剣尾山・行者山(能勢)

2020年3月15日


能勢の北端、言い換えれば大阪府の北端にある剣尾山に出かける。正午過ぎてのスタートと随分と遅い出発になってしまったが、参考にした能勢電鉄のマップには歩行時間3時間とある。まあ大丈夫だろう。



能勢温泉からスタート。休館日になっていたけど、赤鬼が出迎えてくれる。能勢に赤鬼が登場するようなお伽話があったかなぁ…。あまり思い当たらない。



能勢温泉横の脇道を登り始めると、予定していた剣尾山登山口への道がロープで塞がれている。やむなく下山ルートと考えていた「つづら折れ」方面に進む。事前に調べた10ほどの登山記録や案内を見た限り、そのすべてが行者山→剣尾山→横尾山の反時計回り。どうも嫌な予感がするけど、時計回りで目指す山々を巡ることにする。



いきなり丸太階段が続く。まあ、階段の蹴上高はさほどのものではなく、雑木林のなかを気持ちよく登っていく。



が、徐々に巨岩が道に立ち塞がるようになり、坂も険しくなってくる。ここの岩はあまりゴツゴツしておらず、丸みを帯びている。まさかかつては川や海だったのが隆起したということかぁ…。ブラタモリに触発はされているんだけど、今もって地学の知識は中学卒業レベルにさえ達していない。



そこそこの急坂を攀じ登って「頂上広場」に到着。が、何山の頂上なのか判らない。というより山の中腹でしかないように感じる。それに掲示されたマップには「小鳥のテラス」とか「オニヤンマの道」とかメルヘンチックな名前ばかりが並んでいる。山岳地図と違う名前には混乱してしまう。


頂上広場って名前にぬか喜びしたけど、実のところ登山はまだ序盤。まだまだ登らなければならない。



巨岩、奇岩の多いところだ。山のアチコチに岩が積み重なっているようなところも見られる。どのようにこんな形になったんだろう。



下山中の30人ほどの子供たちとすれ違うため、延々と細い登山道の脇に寄って通過待ちをする。待つことは一向構わないんだけど、引率の大人は大変だろうなぁ…。いろいろなトラブルやリスクばかりが頭を過ってとても引き受けることができそうにない。



まだ横尾山にも着いていないというのに、突然雪が舞ってきた。そんなこと聞いてないぞ。



写真ではよく判らないけど、雪の量はさほど多くないものの、風も強まってきて、視界がどんどん狭く、そして暗くなっていく。先ほどの子供たちは大丈夫だろうか。



スマホで天気予報を見ると、雪マークが付いている。出掛けるときは一日中晴れの予報だったのに。山の天気はホントに不安定で油断ならない。



横尾山に到着。なんということも無い山だ。先を急ごう。



おそらく向こうに見えるのが剣尾山だ。登り始めて1時間半をゆうに超えている。チンタラと登ってきたこともあるけど、能勢電鉄のマップにあった所要時間3時間というのは、かなり厳しい…。ちょっとペースアップだ。



文字が消えかかっているが、石碑には「丹波・摂津 国境」とある。ということは、今歩いている尾根が大阪府・京都府の境ということになる。



雪も止み、無事標高784mの剣尾山に到着。この辺りの主峰かと思っていたけど、先ほど登頂した横尾山より僅か1mだが低い。剣尾山は「けんびさん」ではなく、どうやら「けんぴさん」のようだ。「尾」を「PI」と読む例はあまり無いのではなかろうか。



頂上は360度パノラマが広がる。丁寧すぎると思うのだけど、何本もの腕木を持つ方向案内標識が立っている。もっとも残念なことに文字の多くが消えかかっている。



剣尾山から少し下ったところに月峯寺の跡がある。多くの構造物の遺跡が今も残っており、おそらくは山岳信仰の大寺院であったことが窺い知れる。ここを本拠とした行者が、剣尾山や行者山で修業をしていたのだろうか。



六地蔵。優しいお顔のお地蔵様が6体並んでいる。お花が供えられているところをみると、地元の人々の信仰を今も集めているようだ。



剣尾山から行者山へと向かう尾根道は「おおさか環状自然歩道」の一部になっているようだ。「おおさか環状自然歩道」の標識は、方々で見ることができるんだけど、ガイドブックも地図も見当たらない。かつて税金をかけた施策がメンテもされずに放置されているようでとても残念だ。



行者山に到着。標高は469m。見晴らしもなく、山頂には特筆すべきものが無い。



行者山の山頂から少し進めば、巨岩や岩壁だらけの道になる。摩崖仏や梵字が彫られた岩があると聞くが、それっぽく見えるところが多く、どこがそうなのか判りにくい。



ひどく不安定そうな巨岩があったり、この種のエリアではお定まりの胎内くぐりがあったりする。岩石群の迫力には圧倒されるものがある。



ようやく摩崖仏を発見。あまり深く掘られたものではなく、剥離も進んでいるので、見落としてしまいそうだ。



どうやらここが西の覗きらしいが、いまいちピンとこない崖だ。もっとも、これから下山する能勢の郷方面がよく展望できる。



下山口近くに、「剣尾山の謎」というパネルがある。室町時代、管領細川政元が瀬戸内からの情報を剣尾山と愛宕山を通じて京までの狼煙による高速通信網を構築していたという。初めて聞く話だけど、実に興味深い。



本日の歩行軌跡。例によって、RUNKEEPERの歩行軌跡ログでは、山間部の地名や山名が全く表示されないのが残念。標高についても分かりにくい。おおよそ3㎞地点が横尾山、6㎞地点が行者山の山頂になる