2021年10月2日 ②
西播磨山城スタンプラリー、白旗城を攻め落とした勢いで上月城にやってきた。昨年に引き続き2回目の攻城。上月歴史資料館がある登山口には新しい道案内地図がある。この城で奮戦した山中鹿之助をモチーフにした「しかのすけ君」が描かれているのが嬉しい。
前回は平福まで佐用町の史蹟を巡りながら歩いたけれど、今日は上月歴史資料館近くの登山口から山城までのピストン登山だ。まずは麓にある「山中鹿之助追頌之碑」に手を合わせて出発だ。
上月城跡への遊歩道の入口にも、登山者のカウントをするセンサーが取り付けられている。説明書を見ると山城を猛プッシュしている西播磨ツーリズム協議会が設置しているようだけれど、尼子城や長水城への登り口にはこのようなカウンターは無かったような気がする。
さあ、一気に攻め落とすぞ。登山道はよく整備されていて、息切れすることもなく登っていける。これを登山とはいえないかもしれない。
山に生育する樹木の多くには丁寧に樹木名の札が取り付けられている。あらためてネジキを観察すると、確かに幹が捻じれながら成長していることがよく判る。
あまり遺構が残っていない山城だと思っていたけれど、堀切などの表示がある。難しいいんだよなぁ、堀切の見分け方って。敵が尾根伝いに移動できにように楔を打ち込むように尾根をぶった切っているのが堀切だと思うんだけれど…。なんだか違うような気がする…。
山頂部への最後の階段。大した防衛線にもなっていないように思える。以前ここに登った時も思ったけれど、よくまあこの城で尼子一党は毛利軍3万に対して80日以上も耐えたことに驚く。難攻不落の白旗城での籠城戦よりも、はるかに困難であったことが想像できる。
山頂にある主郭には赤松氏の慰霊碑が立っている。毛利氏に組した赤松氏が守るこの城を秀吉が攻め落として尼子一党が守備を任されたものの、翌年には毛利に奪還された。三木城の別所氏が離反したため、秀吉には援軍を出す余裕が無く、尼子は見捨てられた格好だ。
山頂では、上月城跡のスタンプをゲット。「三日月に祈る」山中鹿之助に違いない。「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったと伝えられるけれど、この小城を守り抜くのは七難八苦そのものだったに違いない。
山頂から麓を流れる作用川を見下ろす。明らかに低い…。YAMAPには山名表示さえ無い。調べてみると標高は190mしかなく、頂上への坂も急峻なものではない。一説では秀吉の退却指示を拒んで、この小城で3ヶ月近くも頑張ったともいう。
山頂からは西播磨天文台がある大撫山が見える。標高は435mだ。尼子氏の毛利氏に対する強烈な意地は理解できるけれど、上月城を捨てて、白旗城とか利神城とか難攻不落を誇る他の山城に移動するなどできなかったものかとどうしても考えてしまう。
登山開始から下山まで僅か30分。距離は600m弱、獲得標高は僅かに100m。上月駅前にある「ふれあいの里 上月」で缶バッジを貰う。帽子にオニヤンマ君を付けたままだったので、店員さんと随分と話が弾んだ。
さあ、もうひとつ。楯岩山もこの調子で攻め落とそう。(②に続く)