感状山城(相生市)

 2021年10月12日 ②


YAMASTAの「兵庫・西播磨の山城 城攻めトレッキングスタンプラリー」も7城を制覇し、残るは感状山城のみ。未踏破の三濃山まで縦走するつもりだったけれどヒルがいなくなるまでは難しそうだ。そこで利神城ツアーの帰路に感状山にだけチョコっと登ることにする。



羅漢の里の入口から感状山へと向かう。せっかくなので羅漢石仏にもご挨拶したいけれど、時間もないし、体力も残り少ない。チョコっと感状山まで登るといっても、山頂まで往復1時間半ほどは掛かるはずだ。



1年振りの感状山だけれど、上月城や白旗城と同様、登山者カウンターが新たに設けられている。一体どれくらいの人が登っているのだろうか。既に15時を過ぎているせいか、周囲には人の気配はまるで感じられない。



登山口にはヤマビル注意の貼り紙がある。これって、去年あったのと同じ貼り紙だ。しかも同じ場所に吊られている。まさか年中ヤマビルがいるんじゃないだろうな、と勘繰ってしまう。



登山口から長い長い九十九折れの階段が続く。登山道が整備されていることは有難いけれど、南北朝時代、赤松が新田を迎え撃った頃の雰囲気を感じ取れないのは残念だ。



長い階段に気持ちも体もゲンナリしてしまうが、続いてはゴロゴロと石が転がる山道が始まる。こんな道の方が城攻め気分にはなれる。



頂上が近づくにつれ、古い石垣が現れ始める。感状山城の素晴らしいところは、何といっても古い石垣がとてもいい状態で残されているところだ。



見張り台と言われる岩場までやってきた。かつては麓を見渡すことができたのだろうけれど、今では樹木が生い茂り、見晴らしのよい場所ではなくなっている。




岩の多い道を登り、ようやく平らなところにやってきた。Ⅲ曲輪(ローマ数字を使っていることに違和感があるが)だ。ここだけでも数百人規模の兵を収容できそうな広さがある。



あまり標高差の無い尾根伝いに曲輪を並べている城とは異なり、Ⅲ曲輪からⅡ曲輪、Ⅰ曲輪へと向かうためには、さらに険しい坂を登っていかねばならない。



相変わらずゴツゴツとした岩が露出する道が続くけれど、さほど急なものでも危険なものでもない。この程度の山道が今の体力・技術レベルでは丁度いいと感じさせてくれる楽しい道だ。



木々の隙間のアチコチに石垣が見える。戦の絶えなかった時代に急いで築城したもののはずなのに、よくまあ700年もの間、風雨や地震にも耐えて崩落せずに残っているものだと感心してしまう。



休まず歩き続けて、ようやくⅡ曲輪。北と南の2区画に分かれている。ここも広い平坦地で、やはり数百人規模の兵を余裕で置くことができそうだ。



あとひと息。Ⅰ曲輪(本丸)へと向かう最後の坂を攀じ登っていく。



登り始めて40分で感状山(305m)の頂上に到着。ここがⅠ曲輪となる。海沿いの工場地帯の煙突まで良く見渡すことができる。昨年10月に登った際には、ここで既にヒルにやられていたけれど、今日は大丈夫そうだ。



山頂で感状山城のデジタルスタンプもゲット。石垣の上にいるのは赤松円心だろうか。きっと足利尊氏から貰った感状(表彰状)を読んでいるところなんだろう。



おお、ついに、YAMASTAスタンプ帳に8城のスタンプが埋まった。スタンプゲットの日付ばかりか、秒単位の時刻までが残されている。



山頂で10分ほどノンビリして、さっさと下山。いずれ近いうちに三濃山への縦走のために、再びここまで登ってくることになるはずだ。ヒルがいない来春あたりになるだろう。



歩行軌跡。登山口から山頂まで最短経路の往復。歩行距離は1.5㎞、所要時間は1時間14分。この程度の山でも時速1㎞で登るのは結構大変だ。



缶バッジを貰うために立ち寄った相生の観光案内所への8城コンプリート者の来訪は初めてとのことで、係の女性陣から大いに褒めたたえられてしまう。おそらく比較的アクセスの良い感状山城を最後に残す人は少ないのだろう。照れちゃうけれど、悪い気分ではない。




これで8つの缶バッジが勢ぞろい。ウォーキングやスタンプラリーなどで貰った100個をゆうに超える缶バッジやピンバッジは、使われることもなく箱の中に溜め込まれているだけだけれど、それぞれが大切な思い出になる。



YAMASTAのコンプリートトロフィーもゲット。申請すれば認定証とピンバッジが貰えるはずだ。