楯岩城・城山(太子町)

 2021年10月2日 ③


西播磨山城スタンプラリー、本日の3城めは太子町の楯岩城。他の7城と違って楯岩城なんて聞いたことがない…。小さいうえに山が少ない太子町からの苦渋の選抜かと思っていたけれど、大津茂川沿いの道には立派な案内板がある。



おそらく目指す城山はあれだろう。案内板には200mと書かれていたけれど、200mで山頂にある山城跡に辿り着けるはずはないぞ。



川沿いの道から東に進むと獣除けの鉄柵が現れた。とても開錠しずらい扉の中に入ると若王子神社が現れた。どうして獣除けの柵を神社の奥に設置しないのか不思議だ。



神社の境内の奥から楯岩山址遊歩道が始まる。この山もヒルが多いとのレポートを読んだこともあり、あらためてヒル除けスプレーを靴などに吹きかけて山へと歩を進めていく。もちろん帽子にはオニヤンマ君を取り付けている。



九十九折の道でどんどん登っていく。坂はキツイけれど、道は小型重機などが進入できそうな幅があり、路面の凸凹も少ない。



白旗城や上月城の攻城戦は有名だし、ましてや新田義貞や山中鹿之助は思い入れのある人物なので山城に向かうのもテンションがあがる。一方、楯岩城ときたら、「赤松の城だったけれど秀吉が攻め落とした」という説明があるばかり。西播磨の山城はみんなそうだ。



本日3城めという疲れも相まって、テンション低めで歩き続ける。いつの間にやら道は少しずつ狭くなり、多少荒れたところも出てきたけれど、歩きやすい道が続くのだけれど、他に歩いている人の気配も感じられない。



やがて大きな岩が露出しているところが増えてきた。楯岩城とは、山頂付近で岩が楯のように並んでいるところから名付けられたという。確かにこうした岩は守備側にとっては楯のような役割を果たすのだろう。



でっかい岩が現れた。当然右か左に岩を迂回するのかと思ったら、岩の真ん中の窪みで道案内代わりのテープがたなびいている。



岩の多い道を攀じ登っていくと、アンテナが現れた。山頂に着いたのだろうか。



アンテナの横にある木には「楯岩城跡」のボードが取り付けられている。やれやれ、到着だ。



YAMASTAのスタンプもゲット。ところがYAMAPの地図を見ると、ここは未だ城山の頂上ではないことが判明。しかもYAMASTAのチェックポイントは山頂の三角点となってる。GPS信号に誤差が出ることもあるため、チェックポイント到達は甘めに設定されているようだ。


ここで帰るとズルをしたみたいなので、城山山頂に向かうことにする。YAMAPに記載されている標準タイムは僅か8分。おそらく道の正面に見えるのが城山の山頂だけれど、あそこまで8分で行けるのだろうか…。山の中での遠近感にはまるで自信が持てない。



城山山頂への道には案内表示もあるうえに、テープがアチコチに巻き付けられているのが有難いのだけど、赤、ピンク、黄、青など様々な色が混在している。新内閣には是非とも山のテープの規格化をお願いしたいものだ。所管官庁がどこかは知らないけれど。



城山の山頂に到着。標高は249m。二等や三等よりも一回り大きい一等三角点の柱石がある以外は何もない…。堀切などの山城の遺構も見当たらない。



楯岩城を制覇して、来た道を戻っていく。登ってきたときには気づかなかったけれど、下界を見下ろせるところもあった。



距離2.3km、獲得標高244m。往復の所要時間は1時間20分ほど。
本日制覇した白旗城、上月城、楯岩城の3城を足し合わせると、距離6.7㎞、獲得標高776m、登山所用時間は4時間14分。



これで西播磨山城スタンプラリーも7城を制覇し、残すは感状山城を残すばかり。昨年の10月に登ったものの、感状山城から三濃山に縦走する途中でヒルの多さに耐えかねて無念の撤退をした。感状山城に登るなら三濃山まで登頂したいものだけれど、どうしたものか…。