手を合わせばいいものかは分からないけれど、古い賽銭箱が設置されている。



緑色の三角ネットがアチコチに見られる。石楠花の苗木を鹿から守るためのものらしい。谷合からは鹿の鳴き声がしばしば聞こえてくる。秋は繁殖期なので鹿が良く鳴くという。猿丸太夫の「奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき」の歌がふと頭をよぎる。



いよいよ急坂が始まった。随所で立ち止まって、ガイドさんからの詳しい案内を聞きながらの登山なので楽な山歩きだと思っていたけれど、さすがに急坂では息があがってきて、油断すると置いてけぼりになってしまいそうだ。



山頂が近づくにつれて道の勾配がどんどん厳しいものになってくる。山城の防衛力は、現地に行ってみないと判らないものだ。トラロープが張られているけれど、これは最近地元の小学生を案内した際に急遽設けられたものらしい。



出発してから1時間半ほど掛けて三の丸まで登ってきた。半分くらいの時間は立ち止まってガイドさんの説明を聞いていたのだけれど、それなりに疲れたぞ。頂上(373m)の天守台はすぐそこなんだけれど、崩落した石垣などの修復の最中のため、これより先には進めない。



佐用川に沿った細長い平福の町を見下ろすことができる。正面の山が西山石を切り出したところだという。ここまで石を運びこむ苦労は相当なものだったはずだ。山頂付近はモミジで囲まれて、見事な紅葉が楽しめるそうだけど、未だほんの少し色づき始めたところだ。



もともとの大手筋は、正面の石垣の左手から登ってくる道だったそうだけれど、完全に崩落している。400年も持ちこたえた利神城の石垣が近年になって崩落しはじめたのは、伐採をはじめとする人々の生活の変化にも原因があるのかもしれない。



今はソメイヨシノの木が何本か植えられているだけの天守台だけれど、元は三層の天守が築かれていたらしい。本丸だけでなく曲輪も石垣で固められ、堀切も随所に設置されていたという。本丸近くの石垣は凄いと聞くが、修復工事が完了するまで近寄れないのが残念だ。



弁当を食べながらガイドさんから詳しい説明を聞き、記念写真まで撮っていただくなど、西播磨には珍しい近世山城を堪能し、JR平福駅へと下山してきた。以前にも驚いたことだけれど、凄い駅舎だ。もっとも駅本体は瓦葺の駅舎の右にあるごく質素なものだ。



利神山だけでガイドツアーは終了かと思いきや、麓にあった御殿屋敷跡を案内いしていただく。藩主が住んでいたところで、古い石垣が今も残っている。利神城はあくまで戦時に備えたものだったようだ。



今では鉄道や道路の敷設で、石垣は途切れ途切れになっているけれど、往時の雰囲気は良く残されている。御殿屋敷の周囲には、堀も施されていたそうだ。今は田園地帯になっている佐用川の東側が武士エリアで、西側が宿場町&商業ゾーンだったようだ。



さらに、最近町を挙げて取り組んでいるというフジバカマの花園に案内していただく。絶滅の危機に瀕しているフジバカマだけでも十分な見どころなのだけれど、驚いたことにフジバカマの蜜を求めて、アサギマダラという珍しい「渡り蝶」が何十匹も集まっている。



近づけばすぐ逃げるのかと思いきや、蜜に熱中しているのか、全く逃げない。そればかりか蜜を吸いながらポーズを取るかのように羽根を広げたり閉じたりしてくれる。間もなく台湾方面へと飛び立っていくという。飽きることもなく20分ほども蝶の観察をする。



ガイドさんのご厚意で予定を1時間ほどもオーバーしてツアーは終了。行き交う人は誰もがガイドさんとは顔見知り。今ではほのぼのとした小さな町だけど、かつては鉄が産出され、吉備や出雲と対峙した大和朝廷の最前線だったという。まだまだ知らない魅力がありそうだ。



本日の歩行軌跡。地図左のスタート地点から南下し、城跡まで往復し、その後川沿いに北に進んで御殿屋敷跡とフジバカマ園を見学。歩行距離はわずか3.5㎞だけれど、知識豊富なガイドさんの説明のお陰もあって大満足のツアーだった。



予想外に疲れてしまったけれど、ツアー終了後、予定通り西播磨城攻めトレッキングスタンプラリーでただひとつ取り残している感状山城へと向かう。(②に続く)