浜松宿~新居宿【東海道五十三次-16】

2020年3月13日


東海道五十三次16日め。今日は浜松からスタート。戦時中の空襲被害のせいか、あまり旧宿場町の遺跡が残らない町だが、本陣跡には案内標識が掲げられている。さすがに主要宿場町だけあって、6軒もの本陣があったらしい。



旧東海道沿いの住宅街のなかの小さな公園に、かつての軽便鉄道が保存されていた。思いのほか小さい。近くに現JR東海の浜松工場があるので、その関係でここに設置されているのかもしれない。



携帯電話のショップには、ブラジル、スリランカ、フィリピンといった国旗が掲げられている。外国人居留者が多いことで有名な町だけど、そのほとんどは長期滞在資格を有している。こうした外国人を受け入れる工夫をしているようだ。



鎧橋というのが現れた。平安時代、この近くにある鴨江寺が本山延暦寺の承諾なしに戒壇を設置したことから比叡山の攻撃を受け、鴨江寺の僧兵は鎧を着てここで迎え撃ったという。戦死者千人というのが本当なら大規模戦闘だ。そのせいか、鴨江寺は今は高野山系の寺院になっている。



二ツ御堂。道を挟んで2つの御堂がある。奥州平泉の藤原秀衡が京で病気になり、急ぎ上京中の側室がここまで来たときに秀衡逝去の誤報が入る。ショックのせいか側室はここに供養の御堂を建立した後亡くなってしまったという。秀衡はその死を悼み、その後平泉に戻る際にその向かいに御堂を建立したという。



御堂の裏に「秀衡の松」というのがある。側室の亡骸を葬ったところに秀衡自身が植えたものだという。それにしても、秀衡って奥州を支配者で計り知れない財力と軍事力があったはず。頼朝に逆らって義経を匿ったことでも知られる人だが、何をしに京に行ってたのだろうか。朝廷に献金にでも行ったんだろうか。



麦飯長者跡。馬子の五郎兵衛が旅の僧が置き忘れた百両を返そうと何十年も探し続けた末、ついにその旅僧を発見したものの、誠実さに感激した僧はお金を受け取らなかったという。そこで五郎兵衛は困った人のためにお金を使い、空腹の人には誰にでも麦飯を食べさせるなどの善行を重ねたそうだ。東海道を歩いているとこの種の逸話を多く見かける。



熊野神社をいくつも見かける。紀州の熊野三山の分社であることは間違いない。この地に圧倒的に多い鈴木姓のルーツは熊野本宮だという。鈴木姓の多さと熊野神社の多さはきっと相関があるはずだ。



浜名湖に近づくにつれ、浜名湖を海と隔てているごく細い陸地を目指して、新幹線や名神高速など東西を繋ぐ鉄道や道路が集まってくる。旧東海道も例外ではなく、いつの間にかJR東海道線のすぐ横にまで近づいている。



春日神社。全国でこの名の神社を多々見るが、奈良の春日大社の分社だろう。海に近く山も無いところなのに狛犬がいるべき場所に鹿が立っている。春日大社の影響だろうか。もっとも奈良では生きた鹿は多数棲みついているけど、狛鹿?など見たことがない。



舞坂宿に近づいてきた。ここの松並木は見事だ。1km近く続いているんじゃなかろうか。惜しむらくは、左右の松並木に挟まれているのが車道で、歩松並木の外側に歩道が設置されている。できれば松並木の真ん中を歩いてみたい。



松並木の根本には、干支を象った石のモニュメントなどもあったりして、とても丁寧に整備されている。ゴミも全く落ちていない。



舞坂宿の説明碑。かつては舞坂だったものが、今では舞阪となっている。「土に返る」とか「士が反乱する」とかにも通じる縁起の悪い「坂」の字を嫌って、大坂が大阪に字を変えたのと同じなんだろうか。



松並木の西端に、浪太郎と呼ばれる子供の石像がある。実は妖怪の一種らしい。地元の人に助けられた浪太郎が、海が荒れるときは太鼓を叩いて知らせてくれるようになったそうだ。遠州灘の海鳴りは浪太郎が叩く太鼓なんだそうだ。



浪太郎像の前から、今歩いてきた松並木を振り返る。なぜか心が和み、体も軽くなる。江戸時代の旅人もきっとそうだったに違いない。



舞阪は漁師町。鰹節、海苔、シラスなどの海産物を扱う店が軒を連ねている。



脇本陣茗荷屋。現在、東海道で脇本陣が残っているのはここだけだという。残されていた柱や梁を極力そのまま利用し、建築資材なども当時のものを使い、忠実に再建されているらしい。



浜名湖の東岸までやってきた。かつてはここから次の新居宿までは船に乗って移動した。「今切の渡し」だ。嘘か誠か知らないけど、皇女和宮は、「今切」という縁起の悪い地名を避けて中山道を使って降嫁したとも聞く。



地震のため浜名湖南部の陸地の多くが湖に沈んだが、近年架けられた橋で弁天島を経て陸路で新居宿に向かう。名神高速も新幹線も弁天島経由だが、国道1号線だけがさらに南の浜名湖の開口部を通っている。浜名湖の湖面に太陽が反射してとても眩しい。



弁天島の沖合には赤い鳥居が立っている。驚いたことに、これは神社の鳥居ではなく、弁天島のシンボルタワーとして、舞阪の観光協会が建設したものなんだそうだ。妙なオブジェを作るより、鳥居の方が有難味があるとも思うけど、これってどうなんだろう…。



弁天島にはホテルが立ち並ぶリゾート地になっている。温泉も出ているそうだ。もちろん海水浴や潮干狩りなども楽しめる。



ここには、NHK大河「いだてん」に登場した田畑政治の実家の別荘があったそうだ。劇中の田畑は、オリンピックへの情熱は凄まじいものがあったけど、強引すぎてどうにも共感できない人だった。



弁天島を新幹線と在来線が平行して走っている。何度となく新幹線でここを通過しているけど、これまで弁天島を意識したことなどなかった。大概は寝ている区間だ…。



JR新居町駅駅に到着。駅前には遠州新居手筒花火のモニュメントがある。その名のとおり、花火を直接手で抱えて踊り歩く奇祭らしい。



新居宿の見学は次回のお楽しみに残して、新居町駅から帰路につく。本日の歩行距離はおよそ18km。