2020年3月21日 ①
東海道五十三次ウォークの19日目、赤坂宿からスタートだ。豊川市に編入されたのは2008年だけど、赤坂では今もかつての町名「音羽町」のマンホールが使用されている。広重の「赤坂招婦ノ図」が描かれている。
文化年間に建てられた旅籠が今も残っている。大橋屋だ。つい最近まで旅館を営んでいたらしいが、今は市が所有する史跡として一般開放されている。
赤坂宿を出発してしばらく歩くと、早くも岡崎市に入る。今日のゴールは岡崎宿を予定している。案外早く到着するのではと思ったけど、調べてみると岡崎市の中心部までは15㎞くらい歩かなければならない。
岡崎市に入るとすぐに冠木門が現れる。赤坂宿と藤川宿の中間、間の宿として賑わったという本宿(もとじゅく)村の入り口だ。
「右国道一号、左東海道」の石碑が立つ本宿への分岐点に、本宿の説明板がある。興味深いのは、この地が旗本柴田氏の知行だったということ。柴田勝家の末裔だ。
本宿の中心にある法蔵寺。家康が少年時代に読み書きなどの手習いをしたところで、当時の硯や机が今も残されているらしい。そのため東海道を通行する誰もが門前で下馬したという。
松平氏(徳川氏)との縁の深い法蔵寺には松平家の霊廟や三方ヶ原の戦死者の供養塔などが見られる。驚いたのは、新選組の近藤勇の首塚があること。京の三条河原に晒されていた首を同志が奪還し、この寺の住職に埋葬を依頼したのだそうだ。
本宿を出て、名鉄名古屋線に沿って岡崎市中心部に向かって歩いていく。ガイドブックは国道1号線と名鉄の間の細い道へと案内する。日本橋から300㎞以上歩いてきたけど、これほど狭い道は無かった。
藤川宿の棒鼻跡に到着。広重が描いた「藤川棒鼻ノ図」をもとに復元されたものだそうだ。
街道沿いの商家。もとは米穀商だったという。うだつと格子戸、江戸末期の典型的な商家だという。
本陣跡。冠木門、高札場、井戸などが再現構築された広場になっている。すぐ近くにある脇本陣跡が藤川宿資料館となっている。
藤川宿を出ると、およそ1㎞の間、いい感じの松並木が続いている。松並木のおかげで道全体が木陰となっている。特に暑い日や風の日には松並木は旅人の大いなる助けになったことがよく判る。
乙川を渡る太平橋の河原で馬が草を食んでいる。東海道歩きのため、事前に調べた先人のいくつかのブログにも驚きとともに登場する馬だ。Googleのストリートビューにも映り込んでいる。どうやら3頭いるようで、1日の大半はここで過ごしているようだ。
西大平藩陣屋跡にやってきた。1万国の小藩だが、江戸町奉行だった大岡忠相が抜擢されて、初代藩主となったことで有名なところだ。
大平の一里塚。江戸からちょうど八十里になる。国の文化財に指定されているところを見ると、昔の姿がそのまま残されているのだろか。
冠木門が現れた。いよいよ岡崎宿に入る。広場にはこの先に待ち構える「岡崎城下二十七曲がり」の碑がある。
二十七曲がりというのは大袈裟ではなく、実際に27の曲がり角があるようだ。それぞれの曲がり角には東から順に「い」「ろ」「は」…といった符号が付けられている。
岡崎宿の名物を紹介するオブジェが歩道のアチコチに設置されている。なかなか味のある造形だ。これは「あわ雪茶屋」。あんかけ豆腐に醤油だれを垂らした「あわ雪」が岡崎の名物だったそうだ。
田中吉政の像がある。家康の江戸移封のあとの岡崎城主を秀吉から委ねられた人だ。岡崎の城や町を大整備した人だ。吉政は関ケ原で石田三成を捕縛したことで知られるが、三成がどうせなら人格者の吉政に捕まることを望んだと伝わる。
岡崎城にやってきた。戦国時代には松平氏の本拠、家康もここで生まれた。明治維新後の廃城令で天守などは撤去されたが、戦後鉄筋コンクリート製の天守が再建されている。
城内には、恰幅のいい家康の立像もあるが、目を引くのは「しかみ像」。三方ヶ原で信玄にボロ負けして這う這うの体で逃げ帰った惨めさを忘れぬよう、その時の姿を絵に描かせたものを像にしたものだ。もっとも、岡崎城ではなく浜松城での出来事なんだけどね。
本多忠勝の像もある。幼いころから家康に付き従い、数々の武勇伝を持つ徳川四天王のひとりだけど、他の3人を差し置いて忠勝の像だけあるのは、江戸後期に忠勝の子孫が岡崎藩主としてこの地に戻ったせいだろうか。
岡崎城の南側の道は「竹千代通り」、堀に架かる橋は「竹千代橋」と名付けられている。成年の家康だけでなく、少年期の竹千代の像もいくつも見られる。
愛知環状鉄道の中岡崎駅前に、岡崎市のマスコットキャラクター「オカザえもん」の大きなパネルが立っている。可愛い系、動物系のマスコットが世の中に溢れかえっているなかで異彩を放っている。一体コイツは何者なんだろう…。
約23㎞のウォーキング。あと2日で宮宿(名古屋)まで行けそうだ。
時間も体力も残っているので、名鉄岡崎公園駅前から、長らく気になっていた豊川稲荷に向かうことにする。(②に続く)