見付宿~浜松宿【東海道五十三次-15】

2020年3月12日


磐田駅(見付宿)を出発し、浜松を目指す。磐田駅前には樹齢700年の巨大な楠が威容を誇っている。前に立つ犬は「しっぺい」という磐田市のキャラクター。この地の民話に登場する、村の娘を食い殺す妖怪を退治した霊犬「悉平太郎」がモデルになんだそうだ。



暫く歩くと「くろん坊様」という謎めいた祠がある。金品を奪われたうえに殺されてしまったのインド人の旅僧を、土地の人々が手厚く葬ったものだそうだ。ひどい事をする輩がいたものだ。日本人として恥ずかしいことだが、こうしてお祀りしていただいていることがせめてもの救いだ。



秋葉神社の常夜燈。風雨を遮るための板囲いと格子が施された手の込んだものだ。火防の霊験で全国に多々存在する秋葉神社だが、特に愛知県には数多の秋葉神社が存在するという。静岡県横断に日を随分要してきたが、少しずつ愛知県が近づいていることを感じる。



天竜川だ。ここも江戸時代には架橋されていなかった。軍事上の理由もあっただろうけど、暴れ天竜と言われるほど氾濫を繰り返し川筋を大きく変え続けてきた川だけに、橋を架けたくとも架けることができなかったのだろう。



国道1号線の新天竜川橋から北側を望む。諏訪湖から流れだした水が、南アルプスを貫く渓谷を経てここまでやってくるのだ。天竜川が磐田市と浜松市の市境になっている。



天竜川を渡り切り、あらためて西岸から川幅の広さを実感する。「川に落ちないよう気をつけよう」との注意標識が路面にある。昼間はともかく、夜間にこの辺りを歩くのはかなり危なそうだ。



天竜川の西岸に、舟橋・木橋の跡の碑がある。明治元年の天皇東幸の際に初めて多数の舟を繋いだ舟橋が架けられたそうだ。その後東海道を繋ぐ木橋が幾度となく架けられたが、氾濫がある度に被害を受けたという。



中野町。もとの名前は中ノ町とか中町といったらしい。東海道の真ん中ということで名が付けられた町なんだそうだ。江戸からも京からも62里28丁だという。天竜川を利用して運ばれてくる木材の集積地として栄えたところだというが、今は静かな郊外の住宅街だ。



かつて浜松駅からは3方向に軽便鉄道が走っていたらしい。浜松~中野町の間にも東海道の路面を利用した鉄道があったそうで、松並木の下を煙を吐く蒸気機関車が走っていたそうだが、今は終点跡に小さな碑と説明板があるだけで、軌道や駅舎の名残も見られない。



関西では見かけない信号用押しボタン。トラの鼻が押しボタンになっている。



浜松市内に入ると、東海道ウォーカーのためなのか、あるいは地元住民のためなのかは判らないが、お休み処と書かれたベンチを見かけることが多くなった。



中野町から浜松市の中心までの約8kmのほとんどは国道歩き。これといった名所旧跡も無く、退屈なウォーキングが続く。浜松駅前にあるハーモニカをモチーフにしたデザインで有名な45階建てのアクトタワーはずっと正面に見えるけど、全然近づく気がしない。



ようやく浜松駅までやってきた。駅前にある楽器博物館。楽器の町、浜松らしい建物だ。付属するお洒落なカフェで遅めの昼食を食べ、土産物屋でピアノの鍵盤をモチーフにしたシックなネクタイを購入する。



次の宿場町の舞坂までは11km強。今日は浜松で終わりにして、残された時間は浜松散策と割り切る。派手な宝くじ販売店がある。宝くじ販売への参入は随分とハードルが高いと聞くが、関西ではほぼ統一仕様の大規模事業者のものしか見当たらないのだが。



高架のうえを鉄道が走っている。かつての軽便鉄道のなかで唯一形を変えて今も存続しているの遠州鉄道だ。車両の塗装色が赤のため、別名「赤電」と呼ばれると聞いていたが、見かけたのは、なぜか黄色い車両だった。



地方都市としては珍しく、ブラジル総領事館がある。浜松は外国人が多いことで有名なところで、10年前には33,000人、今も24,000人の在留外国人がおられる。その半数はブラジル人だと聞く。多くは地元の輸送機器の製造現場で働かれているという。



音楽の町らしく、路面にはト音記号をあしらった可愛い道案内のプレートがある。



浜松城にやってきた。戦国時代には徳川家康が本拠を置いていた城だ。江戸時代には歴代藩主が幕府の要職に就くことが多く、出世城とも呼ばれる。



石垣は戦国時代の野面積みが残っている。残念ながら天守は明治維新後に破却され、戦後になって再建されたいわゆる復興天守だ。今は天守を中心とした公園として整備されている。



天守の前には顔出しパネルがある。なんと家康、井伊直虎、井伊直政のスリーショット。おそらく3年前のNHK大河「おんな城主直虎」放映に合わせて制作されたパネルなんだろうけど、この種のものが天守の前にあると、天守さえ安っぽく見えてしまう…。



城内の土産物店は、家康関連よりも明智光秀関連の商品が目立つ。浜松城とは縁も所縁もないと思うのだけど…。NHK大河に乗っかりすぎではないだろうか。



三方ヶ原の戦いの説明パネルがある。浜松城を無視して西進する武田信玄軍に、意地を通して出撃したものの、ボロ負けして這う這うの体で浜松城に逃げ戻った。



城内には若き頃の家康の銅像がある。三方ヶ原は家康にとっては討死を覚悟するほどの極めて苦い経験だっただろうけど、その後の天下取りに向けての貴重な糧になったことは間違いない。



本日の歩行軌跡。16km以上歩いてはいるけれど、掛川から浜松までの街道歩きはそのうちの13kmほど。残りは浜松市内の散策だ。