波賀城(宍粟市)

 2020年11月9日 ②


宍粟市の東山登山を終えた後、近くにある波賀城跡を訪問する。播磨地方に多い中世の山城のひとつだが、櫓や門などが復元され、史跡公園として整備されているという。古い石垣だけが残る山城跡とは違って往時の雰囲気を実感できそうなところだ。



波賀城は東山とは谷ひとつ隔てた城山(じょうやま)の頂上付近に立っている。覚悟はしていたけれど、いかに公園化されているとはいえ、結構歩かなければならない。



登山路から谷下を見ると石がゴロゴロと転がっている。山城の立地要件として、山の険峻さや水利、交通の便などと同様に、石垣などのための石が近くで入手できるというのが非常に重要だ。最近いくつかの山城跡訪問で石の重さを再認識した成果だ。



登山路の左右に石積みが現れた。既に城の縄張りのなかに入っているようだ。



再現された黒塗りの冠木門が現れた。傍らには「波賀城蹟」と彫られた巨石が据えられている。旧波賀町(現在は宍粟市に統合)が町のシンボルとして波賀城整備にかなりの力を入れたことが窺える。



門からさらに山頂に向けて登っていく。雰囲気を醸し出すためか、東屋なども設置されている。



いよいよ頂上部にやってきた。急斜面に架けられた梯子を攀じ登って城跡へと向かう。



急斜面の上にいよいよ櫓が現れた。ちょっとワクワクしてくる。



町を見下ろす急斜面の上に二層の櫓と漆喰風の白壁が復元されている。おそらく白壁の内部には、城主のための屋敷とか、兵士の詰め所や倉庫などがあったと思われるけど、そこまでは再建されていない。壁の内側には何もない…。



石垣は戦国時代末期のものらしい。反りがなく、直線状に石が積み上げられているのがその頃の石垣の特徴なんだそうだ。



櫓のなかに入ってみる。壁側には資料類が展示されているようだけれど、照明が暗くて何も読めない…。扉を開けていると少しは明かりも入るのだけれど、2階には光が全く差し込まない。



先ほどまで登っていた東山(間違っているかもしれない)が谷ひとつ向こうに聳えている。



白壁の裏手から城山の頂上に登ってみる。標高は458m。急峻さといい、標高といい、山城としてはかなりの防御力があったのではなかろうか。



波賀城跡の見学を終え、登山路を降りていく。登ってくるときには気づかなかったけれど、櫓に向かっての照明がいくつか設置されている。夜にはライトアップされるようだ。