掛川宿~見付宿【東海道五十三次-14】

2020年3月11日


東海道五十三次も早くも14日め。江戸時代の旅人の江戸~京の平均所要日数は13日というのに、まだ中間点の少し手前の掛川宿だ。銀行には掛川城主だった山内一豊と千代の肖像画が壁面に飾られている。建物が和風なばかりでなく、入り口には「両替」「札差」の木札が吊り下げられているという凝りように感激する。



掛川市の西に「十九首」という恐ろし気な町がある。藤原秀郷が平将門の乱を制圧し、将門以下19将の首を京に運ぶ途中、将門の怨念を怖れた朝廷から首の入京中止指示を受けたためここに手厚く埋葬したという。京に晒されていた首が東京の大手町まで飛んで行ったという有名な話とは対立する話だけど、こちらの方があり得そうな話に感じてきた。



天龍浜名湖鉄道の西掛川駅。旧国鉄の路線が三セク化したもので、掛川から浜名湖北端を通って湖西市の新所原まで、営業キロは約70kmもある鉄道だけど、随分と簡素な駅で改札もない。道からスロープで直接ホームまで上がってくることができる。



明治以降、国道1号線や名神高速など東西に縦貫する新たな基幹道路や鉄道が建設されるに伴い、旧東海道は繰り返し寸断されているのだろう。一体もともとの道はどこをどう十ていたのか想像することさえ難しくなっているところも多い。



松並木が美しく残されているところが断続的に続く。ガイドブックではこれを「名残松」と案内している。樹齢を知ることはできないけど、拡幅された道沿いの松並木は近年の復元と考えられるけど、これくらいの道幅なら江戸時代からの並木に見えてくる。



袋井の市街地に入ると、市立小学校にまで「東海道五十三次どまん中」の大きな表札が掲げられている。江戸から数えても、京から数えても、27番目。東海道ど真ん中の宿場町にようやく到着だ。



袋井市内で妙な資料館を発見。化石資料館だ。在野の研究家が長年蓄積したコレクションを披露しているようだ。化石だけでなく、この地方の地質研究などを示す岩石類が、無造作に庭にも並んでいる。



妙なものといえば、このドッグカフェ。犬・猫は当然として、爬虫類も対象したお店だ。この種の店のことはよく知らないけど、個人的には「爬虫類」の文字を見ただけで、店の様子を覗いてみようという気さえ失ってしまう。



「どまん中茶屋」というのがある。広重の浮世絵に出てくる茶屋を再現したもので、観光案内所であり土産物屋であり、そして東海道を歩く人の休憩所にもなっている。



どまん中茶屋でお茶の接待を受ける。記念品の木札の通行手形まで頂いた。たまたま、五十三次に挑戦中の2人(それぞれ一人旅)と一緒になり、これから先の道や宿の情報を交換しあう。



東本陣跡。復元された門がどまん中に建てられた風変りな公園だ。もとの本陣は敷地が1000坪以上、建坪288坪という大規模なものだったという。



丸凧ギャラリー。かつては袋井の名物で、浮世絵などにも多く描かれた丸い凧が、近年袋井で復活されたらしい。丸い形が凧を上げるのに適した形かどうかは怪しいと思うのだけど、丸ならではの、ほのぼの感、それに太陽信仰にもつながるような有難さがあるように感じる。



袋井市の西端に近い、木原の一里塚。どうやら復元された一里塚らしいが、これまで数多くの一里塚(復元を含む)を見てきたが、このような形がかつての典型的な一里塚のように思える。



一里塚の傍に木原畷古戦場の碑がある。武田信玄が徳川領に侵攻した最初の戦いだ。三方ヶ原の戦いの前哨戦、徳川の偵察隊が武田軍前衛に蹴散らされたものだ。家康の腰掛石というのが碑の横にあるけど、関ケ原に向かう途中に立ち寄ったときのものらしい。



袋井市を出て磐田市に入る。古くは遠江の国府が置かれ「遠江府中」と呼ばれ、江戸時代には宿場町「見付」と名を変えている。そして近隣自治体との合併により郡の名前をとって「磐田」という市名になったようだ。



旧東海道は自動車道を離れ林の中へと続く。長らく自動車が行き交う道の歩道を歩いてきただけに、なんだかホッとする。



小高い丘にたつお堂の傍に、かつては「本多平八郎物見の松」というのがあったらしい。ここから木原畷まで進出してきた武田信玄軍を偵察していたらしい。今は雑木が少々視界をふさいでいるけど、木原畷方面まで見渡すことができる物見には最適の場所だ。



旧見付学校。明治8年落成の、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎と説明されている。疑洋風ってなんだろう?洋風でいいと思うんだけど…。磐田のシンボルとも言われ、国の史跡に指定されているらしい。



街道に沿っては本陣や旅籠が並び、宿の奥に寺社や民家があったらしい。そこから街道に出るための細い道は小路と呼ばれ、寺小路、宮小路などの名前が付けられている。今も路面に小路の案内プレートが貼られている。



磐田というところは、サッカーで有名なところだけど、卓球のレベルは全国随一を誇っているようだ。水谷隼、伊藤美誠の男女両エースがともに磐田の出身だと初めて知る。



姫街道との分岐点が現れた。浜名湖の南岸を行く東海道の新居宿が宝永地震で大被害を受けてから暫くの間は、浜名湖の北岸を行く姫街道が京・江戸の間の主街道になっていたらしい。



西光寺。縁結びや恋愛成就にご利益があると近年人気のお寺らしい。時宗の古刹ということだけど、なんだかブッ飛んだ案内板が立っている。この種の看板はパワースポットをアピールするには逆効果ではないだろうか。



磐田駅前へのメイン道路はジュビロロードと名付けられ、選手の足型プレートやマスコットキャラクターが道にあふれている。



磐田駅に到着。掛川駅もそうだったけど、ここも重厚さを感じさせる青銅色の屋根を持つ和風な駅舎だ。



本日の歩行軌跡。歩行距離は約21km。