新居宿~二川宿【東海道五十三次-17】

2020年3月19日


東海道53次ウォークも17日めに突入。江戸日本橋から数えて31番目の宿場町、浜名湖の南西にある新居宿(湖西市)からスタートする。



舞坂宿から今切の渡しで新居宿に到着した旅人は、新居関で検問を受けることになる。関所の主たる取締り対象は入鉄砲出女であったから、男性はほとんど手形無しのノーチェックで通過できたらしい。



新居関は唯一現存する江戸期の建物が残されている。一時は学校や役場に転用されていたらしいけど、今は建物内部にも取締役人の人形や武具などを設置して、往時の関所を再現している。資料館も併設されている。



江戸時代の建物がそのまま残る旅籠紀伊国屋。部屋数12、奥座敷2というのは、新居宿25軒の旅籠のなかで最大規模になるらしい。ここでの夕食には鰻の蒲焼が供されたそうだ。



内部には、玄関、廊下、それに多くの座敷が非常に良い状態で保存されている。驚いたことに、旅人の汗を流す風呂場に水戸黄門「かげろうお銀」姿の由美かおるの写真パネルが置かれている。確かに旅籠の風呂といえば、まずお銀を連想する人は少なくないはずだ。



元芸者置屋の小松楼。関所が無くなった明治以降も、新居は役所が置かれ、漁業も盛んで、賑わいのある町だったらしく、歓楽街が広がっていたという。最盛期の大正時代にはこうした置屋が11軒もあり、ここだけで80人もの芸者を抱えていたそうだ。



新居宿の外れにある棒鼻跡。旅費節約のためにとにかく急ぐことが最優先だった大名行列もさすがに宿場に入る直前には、籠の棒先(棒鼻)を揃えて威厳を正したという。



新居宿を出て、次なる白須賀宿へ向かう。美しい松並木が続いている。おそらくかつては海岸沿いの道だったのではなかろうか。南側に広がる田畑は、道路より数十センチは低い土地になっている。



キャベツ畑が広がっている。糖度8度以上というブランド野菜「キャンディキャベツ」だと思うんだけど、何百いや何千ものキャベツが放置されたまま枯れようとしている。道路にはキャベツを運搬するトラックも多数見かけるのに、どうしたことなんだろう。



白須賀宿の手前で、それまで海沿いだった東海道は山手に向かっていく。汐見坂だ。うまく写真が撮れていないけど、坂の向こうには遠州灘が広がっている。京からやってきた旅人は、このあたりで初めて富士山に出会うことができたらしい。



坂の上には白須賀宿のウェルカムセンターのように「おんやど白須賀」が立っている。白須賀宿の歴史や文化を展示している文化ホールだ。



浜松市同様、このあたりも在留外国人が多いところなのだろう。小学校の校門にも「立入禁止」の注意書きが3つの言語で表記されている。日本語、ポルトガル語、そしてスペイン語だ(と思う)。



白須賀宿にやってきた。おそらく鉄道から離れているためか、再開発から取り残されたようだ。昔の道幅のまま、まっすぐな道が宿場町を貫いている。



豊橋市に入る。コオロギ直売の看板がある。Lサイズが8円、Mサイズが7円となっている。コオロギなんて、昔は1時間もあれば50匹くらいは訳なく捕まえることができたけど、おそらく今では20円近い小売価格がついているのではないだろうか。



白須賀宿を出てしばらく歩くと、ついに愛知県に突入する。退屈な国道1号線の歩道歩きが続くが、時折高速で通過する新幹線が刺激を与えてくれる。



二川宿に到着。街道沿いの家々の玄関や門扉にはお揃いの暖簾が掲げられている。丸に二の紋があしらわれている。足利氏や今川氏の二両引紋にも似ているけど、ここは三河の西端だ。おそらく「二川」の「二」なんだろう。



商家「駒屋」。江戸時代には米穀商や質屋を営む大店だったそうだ。街道に面する間口は広くはないけど、間口の何倍もの奥行きがある敷地には土蔵、離れ、茶室、庭園などが美しく配置されている。



ちょうど雛祭りイベントが開催されていて、広い座敷には千体を超えるかとも思えるほどの雛人形が展示されている。そればかりか庭木にもトイレにも雛人形が飾り付けられるほどの徹底ぶりだ。



東京オリンピックを記念して製作されたと思われる雛人形も多数見られる。平安の貴族衣装を纏った男女が各種競技に取り組んでいる。よくここまで丁寧に作ったものだ。



二川宿本陣。旧東海道では草津宿とともに2つしか現存していない本陣のひとつだ。表門に掲げられる幔幕は、宿泊する大名の家紋入りのものを都度掲げたらしい。



本陣建物の内部。左側が大名用の内玄関になる。草履を履いていない大名の駕籠を直接置くため、玄関内の座敷だけでも21畳もある。



本陣に付随して、立派な資料館もある。二川宿のことだけではなく、江戸時代の東海道全般の説明があり、とても勉強になる。



本陣の隣にある旅籠屋「清明屋」。本陣とはうって変わってこちらは庶民の宿だ。駕籠で移動する大名や公家とは違って、庶民の宿泊はまず足を洗ってもらうことから始まる。



二川宿は本陣、旅籠、商家、資料館と、東海道中でも最も充実した施設が揃っている。街道沿いの家々や商店も古い宿場町の雰囲気づくりに協力している。ヤクルトの販売店も、創業当時の古い看板を用いていることが興味深い。



本日の歩行軌跡。およそ15㎞とウォーキングとしては短めだったけど、新居、白須賀、二川の各宿場町ともに見どころ一杯だった。