有子山城(豊岡市)

 2021年10月25日


但馬の小京都と呼ばれる出石の町にある有子山城に登る。全盛期には全国の六分の一を支配した山名氏が、織田軍の侵攻に対抗するために築いたという山城だ。急峻な有子山(321m)に築かれた城跡には、今も石垣などの遺構が良く保存されているという。



出石の町の南に出石城跡がある。その背後にあるのが山名氏が山頂に城を築いた有子山だ。江戸時代になって、有子山城は取り壊され、一国一城制のもと、但馬国における唯一の城郭として有子山の山麓に出石城が築城されたという。



まずは出石城跡を探索。出石は3回ほど訪問しているのに、城跡に来るのは初めてだ。隅櫓は近年再建されたもののようだけれど、堀や石垣は往時のものが現存しているようだ。有子山の山麓の斜面に階段状に曲輪が配置された平山城だ。



写真右の石垣の上が本丸のようだ。山にへばりつくように配置されている。残念ながら天守は建てられなかったそうだ。今では本丸跡には稲荷神社の社殿が立っている。石垣の横を登る階段には伏見稲荷のように赤い鳥居が並んでいる。



本丸跡の横手から、いよいよ有子山への登山が始まる。登山口には「急坂や岩場に注意」、「熊に注意」など、ハイカーへの注意を呼び掛ける看板が並んでいる。出石蕎麦を食べた後の腹ごなしに気楽に登ろうとする人が多いのかなぁ…。



登山口からいきなり結構な急坂が始まる。出石観光のついでにヒールの高い靴などで呑気にやってきた人は間違いなくここで引き返すだろう。



写真では判りずらいけれど、尾根道を断ち切る堀切もしっかりと残っている。丸太階段が設置されているところは掘り残した土橋だ。



丸太階段が整備されているのは有難いが、それでも果てしなく続くような急坂には辟易とさせられる。山名祐豊がこの山を選んだのも頷ける。攻めあがるには相当厄介な城に思えるのだけれど、築城して僅か6年後、秀吉の攻撃により落城したという。



山頂に近づくと、曲輪跡を示す標札が見られる。ここは北第五曲輪。北尾根と西尾根のそれぞれに階段状にたくさんの曲輪並んでいたようだ。第十曲輪なんてのも、この後登場する。



30分以上も急な坂道を登りに登って、いい加減にしてくれ~、と思っていたところ、「中間地点」と書かれた標識が現れた。まだ中間かぁ…、でもこの後の道はなだらかだという。それにしても、こんなしんどい道を「遊歩道」とは呼ばないでほしい。



中間点以降は、落ち葉が積もるトラバース。それまでと比べれば随分と楽な道とはいえ、滑って転べば、右下の谷へと落ちてしまいかねない。



大規模な石垣が現れた。耐久性が低い野面積だというのによく崩れずに残っているものだ。もっとも崩落を防ぐためにネットが張られているけれど、ちょっと手を加えれば再築城できそうな雰囲気だ。



山頂にある主郭の石垣。角は算木積のようだ。一国一城のルールに従って出石城築城の際に廃城にされたというけれど、これで破却といえるのだろうか。石垣のある部分さえ壊せば、後に使い物にならなくなると聞いたこともあるけれど、素人目には未だ使えそうに見える。



主郭は広い。急峻な山に多くの曲輪を有して相当な兵数を収容できそうに思える。播磨地方を中心に色々な山城を見てきたけれど、トップクラスの堅城のように感じる。でも、秀吉が有子山城を落とした際にさほどの激戦があったとは聞かない…。



頂上からは眺望が広がる。遠くの山々に雲が掛かっているけれど、雲海だろうか。まだ朝の9時。竹田城でも9時頃までは雲海を楽しめた。



主郭から出石の町を見下ろす。急坂を登りながら実感してきたつもりだけれど、山上に立つと、あらためて有子山の急峻さが良く判る。



主郭の西にある千畳敷にやってきた。主郭とは大きな堀切で仕切られている。ここには領主をはじめとした武士たちの居館があったところらしい。千畳というのは決して大袈裟な数字ではないようで、東西130m、南北50mというから、実際には3500畳ほどの面積になる。



古く、そして長い石垣が聳えている。一部は崩壊しているとはいえ、400年以上も手を加えられることなく、風雪に耐えて原形を保っていることは驚異的なことだ。



帰路は登ってきた北尾根を激下り。山名氏がここに籠った際にはこんな丸太階段など無かっただろう。いかに昔の人が健脚だったとはいえ、攻めるにせよ、守るにせよ、重い武具を付けてこの坂を上り下りするだけで相当疲れたに違いない。



下山後、出石のシンボル、辰鼓楼に立ち寄る。日本最古の時計台と言われてきたけれど、辰鼓楼が動き始めたのは札幌時計台の27日後だったことが最近判明した。この事実を包み隠さず発表した出石の関係者に敬意を表したい。辰鼓楼の価値は寸分も変わらないと思う。



家老屋敷。よりにもよって明治維新前に出石藩主だった仙谷家の初代、秀久の顔出しパネルがある。決して好きになれない武将のひとりだ。耳川の戦いでの傲慢で卑怯極まりない振る舞いは、長宗我部贔屓ならずとも許せないと思っている人が多いのではなかろうか。



出石の街中のプチ散策を含めた所要時間は2時間21分、歩行距離は3.2㎞。獲得標高は347m。